童子問 / 卷上
問。令尹子文陳文子何以不許仁。曰。二子若有管仲之志與才。亦當稱其仁。子文不爲身謀。告人以忠。文子能潔其身而去。皆足可觀焉。然無利澤及物之功。此其所以止於忠與淸也。
新字:問。令尹子文陳文子何以不許仁。曰。二子若有管仲之志与才。亦当称其仁。子文不為身謀。告人以忠。文子能潔其身而去。皆足可観焉。然無利沢及物之功。此其所以止於忠与清也。
書き下し
問ふ、令尹子文・陳文子は何を以て仁を許されざる。曰く、二子若し管仲の志と才とを有たば、亦当に其の仁を称すべし。子文は身の為に謀らず、人に告ぐるに忠を以てす。文子は能く其の身を潔くして去る。皆観るべきに足る。然れども利沢物に及ぶの功無し。此れ其の忠と清とに止まる所以なり。
現代語訳
問う。令尹子文と陳文子は、なぜ仁を認められなかったのか。答える。二人がもし管仲のような志と才を持っていたなら、やはりその仁を称えられたはずである。子文は自分の身のために謀らず、(後任に)誠実に政務を告げ継いだ。文子はよく自分の身を清く保って(乱れた国を)去った。どちらも見るに足るものがある。しかし恩沢が人々に及んだという功績がない。これが、二人が忠と清にとどまる理由である。
解説
『論語』公冶長篇で、孔子が令尹子文を「忠」、陳文子を「清」と評して仁とは言わなかった件を扱う章である。仁斎は、二人の行いは立派で観るに足るが、恩沢が広く人々に及んだ功績がないため、仁には至らず忠と清にとどまったと説明する。ここでも仁は、心の清らかさや身の処し方だけで量られてはいない。実際に人々を利したかどうかが問われているのである。自分の身を正しく保つことは大切だが、それだけで満足せず、周りの人の役に立つ働きへと踏み出しているかを問い直したい。
この章句が説くこと
仁忠清利沢論語子文
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