徂徠先生答問書 / 卷上
されば古之人君の天下國家を平治可被成候爲に建立被成候道にて御座候故、仁を根本と仕候。依是仁心より見開き不申候へば、聖人の道の上は、事々に了簡の付樣皆ちがひ行申候。是聖人の御本意を忘れ候故にて御座候。士太夫の君に仕へ候も天下國家を君の御治めに相手手傳をいたし候事故、民の父母と申所より了簡を付不申候へば、それ〴〵の職分も濟不申事に候。
新字:されば古之人君の天下国家を平治可被成候為に建立被成候道にて御座候故、仁を根本と仕候。依是仁心より見開き不申候へば、聖人の道の上は、事々に了簡の付様皆ちがひ行申候。是聖人の御本意を忘れ候故にて御座候。士太夫の君に仕へ候も天下国家を君の御治めに相手手伝をいたし候事故、民の父母と申所より了簡を付不申候へば、それ〴〵の職分も済不申事に候。
書き下し
されば古之人君の天下国家を平治可被成候為に建立被成候道にて御座候故、仁を根本と仕候。依是仁心より見開き不申候へば、聖人の道の上は、事々に了簡の付様皆ちがひ行申候。是聖人の御本意を忘れ候故にて御座候。士太夫の君に仕へ候も天下国家を君の御治めに相手手伝をいたし候事故、民の父母と申所より了簡を付不申候へば、それ〴〵の職分も済不申事に候。
現代語訳
そういうわけで、古の君主が天下国家を平らかに治めるために打ち立てられた道ですから、仁を根本としています。したがって、仁の心から見開かなければ、聖人の道については、一つ一つの事の考え方がみな違っていきます。これは聖人の本意を忘れているからです。士大夫が君に仕えるのも、君が天下国家をお治めになるのを、相手となって手伝うことですから、「民の父母」という所から考えを付けなければ、それぞれの職分も果たせないのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・公冶長篇子張問いて曰く、「令尹子文、三たび仕えて令尹と為るも、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるるも、慍る色無し。旧令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。」子曰く、「忠なり。」曰く、「仁なりや。」曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。」「崔子斉君を弑す。陳文子馬十乗有り、棄てて之を違る。他邦に至れば、則ち曰く、『猶お吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。一邦に之けば、則ち又曰く、『猶お吾が大夫崔子のごときなり』と。之を違る。何如。」子曰く、「清なり。」曰く、「仁なりや。」曰く、「未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。」
-
『童子問』卷上問ふ、令尹子文・陳文子は何を以て仁を許されざる。曰く、二子若し管仲の志と才とを有たば、亦当に其の仁を称すべし。子文は身の為に謀らず、人に告ぐるに忠を以てす。文子は能く其の身を潔くして去る。皆観るべきに足る。然れども利沢物に及ぶの功無し。此れ其の忠と清とに止まる所以なり。
-
『慎思録』巻之五忠臣孝子の君父に於けるは、譬へば手足の面目を捍ぐが如く然り。毀折に遭ふと雖も懼れず。其の愛する所至りて深きなり。君子の人を愛するや、物我を忘る。故に其の危難の時に方りては、疎遠なりと雖も、救はざること能はず。况や其の至尊至親の者に於てをや。岳武穆の如き、其の君を愛し国を憂ふるの志至りて深く、終に奪ふべからざる者有り。是を以て利害死生を顧みず、讒人の枉陥して死に至ると雖も、其の節操を変ぜず。或るひと謂ふ、此れ明哲保身の道に非ず、進退の機に昧し、と。是れ豈に忠臣義士の心を知る者ならんや。
-
『都鄙問答』卷之一・武士ノ道ヲ問ノ段答ふ、実に左もあるべきことかな。樊遅仁を問ふ。子曰く、人を愛す。知を問ふ。人を知る。仁知は大なりといへども、此の二語を以て尽くし玉ふ。文字によらずして、人の暁し易きこそよからん。愚元来不学なれば、幸ひなるかな、心易く汝が身にも備はりたることを以て語るべし。先づ手足は、口のために使はるるなり。如何となれば、口が物を食はねば、手足安穏なること能はず。このゆゑに手足が苦労して、一代口の為に使はるると云へども、少しも不屑らしきことなく、口に忠を尽くして、能く事へまつるものなり。君に事へまつる道も、手足の口に使はるることを法とすべし。臣下の飯と汁は、君より給はる奉禄なり。其の禄なくして、何を以て命をつぐべきや。このゆへに我が身を委ねて、君の身に代はり、
-
『徂徠先生答問書』卷中君子の道も是を土台といたし候事は、君子の道は仁にて候。仁は国天下の民を安じ候事にて、もと人の上たるものの道にて候。孝弟忠信中庸の徳行は、分に相応にたれにてもなり申候事にて、上たる人ばかりの道にては無御座候。孝は父母を養ひ安んずる道にて候。弟は兄弟を養ひ安んずる道にて候。忠は君につかへて君を安んじ養ふ道にて候。信は朋友を安んじ養ふ道にて候。されば何れも皆仁の小わりと可被思召候。たゞ人々の量の大小御座候故、大量の人ならでは仁をわが任といたし候事なりがたく候。量の大小にかゝはらず、たれにても仁の心をおこなひ候事は、孝弟忠信中庸の徳行と可被思召候。是により孝弟忠信を土台といたし、是よりのぼり候へば、君子の仁もよく相応いたし、齟齬いたし候所無御座候。若又孝弟忠信を土台といたさず候て、国天下を安んずるわざをのみ求め候はゞ、却て邪術にはせ候あやまりも出来可申事故、子思などの書を作り其ふせぎをいたされ候事にて御座候。たゞ量の大小に随ひ教の名目は別にて候得共、道は一箇の道にて更に別の道は無御座候。よく〳〵御工夫可被成候。以上。
-
『童子問』卷上問ふ、朱子以謂へらく、子文・文子の仁為ることを得ざるは、是れ理に当たりて私心無きこと能はざればなりと。如何。曰く、然らず。藉令ひ二子の行事理に当たりて私心無くとも、亦只だ是れ忠と清とのみ。管仲の若きは、未だ其の事全く理に当たり、而して心果たして私無きを見ずと雖も、然れども夫子其の仁を称する者は、蓋し民其の賜を受くるを以てなり。理に当たりて私心無きを以て仁を解するは、是れ所謂其の説を得ずして、従りて之が辞を為す者にして、仁の義を去ること益々遠し。若し其の説の如くんば、則ち唯に仁為ることを得ざるのみならず、而も亦且つ忠清為ることを得ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る