朱子家訓 / 凡事當留餘地
凡事當留餘地,得意不宜再往。
新字:凡事当留余地,得意不宜再往。
書き下し
凡そ事には当に余地を留むべし、得意には宜しく再び往くべからず。
現代語訳
何事も、余裕や逃げ道を残しておくべきです。うまくいって得意になったときは、同じことを重ねて繰り返してはいけません。
解説
物事を極限までやり切らず、余地を残せという教えです。追い詰めた相手には反撃の力が生まれ、自分自身も次の手を失います。後半の「得意再往せず」は、うまくいった勢いに乗ってもう一度同じ手を打つことを戒めます。成功した方法が通じなくなる局面は、突然に来るからです。『老子』の「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆うからず」にも通じる感覚があります。現代の経営でも、価格交渉で相手を追い詰めない、好調な施策を過信して全力投入しない、といった余白の取り方が、長く続く関係と事業を守ります。
この章句が説くこと
余地得意再往節度引き際余裕
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