葉隠 / 聞書第一
方々招請に参られ心入に成り、話など致され候由。此の前數年の内も、人の爲になる事ばかりを樂じ、極々の奉公好きなり。それ故一かど御用には立たれ候。人は得意な方に老耄する者なれば、奉公老耄、人の爲になりても老耄はあぶなきなり。老人は他出せぬが重くして、しまりよきなり。
新字:方々招請に参られ心入に成り、話など致され候由。此の前数年の内も、人の為になる事ばかりを楽じ、極々の奉公好きなり。それ故一かど御用には立たれ候。人は得意な方に老耄する者なれば、奉公老耄、人の為になりても老耄はあぶなきなり。老人は他出せぬが重くして、しまりよきなり。
書き下し
方々(ほうぼう)招請(しょうせい)に参られ心入(こころい)れになり、話など致され候由(そうろうよし)。この前(まえ)数年(すうねん)の内も、人の為になることばかりを楽(たの)しみ、極々(ごくごく)の奉公好(ほうこうず)きなり。それゆゑ一(ひと)かど御用(ごよう)には立たれ候。人は得意な方に老耄する者なれば、奉公老耄(ほうこうろうもう)、人の為になりても老耄はあぶなきなり。老人は他出せぬが重(おも)くして、しまりよきなり。
現代語訳
人は自分の得意な方面でこそ耄碌(もうろく)していくものだ。老人はむやみに外出しないほうがよい。あちこちの招きに応じて出向いては熱心になり、あれこれ話しこんでしまうという。この数年来も、その人は人のためになることばかりを楽しみ、まことに奉公好きであった。だからこそ一角の御用にも立ってきたのだ。しかし人は得意な方面で耄碌するものだから、奉公にかけての耄碌、たとえ人のためを思ってのことでも、その耄碌は危うい。老人はみだりに外出しないほうが、重々しくて締まりがよいのである。
解説
「人は得意な方に老耄する」という、老いへの鋭い洞察を含む一条です。得意で熱心な分野ほど、老いてなお前へ出たがり、かえって節度を失って締まりを欠く、という戒めです。ここでは奉公好き・世話好きの人が、その熱心さゆえに晩年つい出過ぎてしまう危うさを指しています。長所や情熱そのものを否定するのではなく、盛りを過ぎたら控えめに構えるほうが重みが出る、という引き際の知恵です。現代でも、経験豊かなベテランほど得意分野で口や手を出し過ぎ、若手の場を奪ってしまうことがあります。自分が最も熱心な領域でこそ、退く頃合いを意識したいものです。
この章句が説くこと
引き際老いの自覚得意分野の落とし穴節度出過ぎない重み
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