徂徠先生答問書 / 卷上
詩經に民之父母と申候語御座候。是に踰候よき註解無御座候。民之父母とは如何心得可申候や。まづ父母とは其家の旦那の事と御心得可被成候。賤き民家の旦那を申候はゞ、其家内には火車なる姥も御座候。引ずりなる女房も御座候。うかといたしたる太郞子も御座候。いたづらなる三男も有之候。うゐ〳〵しき媳婦も有之候。又譜第の家來には、年より用にたゝざる片輪なる下部も御座候。幼少より其家にそだてられ恩にあまへ候て、申付をも聞ざる若き奴も有之、さりとては埓もなき家の內にて、理非にて正し候はんには、手もつけられぬあきはてたる事に候。
新字:詩経に民之父母と申候語御座候。是に踰候よき註解無御座候。民之父母とは如何心得可申候や。まづ父母とは其家の旦那の事と御心得可被成候。賤き民家の旦那を申候はゞ、其家内には火車なる姥も御座候。引ずりなる女房も御座候。うかといたしたる太郎子も御座候。いたづらなる三男も有之候。うゐ〳〵しき媳婦も有之候。又譜第の家来には、年より用にたゝざる片輪なる下部も御座候。幼少より其家にそだてられ恩にあまへ候て、申付をも聞ざる若き奴も有之、さりとては埓もなき家の内にて、理非にて正し候はんには、手もつけられぬあきはてたる事に候。
書き下し
詩経に民之父母と申候語御座候。是に踰候よき註解無御座候。民之父母とは如何心得可申候や。まづ父母とは其家の旦那の事と御心得可被成候。賤き民家の旦那を申候はゞ、其家内には火車なる姥も御座候。引ずりなる女房も御座候。うかといたしたる太郎子も御座候。いたづらなる三男も有之候。うゐ〳〵しき媳婦も有之候。又譜第の家来には、年より用にたゝざる片輪なる下部も御座候。幼少より其家にそだてられ恩にあまへ候て、申付をも聞ざる若き奴も有之、さりとては埓もなき家の内にて、理非にて正し候はんには、手もつけられぬあきはてたる事に候。
現代語訳
『詩経』に「民の父母」という言葉があります。これにまさる良い解釈はございません。民の父母とはどう心得ればよいでしょうか。まず父母とは、その家の旦那(主人)のことと心得てください。身分の低い民家の旦那で申せば、その家の中には、鬼婆のように口やかましい姥もおります。だらしない女房もおります。ぼんやりした長男もおります。いたずらな三男もおります。物慣れない嫁もおります。また代々仕える家来には、年寄りで役に立たない、体の不自由な下僕もおります。幼い頃からその家で育てられて恩に甘え、言いつけも聞かない若い奉公人もいて、なんともまとまりのない家の中で、理非で正そうとすれば手もつけられず、あきれ果てるようなありさまです。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・弟子行功を美とすれども伐らず、位を貴べども善とせず。侮らず佚せず傲らず告ぐる無き者を無みせず、是れ顓孫師の行なり。孔子之を言いて曰わく、『其の伐らざるは、則ち猶お能くす可きなり。其の百姓を弊さざるは、則ち仁なり。詩に云う、愷悌の君子は、民の父母なりと。』夫子其の仁を以て大學の深きと為す。
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