朱子家訓 / 輕聽發言
輕聽發言,安知非人之譖愬?當忍耐三思; 因事相争,焉知非我之不是?須平心暗想。
新字:軽聴発言,安知非人之譖愬?当忍耐三思; 因事相争,焉知非我之不是?須平心暗想。
書き下し
軽々しく聴きて言を発すれば、安んぞ人の譖愬に非ざるを知らんや。当に忍耐して三たび思うべし。 事に因りて相い争うとき、焉んぞ我が是ならざるに非ざるを知らんや。須く心を平らかにして暗に想うべし。
現代語訳
人の言葉を軽々しく聞き入れて口に出せば、それが人を陥れる告げ口でないと、どうして分かるでしょうか。じっとこらえて、三度よく考えるべきです。 ことがらをめぐって人と争うとき、自分が間違っていないと、どうして言い切れるでしょうか。心を平らかにして、静かに内省すべきです。
解説
噂や告げ口を鵜呑みにして動かないこと、そして争いのときこそ自分の非を疑うことを説いています。「譖愬」は他人をおとしいれるための讒言のことです。『論語』にも、じわじわと染みる讒言に惑わされない者は明察の人だという趣旨の言葉があります。三度考えるのは、感情が先に動くのを一度止めるためです。後半は、相手を責める前に自分の側の落ち度を静かに想うよう求めます。現代でも、部下の悪評を伝え聞いたとき、あるいは取引先と揉めたとき、まず事実を確かめ、自分に非がないかを見直す姿勢が、人間関係の傷を最小限に抑えます。
この章句が説くこと
譖愬忍耐三思争い平心内省
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