詩経 / 国風・斉風・盧令
《盧令》,刺荒也。襄公好田獵畢弋而不脩民事,百姓苦之,故陳古以風焉。 盧令令,其人美且仁。 盧重環,其人美且鬈。 盧重鋂,其人美且偲。
新字:《盧令》,刺荒也。襄公好田猟畢弋而不脩民事,百姓苦之,故陳古以風焉。 盧令令,其人美且仁。 盧重環,其人美且鬈。 盧重鋂,其人美且偲。
書き下し
盧令(ろれい)は、荒を刺(そし)るなり。襄公田猟畢弋(ひつよく)を好みて民事を脩めず、百姓これに苦しむ、故に古(いにしえ)を陳べて以て風(ふう)す。 盧(ろ)令令(れいれい)たり、其の人美にして且つ仁なり。 盧重環(ちょうかん)あり、其の人美にして且つ鬈(けん)なり。 盧重鋂(ちょうばい)あり、其の人美にして且つ偲(さい)なり。
現代語訳
「盧令」の詩は、狩猟にふけることをそしったものである。斉の襄公は狩りや、網・いぐるみでの鳥猟を好んで、民の仕事を治めず、民はこれに苦しんだ。そこで昔の立派な狩人の姿を述べて、それとなく諷したのである。 黒い猟犬の首輪の鈴がりんりんと鳴る、その飼い主は姿が美しく、しかも思いやりがある。 黒い猟犬に二重の輪の首輪、その飼い主は姿が美しく、しかも髪がみごとで勇ましい。 黒い猟犬に子輪のついた二重の輪、その飼い主は姿が美しく、しかも才に富んでいる。
解説
鈴を鳴らす黒い猟犬と、その飼い主である狩人の姿を、わずか三章六句でたたえる。「盧」は黒い猟犬で、首輪の鈴や輪の飾りが章ごとに替わり、狩人の美しさに「仁」「鬈(髪のみごとさ、勇ましさ)」「偲(才のあること)」が添えられる。毛詩序は、斉の襄公が狩猟にふけって民の仕事を顧みなかったので、昔の狩人の美徳を述べて遠回しに諷した詩と読む。朱熹は、これも前の「還」と同じく、斉の人々が狩人をたたえる歌で、その国の風俗の好むところを示すと見た。どちらの読みでも、狩りの腕前だけでなく「仁」を並べてほめているところに注目したい。力のある者が思いやりを伴うとき、はじめて人は心からその人を讃える。技と人柄の両方がそろうことを、古人も理想としていたのである。
この章句が説くこと
詩経斉狩猟仁猟犬
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