徂徠先生答問書 / 序
夫道也者先王之道也。治天下焉。唯其治天下。而國家而身。擧大者而小者見焉。聖亦王者稱也。周公孔子果遵何德哉。君子傳其道。奉承唯謹。用之則行。舍之則藏。是爲得耳。非誦古文。安能知本之大義哉。
新字:夫道也者先王之道也。治天下焉。唯其治天下。而国家而身。挙大者而小者見焉。聖亦王者称也。周公孔子果遵何徳哉。君子伝其道。奉承唯謹。用之則行。舎之則蔵。是為得耳。非誦古文。安能知本之大義哉。
書き下し
夫れ道なる者は先王の道なり。天下を治むるなり。唯だ其れ天下を治む、而して国家、而して身。大なる者を挙ぐれば、小なる者見はる。聖も亦た王者の称なり。周公・孔子、果たして何の徳に遵ふや。君子其の道を伝へ、奉承すること唯だ謹む。之を用ふれば則ち行ひ、之を舎つれば則ち蔵す。是を得たりと為すのみ。古文を誦するに非ずんば、安んぞ能く本の大義を知らんや。
現代語訳
そもそも道とは先王の道である。天下を治めるためのものである。ひたすら天下を治めるものであり、そこから国家に及び、身に及ぶ。大きなものを掲げれば、小さなものはおのずと見えてくる。聖人というのも王者の呼び名である。周公や孔子は、いったい何の徳に従ったのか。君子はその道を伝え、ひたすら謹んで受け継ぐ。用いられれば行い、捨てられれば身を引いてしまっておく。それで道を得たとするだけである。古の文辞を誦するのでなければ、どうして根本の大義を知ることができようか。
解説
徂徠学の要点を凝縮した一節である。道とは個人の修養法ではなく、先王が天下を治めるために作った仕組みであり、大きな天下を治める道を掲げれば、国家や一身のあり方は自然に見えてくる。修身から始めて天下に及ぶとする朱子学の順序を逆にした発想である。そして先王の道を知るには、後世の注釈ではなく古の文辞そのものを読むしかない。経営でも、全体の目的を先に据えれば、部門や個人の役割はおのずと定まる。個人の心がけから積み上げるだけでは全体は見えてこない。
この章句が説くこと
先王道天下古文辞聖人徂徠学
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