翁問答 / 下卷之末
夫婦の別は本來智に屬したるものなり、しかるを禮なりといへるは、儒道無案內なる故か、又は飮酒戒のあて所なき故かなるべし、妄語戒を信なりと云るは可也、しかれども信は天德の至誠人間眞實無妄の神理、五常百行の根本にして、自古皆有死、民無信不立とのたまふほど、廣大親切無類なる天性に、不妄語一色をおしあつるは、九牛の一毛を全牛に當るに異ならず、
新字:夫婦の別は本来智に属したるものなり、しかるを礼なりといへるは、儒道無案内なる故か、又は飲酒戒のあて所なき故かなるべし、妄語戒を信なりと云るは可也、しかれども信は天徳の至誠人間真実無妄の神理、五常百行の根本にして、自古皆有死、民無信不立とのたまふほど、広大親切無類なる天性に、不妄語一色をおしあつるは、九牛の一毛を全牛に当るに異ならず、
書き下し
夫婦の別は本来智に属したるものなり、しかるを礼なりといへるは、儒道無案内なる故か、又は飲酒戒のあて所なき故かなるべし、妄語戒を信なりと云るは可也、しかれども信は天徳の至誠人間真実無妄の神理、五常百行の根本にして、自古皆有死、民無信不立とのたまふほど、広大親切無類なる天性に、不妄語一色をおしあつるは、九牛の一毛を全牛に当るに異ならず、
現代語訳
夫婦の別は本来、智に属するものである。それを礼だというのは、儒道に無案内なためか、または飲酒戒の当てどころがないためであろう。妄語戒を信だというのはよろしい。しかし信は天徳の至誠、人間の真実無妄の神理であって、五常百行の根本であり、「古より皆死あり、民信無くんば立たず」と言われるほど広大で親切で比類のない天性であるのに、妄語しないという一色を当てはめるのは、九牛の一毛を全牛に当てるのと変わらない。
解説
この章句が説くこと
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