朱子家訓 / 居家戒爭訟
居家戒爭訟,訟則終凶; 處世戒多言,言多必失。
新字:居家戒争訟,訟則終凶; 処世戒多言,言多必失。
書き下し
家に居りては争訟を戒む、訟すれば則ち終に凶なり。 世に処しては多言を戒む、言多ければ必ず失あり。
現代語訳
家で暮らすときは、争いごとや訴え合いを避けなさい。訴え合えば、結局は悪い結果になります。 世の中で生きていくときは、口数の多さを慎みなさい。言葉が多ければ、必ず失言が出ます。
解説
家の中では争いや訴訟を避け、世間では口数を慎めという、二つの戒めを並べた条です。「訟則終凶」は『易経』訟の卦の「終えれば凶」に通じる考えで、争いは勝っても何かを失うと説きます。後半の「言多必失」は、話せば話すほど言い誤りが増えるという、古くからの経験則です。成立当時の家は一族の結びつきが強く、内輪の争いが家そのものを傷つけました。現代の組織でも、社内の対立を持ち出して白黒をつけるより、話し合いで収めるほうが傷は浅くすみます。会議での発言も、量より要点が問われます。
この章句が説くこと
争訟終凶処世多言言多必失戒め
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