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家道訓 / 巻之二・総論中

一我が身事足ることを知らずして、人をむさぼる者は、身富めりといへど心にまどし。我が身、事足ることを知りて、むさぼりなき人は、身貧しけれど心は富めり。一訟をば俗にくじと云ふ。くじは人と理非をあらそふなり。凡初において、證人を多くむすび、證文を詳に取りおき、初をよくつゝしめば、終に訟なし。初おろそかなれば、人よりひが事を言ひかけられて、後に悔あり。後に悔なからんことをおもはば、初に心を用ひてつゝしむべし。およそ我が身正直にして、人に邪曲ありとも、なるべきほどは堪忍すべし。我が取るべき財を人にかすめらるゝとも、我家の亡びにならざるほどは、損失を堪忍すべし。小人とあらそひて、奉行に訟へ對決し、人をとがにおとしいるゝも快からず。

新字:一我が身事足ることを知らずして、人をむさぼる者は、身富めりといへど心にまどし。我が身、事足ることを知りて、むさぼりなき人は、身貧しけれど心は富めり。一訟をば俗にくじと云ふ。くじは人と理非をあらそふなり。凡初において、証人を多くむすび、証文を詳に取りおき、初をよくつゝしめば、終に訟なし。初おろそかなれば、人よりひが事を言ひかけられて、後に悔あり。後に悔なからんことをおもはば、初に心を用ひてつゝしむべし。およそ我が身正直にして、人に邪曲ありとも、なるべきほどは堪忍すべし。我が取るべき財を人にかすめらるゝとも、我家の亡びにならざるほどは、損失を堪忍すべし。小人とあらそひて、奉行に訟へ対決し、人をとがにおとしいるゝも快からず。

書き下し

一我が身事足ることを知らずして、人をむさぼる者は、身富めりといへど心にまどし。我が身、事足ることを知りて、むさぼりなき人は、身貧しけれど心は富めり。一訟をば俗にくじと云ふ。くじは人と理非をあらそふなり。凡初において、証人を多くむすび、証文を詳に取りおき、初をよくつつしめば、終に訟なし。初おろそかなれば、人よりひが事を言ひかけられて、後に悔あり。後に悔なからんことをおもはば、初に心を用ひてつつしむべし。およそ我が身正直にして、人に邪曲ありとも、なるべきほどは堪忍すべし。我が取るべき財を人にかすめらるるとも、我家の亡びにならざるほどは、損失を堪忍すべし。小人とあらそひて、奉行に訟へ対決し、人をとがにおとしいるるも快からず。

現代語訳

自分の身に事足りていることを知らずに、人のものをむさぼる者は、身は富んでいても心は貧しいのです。自分の身に事足りていることを知って、むさぼりのない人は、身は貧しくても心は富んでいます。訴訟を俗にくじといいます。くじは人と理非を争うことです。およそ初めに証人を多く立て、証文を詳しく取っておき、初めをよく慎めば、ついに訴訟はありません。初めがおろそかであれば、人からひがごとを言いかけられて、後に悔いがあります。後に悔いがないようにと思うなら、初めに心を用いて慎むべきです。およそ自分の身が正直で、人によこしまなことがあっても、できる限りは堪忍すべきです。自分が取るべき財を人にかすめ取られても、自分の家の滅びにならない程度なら、損失を堪忍すべきです。小人と争って奉行所に訴えて対決し、人を罪に陥れるのも快いことではありません。

解説

前半は老子第三十三章の「足るを知る者は富む」に通じる教えで、むさぼる者は富んでいても心が貧しく、足るを知る者は貧しくても心が富んでいると言います。後半は訴訟の心得で、証人を立て証文を詳しく取るなど初めを慎めば争いは起こらないと説き、たとえ自分が正しくても、家が滅びるほどでなければ損失を堪忍せよと勧めます。契約書をきちんと交わしておくことや、争いより和解を選ぶ知恵は、今の暮らしや商取引にもそのまま役立ちます。

この章句が説くこと

知足訴訟堪忍契約欲

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