修身要領 / 第十七条
人に交るには信を以てす可し。己れ人を信じて人も亦己れを信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得べし。
書き下し
人に交るには信を以てすべし。己れ人を信じて人もまた己れを信ず。人々相信じて始めて自他の独立自尊を実にするを得べし。
現代語訳
人と交わるときは、誠実さと信頼をもってしなければなりません。自分が人を信じてこそ、人もまた自分を信じてくれます。人々がたがいに信じ合って初めて、自分も他人も独立自尊を現実のものにできるのです。
解説
人づきあいの基本を信に置き、信頼が互いの独立自尊を実現させる土台だと説く条です。独立というと孤立を思い浮かべがちですが、ここでは自立した者どうしが信じ合うことで、はじめて各自の独立も確かになる、と読めます。先に自分が信じるという順序が示されている点も見逃せません。上司と部下、取引先との関係でも、疑いから入れば相手も構えます。任せて信じるところから信頼の循環が始まり、それが個人の自立と組織の力を同時に育てます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
信交際相互の信頼独立自尊自他誠実
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