春秋左氏伝 / 哀公十六年 石乞、烹らる
而長者使余勿言。曰。不言將烹。乞曰。此事克則為卿。不克則烹。固其所也。何害。乃烹石乞。王孫燕奔頯黃氏。諸梁兼二事。國寧。乃使寧為令尹。使寬為司馬。而老於葉。衛侯占夢嬖人。求酒於大叔僖子。不得。與卜人比。而告公曰。君有大臣在西南隅。弗去。懼害。乃逐大叔遺。遺奔晉。衛侯謂渾良夫曰。吾繼先君。而不得其器。若之何。良夫代執火者而言。曰。疾與亡君。皆君之子也。召之。而擇材焉。可也。若不材。器可得也。豎告大子。大子使五人輿豭從己。劫公而強盟之。且請殺良夫。公曰。其盟免三死。曰。請三之後。有罪殺之。公曰。諾哉。
新字:而長者使余勿言。曰。不言将烹。乞曰。此事克則為卿。不克則烹。固其所也。何害。乃烹石乞。王孫燕奔頯黄氏。諸梁兼二事。国寧。乃使寧為令尹。使寛為司馬。而老於葉。衛侯占夢嬖人。求酒於大叔僖子。不得。与卜人比。而告公曰。君有大臣在西南隅。弗去。懼害。乃逐大叔遺。遺奔晋。衛侯謂渾良夫曰。吾継先君。而不得其器。若之何。良夫代執火者而言。曰。疾与亡君。皆君之子也。召之。而択材焉。可也。若不材。器可得也。豎告大子。大子使五人輿豭従己。劫公而強盟之。且請殺良夫。公曰。其盟免三死。曰。請三之後。有罪殺之。公曰。諾哉。
書き下し
而るに長者、余をして言ふこと勿からしむ」と。曰く、「言はずんば將に烹んとす」と。乞曰く、「此の事、克たば則ち卿と為り、克たずんば則ち烹らる。固より其の所なり。何ぞ害あらん」と。乃ち石乞を烹る。王孫燕、頯黃氏に奔る。諸梁、二事を兼ぬ。國寧し。乃ち寧をして令尹為らしめ、寬をして司馬為らしめて、葉に老す。衛侯の占夢の嬖人、酒を大叔僖子に求めて得ず。卜人と比して、公に告げて曰く、「君に大臣の西南隅に在る有り。去らずんば、害あらんことを懼る」と。乃ち大叔遺を逐ふ。遺、晉に奔る。衛侯、渾良夫に謂ひて曰く、「吾、先君を繼げども、其の器を得ず。之を若何せん」と。良夫、火を執る者に代りて言ひて曰く、「疾と亡君とは、皆君の子なり。之を召して、材を擇ぶ、可なり。若し材あらずんば、器得可きなり」と。豎、大子に告ぐ。大子、五人をして豭を輿きて己に從はしめ、公を劫かして強ひて之と盟ひ、且つ良夫を殺さんと請ふ。公曰く、「其の盟は三死を免す」と。曰く、「請ふ、三の後、罪有らば之を殺さん」と。公曰く、「諾」と。
現代語訳
しかし、あの方(白公)が私に言うなと命じたのだ」。人々は「言わなければ釜ゆでにするぞ」と言った。石乞は言った。「この事は、成功すれば卿となり、失敗すれば釜ゆでになる。もとより覚悟の上だ。何を恐れることがあろう」。そこで石乞を釜ゆでにした。白公の弟の王孫燕は頯黄氏(きこうし)のもとへ逃げた。諸梁(葉公)は令尹と司馬の二つの職を兼ねた。国が落ち着くと、寧(子西の子の子国)を令尹とし、寛(子期の子)を司馬として、自分は葉の地に引退した。衛では、衛侯(荘公)の夢占いをする寵臣が大叔僖子(大叔遺)に酒を求めたが、もらえなかった。そこで卜人と結託して公に告げた。「君には西南の隅に住む大臣がおります。除かなければ、害があることを恐れます」。そこで大叔遺を追放した。遺は晋に亡命した。衛侯は渾良夫に言った。「私は先君の位を継いだが、その宝器を手に入れていない(出公輒が持ち去った)。どうしたものか」。良夫は、たいまつを持つ者に代わって火を持ち、人払いをしたうえで言った。「疾(太子)も亡命中の君(輒)も、どちらも君のお子です。輒を呼び戻して、才ある方を選べばよろしい。もし輒に才がなくても、宝器は手に入ります」。小姓がこれを太子に告げた。太子は五人の者に雄豚を車に載せて自分に従わせ、公を脅して無理に盟約させ、さらに良夫を殺したいと求めた。公は言った。「良夫との盟約では、死罪を三度まで免じることになっている」。太子は言った。「では三度を超えた後に罪があれば、殺させてください」。公は「よかろう」と言った。
解説
この章句が説くこと
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