論語 / 憲問篇
公伯寮愬子路於季孫,子服景伯以吿,曰:「夫子固有惑志於公伯寮,吾力猶能肆諸市朝。」子曰:「道之將行也與,命也;道之將廢也與,命也。公伯寮其如命何?」
新字:公伯寮愬子路於季孫,子服景伯以吿,曰:「夫子固有惑志於公伯寮,吾力猶能肆諸市朝。」子曰:「道之将行也与,命也;道之将廃也与,命也。公伯寮其如命何?」
書き下し
公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
現代語訳
公伯寮が子路のことを季孫に讒言した。子服景伯がそれを孔子に告げて言った。「季孫様はもともと公伯寮の言葉に惑わされておられます。私の力なら、あの男を処刑して市中にさらすこともできます。」先生はおっしゃった。「道が行われようとするのも天命であり、道が廃れようとするのも天命である。公伯寮ごときが天命をどうすることができようか。」
解説
讒言に対して報復を申し出た相手を、孔子は止めた。理由は、一個人の讒言では大勢は変わらないという判断である。強がりにも聞こえるが、実務的な意味もある。報復すれば、争いはそこで固定される。相手を排除しても、讒言が生まれる構造は残る。しかも報復に力を使えば、本来の仕事から時間が引かれる。命という言葉を持ち出したのは、自分の力の及ぶ範囲を線引きするためだろう。及ばない部分を天命として手放し、及ぶ部分に集中する。組織で悪意ある動きに遭遇したとき、この線引きは有効である。すべてに反応すれば消耗する。反応しないと決めた領域を持つことで、消耗せずに済む。孔子は無力だったのではなく、力の使い先を選んだ。
この章句が説くこと
讒言報復天命線引き消耗
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