甲陽軍鑑 / 品第四十七
長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに惡口申す、頭の下知につかざるは大惡事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣彌次郞へ雜言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
新字:長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに悪口申す、頭の下知につかざるは大悪事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
書き下し
長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに悪口申す、頭の下知につかざるは大悪事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
現代語訳
長坂長閑・跡部大炊助が申す。それはあの方々が、信玄公の御心をよく存ぜられずしてさようである。あの曲淵ほどの者は、旗本の事は申すに及ばず、甲州・信州・上州へかけては二千も三千もあらん。そのうえ、主または寄親をさように悪口し、頭の下知に付かざるは大悪事であるとて、すなわち長坂長閑・跡部大炊介は御機嫌を見合わせ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第を申し上げる。信玄公は聞こし召して大きに笑い給う。
解説
あの程度の者なら三国に何千といる、と代わりが利くように言う。そのうえで、上役への悪口と命令違反という重い名目を立て、機嫌を見計らって告げ口をする。ところが返ってきたのは大笑いだった。ところが返ってきたのは大笑いだった。代わりが利くように言い、上役への悪口と命令違反という重い名目を立て、機嫌まで見計らって告げ口をしたにもかかわらずである。
この章句が説くこと
讒言代替名目長坂跡部機嫌
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