徂徠先生答問書 / 卷上
堯舜孔子の道世に行はれ不申候より、是非邪正の爭ひ盛んになり候を靜めん爲のかりの方便に、佛老の輩、人にかまはず、わが心をすまし候事をとき敎候。小量の儒者それを妙道と思ひ、其眞似をして、聖人の道は己を治むるより外なしと云ふ流義廣ごり候故、王公大人も學問なされ候へば彌小量になり行候。殊に百年以來世の人便利を先として、出替者を召仕候事世の風俗となり候故、主從共に、只當分のやとはれ人と思ひ候心ゆき、一切の事に薰じわたり、はては親類をも苦にせず、主人の事を身にかけず。只吾身ひとつと思取候を、今の世には能了簡の人に仕候。天より附屬被成候眷族は、則天より與給へる福分に候を、思放見捨候はゞ、其福分は消行可申候。勿体なき事の至極と可被思召候。只民の父母と申語をよく提撕被成、それより工夫を御つけ候はゞ、聖人の道にはおのづから御叶可被成候。孔子も吾道一以貫之と被仰候へば、何事も〳〵雖不中不遠可有御座候。以上。
新字:堯舜孔子の道世に行はれ不申候より、是非邪正の争ひ盛んになり候を静めん為のかりの方便に、仏老の輩、人にかまはず、わが心をすまし候事をとき教候。小量の儒者それを妙道と思ひ、其真似をして、聖人の道は己を治むるより外なしと云ふ流義広ごり候故、王公大人も学問なされ候へば弥小量になり行候。殊に百年以来世の人便利を先として、出替者を召仕候事世の風俗となり候故、主従共に、只当分のやとはれ人と思ひ候心ゆき、一切の事に薫じわたり、はては親類をも苦にせず、主人の事を身にかけず。只吾身ひとつと思取候を、今の世には能了簡の人に仕候。天より附属被成候眷族は、則天より与給へる福分に候を、思放見捨候はゞ、其福分は消行可申候。勿体なき事の至極と可被思召候。只民の父母と申語をよく提撕被成、それより工夫を御つけ候はゞ、聖人の道にはおのづから御叶可被成候。孔子も吾道一以貫之と被仰候へば、何事も〳〵雖不中不遠可有御座候。以上。
書き下し
堯舜孔子の道世に行はれ不申候より、是非邪正の争ひ盛んになり候を静めん為のかりの方便に、仏老の輩、人にかまはず、わが心をすまし候事をとき教候。小量の儒者それを妙道と思ひ、其真似をして、聖人の道は己を治むるより外なしと云ふ流義広ごり候故、王公大人も学問なされ候へば弥小量になり行候。殊に百年以来世の人便利を先として、出替者を召仕候事世の風俗となり候故、主従共に、只当分のやとはれ人と思ひ候心ゆき、一切の事に薫じわたり、はては親類をも苦にせず、主人の事を身にかけず。只吾身ひとつと思取候を、今の世には能了簡の人に仕候。天より附属被成候眷族は、則天より与給へる福分に候を、思放見捨候はゞ、其福分は消行可申候。勿体なき事の至極と可被思召候。只民の父母と申語をよく提撕被成、それより工夫を御つけ候はゞ、聖人の道にはおのづから御叶可被成候。孔子も吾道一以貫之と被仰候へば、何事も〳〵雖不中不遠可有御座候。以上。
現代語訳
堯・舜・孔子の道が世に行われなくなってから、是非・正邪の争いが盛んになったので、それを静めるための仮の方便として、仏教や老荘の者たちは、他人にかまわず自分の心を澄ますことを説き教えました。器量の小さい儒者はそれを妙なる道と思ってその真似をし、聖人の道は自分を治めることのほかにない、という流儀が広まったので、王公や身分の高い人も、学問をなさるといよいよ器量が小さくなっていきます。とりわけこの百年来、世の人は便利を第一にして、年季奉公の出替わり者を召し使うことが世の風俗となったので、主人も従者も、ただ当座の雇われ人だと思う心持ちになり、それがあらゆる事に染みわたって、ついには親類をも背負わず、主人のことも我が身に引き受けず、ただ自分の身一つと考えることを、今の世では賢い考え方の人としております。天から授けられた身内は、そのまま天から与えられた福分なのですから、思い捨て見捨てれば、その福分は消えていくでしょう。もったいないことの極みとお思いください。ただ「民の父母」という言葉をよく心に掛け、そこから工夫をなさるなら、聖人の道にはおのずとかなうでしょう。孔子も「吾が道は一以て之を貫く」とおっしゃっていますから、何事につけても、ぴたりと当たらなくても遠くは外れないはずです。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之二・仁之上一樊遅仁を問ふ、子曰く人を愛すと。仁は愛をつかさどる。故に仁を行ふの道は、人を愛するにあり。此人の字は、五倫をさして見るべし。人を愛するは、即人倫を愛する也。人の道は仁を行ふにあり。仁を行ふの道は人を愛するにあり。人を愛せんとならば、まづ心の私を去り、人我のへだて無くして、あはれみの心をおしひろむるにあり。愛人を以て仁を説き給ふ。誠に切実にして、近き教なり。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・仁は徳の王なり武士道は愛敬、寛仁、同情、憐憫を以て、徳の最なるものとし、人の霊魂の賦性の最も高尚なるものなりとす。仁は二様の意義に於て王者の徳なり。即ち高尚なる精神に伴ふ多くの資禀の冠たるのみならず、又た特に王道に契合するが故に徳の王なり。慈悲の王者に於けるは、冠冕よりも貴く、又た権威に勝るとは、吾人はシェイクスピアを俟ちて始めて之を知るものに非らず。ただ宇内諸人と共に、彼より初めて此名言を聞くを得たるのみ。孔孟しばしば、王者の一日も仁勿るべからず、『仁なる者は人なり』なることを明かにせり。孔子曰く、『国君、仁を好めば天下に敵無し』と。又た曰く、『仁は天の尊爵なり、人の安宅なり』と。又た『君、仁なれば仁ならざるは莫く、君、義なれば義ならざるは莫し』とも曰へり。而して孟子の之を説く、更に詳なるものあり。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・最も剛毅なる者は最も柔和なり『最も剛毅なる者は、最も柔和なり。最も愛ある者は、最も勇敢なり』とは、古今東西の通義なり。武士のなさけとは、人心に妙音を伝へて、高尚なる情感を覚醒するの語なりき。武夫の慈悲の質たる、他者の慈悲と其類を殊にするには非らず。されど仁の武士に於けるは、漠然たる感情より発するものに非らずして、其心に正義を忘れざるにあり。又た其仁は、ただに情緒の発現たるのみに非らずして、而も其後へには生殺与奪の権を有し、恩に兼ぬるに威を以てす。経済学者が、需要に有効無効の別ありと云ふが如く、武士の慈悲は即ち有効なるものと称すべくして、之を受くるものに対して、或は利益を生じ、或は損害を来たすの力を有せり。武士は獣力を栄とし、之を用ふるの特権に誇りたりと雖も、又た深く孟子が仁の力を説くに服するものなりき。
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司馬法・仁本正、意を獲ざれば則ち権(けん)す。権は戦より出で、仁より出でざるなり。是の故に人を殺して人を安んぜば、之を殺すも可なり。其の国を攻むるも、其の民を愛せば、之を攻むるも可なり。
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『文武訓』文訓上之末一人の文字を見ば、よきことは褒め、さほどなきは、かげにてもそしるべからず。人のつとめて作れる文字を、一言にたやすくそしりおとさんもなさけなし。作れる人、そしりを聞かば、本意なく思ひうらみいかるべし。是をそしるは不仁無礼にて、道理にそむくのみならず、人のうらみを受けて悪しし。又あしき文詩を褒むるも、いつはりにて本意にあらず。只其よしあしを云はざらんには如かじ。
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