徂徠先生答問書 / 卷上
たとへば鷹野に出候に、鷹を使ひ候人も有之候。犬を牽申候人も御座候。犬を牽申候へば、犬を己が職分に致し候て、鷹には少も構ひ不申候へ共、鷹を助候爲の犬と申候事を心付不申候へば、其職分違ひ申候。又子供を敎訓いたし候に、せつかんいたし候人も有之候。とりさへ候人も有之候。せつかんの役人はおそろしき貌をいたし候へ共、心より惡み候にては無之、敎訓の主意を失ひ申さぬ事に候。取さへ候人は、其子供の味方になり候樣に見え候得共、實はせつかん致し候人を助け候役人にて候。其わざ別に候へども、互に心をよく會得いたし候故、仕手脇拍子揃ひ候て、狂言の仕組も出來申候事に候。然れば臣たるものゝ道は、君たる道を不存候ては了簡皆違ひ申候事明らかに御座候。
新字:たとへば鷹野に出候に、鷹を使ひ候人も有之候。犬を牽申候人も御座候。犬を牽申候へば、犬を己が職分に致し候て、鷹には少も構ひ不申候へ共、鷹を助候為の犬と申候事を心付不申候へば、其職分違ひ申候。又子供を教訓いたし候に、せつかんいたし候人も有之候。とりさへ候人も有之候。せつかんの役人はおそろしき貌をいたし候へ共、心より悪み候にては無之、教訓の主意を失ひ申さぬ事に候。取さへ候人は、其子供の味方になり候様に見え候得共、実はせつかん致し候人を助け候役人にて候。其わざ別に候へども、互に心をよく会得いたし候故、仕手脇拍子揃ひ候て、狂言の仕組も出来申候事に候。然れば臣たるものゝ道は、君たる道を不存候ては了簡皆違ひ申候事明らかに御座候。
書き下し
たとへば鷹野に出候に、鷹を使ひ候人も有之候。犬を牽申候人も御座候。犬を牽申候へば、犬を己が職分に致し候て、鷹には少も構ひ不申候へ共、鷹を助候為の犬と申候事を心付不申候へば、其職分違ひ申候。又子供を教訓いたし候に、せつかんいたし候人も有之候。とりさへ候人も有之候。せつかんの役人はおそろしき貌をいたし候へ共、心より悪み候にては無之、教訓の主意を失ひ申さぬ事に候。取さへ候人は、其子供の味方になり候様に見え候得共、実はせつかん致し候人を助け候役人にて候。其わざ別に候へども、互に心をよく会得いたし候故、仕手脇拍子揃ひ候て、狂言の仕組も出来申候事に候。然れば臣たるものゝ道は、君たる道を不存候ては了簡皆違ひ申候事明らかに御座候。
現代語訳
たとえば鷹狩りに出るとき、鷹を使う人もいれば、犬を引く人もおります。犬を引く者は犬を自分の職分として、鷹には少しもかまいませんが、鷹を助けるための犬だということに気付かなければ、その職分は違ってしまいます。また子供をしつけるとき、折檻する人もいれば、取りなす人もおります。折檻する役の者は恐ろしい顔をしますが、心から憎んでいるのではなく、しつけの主意を失わないのです。取りなす人は、その子供の味方になっているように見えますが、実は折檻する人を助ける役の者です。そのわざは別々ですが、互いに心をよく会得しているので、仕手と脇と囃子がそろって、狂言の段取りもできあがるのです。そうであれば、臣たる者の道は、君たる者の道を知らなければ考えがみな違ってしまうことは明らかです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『政談』諸役人職分支配を分つ事公事裁判幷に刑罰のことは別に公事奉行と云ふ者を立てゝ、牢屋なとは此の下に属し、寺社町方百姓ともに公事幷に刑罰は之にて掌さしむへし、当時は譬へは武家科人も刑罰詮議に及ふときは町奉行へ渡すこと、是武家町人の差別分れず甚た宜しからさることなり、此の外作事普請の筋亦一筋なるへし、当時は作事奉行普請奉行と分るゝこと詮もなきことなり、武備の一まき武器のことは古は兵次部の掌りなり、是れ亦一筋なるへし、又其の外諸細工のたくひ是亦一筋なるへし、古工部の役人ありて之を掌る故些細の細工の筋役人功者にて器物丈夫なり、当時は我人も町奉行の下につけ之を掌る役人なき故何事も職人任せになり、たゝ直段のことはかりを役人は詮議するやうなり、又当時は上の御好ある故奥向の衆承はりて之を掌る故人々逼にして奸曲も之より生すると見えたり、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事御老中は大名を支配し、若老中は御旗本を支配すれは、大名御旗本の官位の昇進役禄の增减参勤交替のこと縁組養子家督等のことは各々月番にても取捌くへきことなり、品々御政務の筋まで一つにして月番に受込み一月切に取捌くことゆゑ、御用繁多にして勤め方粗末なりと見えたり、周礼にも六官を分け、後世にも六部を分けたること古来の良制なり、御老中若老中にも役筋を分けて司とらせたきことなり、その分けやうは禁裡堂上方御門跡等のすぢは高家を下た司と云ふへし、礼儀作法殿中御規式のすぢは奏者物番を属官とすへし、寺社のすぢは今までの寺社奉行属官たるべし、町方のすぢは町奉行属官たるへし、御入毛のすぢは地方奉行相違なくたゞし、三奉行いつれも公事訴訟ともに掌とること故御用繁多にして粗末のことゝも多し、町奉行は御城下を三つにも四つにも仕切りて別々に分ち掌らせて、町方の治めを第一とし、訴訟までを受さすへし、地かたも治めを第一として訴訟迄を掌さしむへし、寺社も此通りなり、
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孫子・九地篇所謂る古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賤相救わず、上下相収めず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。
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『洗心洞箚記』卷上・第百七十一條周官の正しきは、即ち六官各其の職を恪守するに在り。而して其の神は乃ち六職互ひに聯なりて其の事を助くるに在り。各其の職を恪守するは、衰季と雖も猶能くす。其の事を聯助するに至りては、則ち成周の純臣に非ずんば、孰か能く相和して其の用を神にせんや。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第18段人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。
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『学問のすゝめ』三編・一身独立して一国独立すること・権義あればしたがって職分ありもとより国の政をなす者は政府にて、その支配を受くる者は人民なれども、こはただ便利のために双方の持ち場を分かちたるのみ。一国全体の面目にかかわることに至りては、人民の職分として政府のみに国を預け置き、傍よりこれを見物するの理あらんや。すでに日本国の誰、英国の誰と、その姓名の肩書に国の名あれば、その国に住居し、起居眠食、自由自在なるの権義あり。すでにその権義あれば、またしたがってその職分なかるべからず。
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