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徂徠先生答問書 / 卷上

され共其家の眷屬に天より授かり候者共にて、何方へも逐出し可申樣なく候ゆへ、其家の旦那ならん者は、右の樣なる者共をすぐし可申爲には、炎天に被照、雨雪を凌ぎ、田を耕し、草を刈、苦しき態を勤め、人に賤しめらるゝをも恥辱共不存、家内をば隨分に目永に見候て年月を送り候。もつとも時時はしかり打擲をもいたし候事にて、さのみ慈悲をするとも不存候得共、見放し候心は曾て無之、一生の間右の者共を苦にいたし候事、是天性父母の心はかくのごとく成物にて、たれだれも賤き民には珍しからぬ事に御座候に、最早百石二百石もとり、千石二三千石にもなり、夫より國郡の主、天下を知召候御方には、か樣の御心無御座候は如何なる事にて御座候哉。賤き土民の心には遙に劣候は、無下に口惜き事に候。

新字:され共其家の眷属に天より授かり候者共にて、何方へも逐出し可申様なく候ゆへ、其家の旦那ならん者は、右の様なる者共をすぐし可申為には、炎天に被照、雨雪を凌ぎ、田を耕し、草を刈、苦しき態を勤め、人に賤しめらるゝをも恥辱共不存、家内をば随分に目永に見候て年月を送り候。もつとも時時はしかり打擲をもいたし候事にて、さのみ慈悲をするとも不存候得共、見放し候心は曽て無之、一生の間右の者共を苦にいたし候事、是天性父母の心はかくのごとく成物にて、たれだれも賤き民には珍しからぬ事に御座候に、最早百石二百石もとり、千石二三千石にもなり、夫より国郡の主、天下を知召候御方には、か様の御心無御座候は如何なる事にて御座候哉。賤き土民の心には遥に劣候は、無下に口惜き事に候。

書き下し

され共其家の眷属に天より授かり候者共にて、何方へも逐出し可申様なく候ゆへ、其家の旦那ならん者は、右の様なる者共をすぐし可申為には、炎天に被照、雨雪を凌ぎ、田を耕し、草を刈、苦しき態を勤め、人に賤しめらるゝをも恥辱共不存、家内をば随分に目永に見候て年月を送り候。もつとも時時はしかり打擲をもいたし候事にて、さのみ慈悲をするとも不存候得共、見放し候心は曽て無之、一生の間右の者共を苦にいたし候事、是天性父母の心はかくのごとく成物にて、たれだれも賤き民には珍しからぬ事に御座候に、最早百石二百石もとり、千石二三千石にもなり、夫より国郡の主、天下を知召候御方には、か様の御心無御座候は如何なる事にて御座候哉。賤き土民の心には遥に劣候は、無下に口惜き事に候。

現代語訳

けれども、それらはその家の身内として天から授かった者たちなので、どこへも追い出すわけにはいきません。だからその家の旦那たる者は、そういう者たちを養っていくために、炎天に照らされ、雨や雪をしのぎ、田を耕し、草を刈り、苦しい仕事に励み、人に見下されるのも恥とは思わず、家の中をできるかぎり長い目で見て年月を送ります。もっとも時には叱ったり打ったりもしますし、特に慈悲をかけているとも思っていないのですが、見放す心はまったくなく、一生の間それらの者たちを自分の苦労として背負います。これが生まれつきの父母の心というもので、誰であれ身分の低い民には珍しくないことです。それなのに、百石二百石を取り、千石二三千石にもなり、さらに国郡の主、天下をお治めになる方となると、このようなお心がないのはどういうことでしょうか。身分の低い農民の心にはるかに劣るのは、まったく情けないことです。

解説

主人は家の者を追い出せない。だから炎天や雨雪に耐えて働き、人に侮られても恥とせず、長い目で家を見守る。時に叱り打つことはあっても見放さない。これが父母の心だと徂徠は言う。ところが禄高が上がり、領主や天下人になるほど、この心を失う者が多いと嘆く。「苦にいたす」という言葉が鍵で、抱えた者を自分の重荷として引き受け続ける覚悟を指す。管理職になると、できない部下を外す発想に傾きがちだが、抱えた人を見放さないことこそ長の本分なのである。

この章句が説くこと

民の父母仁責任育成家荻生徂徠

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