甲陽軍鑑 / 品第四十七
彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郞が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郞が其方ことざまに申上候へば何とも可然樣無之候、如何やうなることにて其方は平三郞ににくまれ候や、貴殿事三法印へ對せられて定めて當年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郞が申をしへ、
新字:彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郎が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郎が其方ことざまに申上候へば何とも可然様無之候、如何やうなることにて其方は平三郎ににくまれ候や、貴殿事三法印へ対せられて定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郎が申をしへ、
書き下し
彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郎が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郎が其方ことざまに申上候へば何とも可然様無之候、如何やうなることにて其方は平三郎ににくまれ候や、貴殿事三法印へ対せられて定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郎が申をしへ、
現代語訳
かの落合彦助の七十にあまる老母を、法師の手に渡し籠の内にて責め殺されたるは、名代の恥にてはなきか。すでにその方をば信玄公の御意に、曲淵にも年こそ劣るとも武篇の事は劣る者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ。今ははや臆病者と仰せ出だされ候は、みな平三郎の御取り成しが悪しき申しなしゆえである。我らは親子いたし、よきように仕りたく存ずれども、平三郎がその方をことざまに申し上げ候えば、何ともしかるべきようこれなく候。いかようなる事にて、その方は平三郎に憎まれ候や。貴殿の事は三法印へ対せられて、定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年が明ければやがて大事であると、さまざま源五郎が申し教え。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
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『甲陽軍鑑』品第四十七長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに悪口申す、頭の下知につかざるは大悪事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
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説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
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論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
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『甲陽軍鑑』品第十三ある時両人談合して己々が所領を沢山にとらんと思ひ、扇谷殿へ申けるは、御台所入り是なくして事不弁にましますに、家老衆は江戸河越の国中に徘徊の儀、末の御代にはあの衆の子共扇谷御子孫へ敵対申、御子孫は公方のごとく成給ひ家老衆は両上杉殿御仕合に少シもたがひ申まじ、御分別有べき由申上る処に扇谷殿武州江戸太田道灌を召寄殺し給ふ、是を聞て残る上田·見田·荻谷を始め道灌が一類城主共のことは申に及ばず少しも身を持たる衆大形身がまへクチ〳〵をいたし居、
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『甲陽軍鑑』品第四十七金丸平三郎夜詰に罷出候を長坂長閑が子源五郎目付になり、落合彥介に八幡の前にてきらするなり、平三郎はいつも御城にふせられ候に付、用所有て屋形様戌の時の御看経の間に小者一人にて忍び宿へまいられ、夜の四ツ時に、何心もなく急ぎ御舘へ罷出るを源五郎よく存じ候てをしへ、平三郎二十一の歳落合彥介にきられたる事、長坂源五郎が讒言の故なりとは彼彥介申こしたるにてほどしれ候なり、