春秋左氏伝 / 哀公十六年 白公の乱
秋。七月。殺子西。子期。于朝。而劫惠王。子西以袂掩面而死。子期曰。昔者吾以力事君。不可以弗終。抉豫章以殺人。而後死。石乞曰。焚庫弒王。不然不濟。白公曰。不可。殺王不祥。焚庫無聚。將何以守矣。乞曰。有楚國而治其民。以敬事神。可以得祥。且有聚矣。何患弗從。葉公在蔡。方城之外皆曰。可以入矣。子高曰。吾聞之。以險徼幸者。其求無饜。偏重必離。聞其殺齊管脩也。而後入。白公欲以子閭為王。子閭不可。遂劫以兵。子閭曰。王孫若安靖楚國。匡正王室。而後庇焉。啟之願也。敢不聽從。若將專利。以傾王室。不顧楚國。有死不能。
新字:秋。七月。殺子西。子期。于朝。而劫恵王。子西以袂掩面而死。子期曰。昔者吾以力事君。不可以弗終。抉予章以殺人。而後死。石乞曰。焚庫弒王。不然不済。白公曰。不可。殺王不祥。焚庫無聚。将何以守矣。乞曰。有楚国而治其民。以敬事神。可以得祥。且有聚矣。何患弗従。葉公在蔡。方城之外皆曰。可以入矣。子高曰。吾聞之。以険徼幸者。其求無饜。偏重必離。聞其殺斉管脩也。而後入。白公欲以子閭為王。子閭不可。遂劫以兵。子閭曰。王孫若安靖楚国。匡正王室。而後庇焉。啓之願也。敢不聴従。若将専利。以傾王室。不顧楚国。有死不能。
書き下し
秋七月、子西・子期を朝に殺して、惠王を劫かす。子西、袂を以て面を掩ひて死す。子期曰く、「昔者吾、力を以て君に事ふ。以て終へざる可からず」と。豫章を抉きて以て人を殺し、而る後に死す。石乞曰く、「庫を焚き王を弒せん。然らずんば濟らず」と。白公曰く、「不可なり。王を殺すは不祥なり。庫を焚かば聚無し。將た何を以て守らんや」と。乞曰く、「楚國を有ちて其の民を治め、敬を以て神に事へば、以て祥を得可し。且つ聚有らん。何ぞ從はざるを患へん」と。葉公、蔡に在り。方城の外、皆曰く、「以て入る可し」と。子高曰く、「吾之を聞く、險を以て幸を徼むる者は、其の求むること饜く無し、と。偏重なれば必ず離れん」と。其の齊の管脩を殺すを聞きて、而る後に入る。白公、子閭を以て王と為さんと欲す。子閭可かず。遂に劫かすに兵を以てす。子閭曰く、「王孫若し楚國を安靖し、王室を匡正して、而る後に焉を庇はば、啟の願なり。敢へて聽從せざらんや。若し將に利を專らにして、以て王室を傾け、楚國を顧みざらんとせば、死有るとも能はず」と。
現代語訳
秋七月、白公は子西と子期を朝廷で殺し、恵王を捕らえて脅した。子西は袖で顔を覆って死んだ。子期は言った。「かつて私は力をもって君にお仕えしてきた。最後までそれを貫かねばならない」。そして樟の木を引き抜いて敵を打ち殺し、その後で死んだ。石乞は言った。「武器庫を焼き、王を殺しましょう。そうしなければ事は成りません」。白公は言った。「いけない。王を殺すのは不吉だ。倉庫を焼けば蓄えがなくなる。それで何によって国を守るのか」。石乞は言った。「楚国を手に入れてその民を治め、慎んで神々に仕えれば、吉祥は得られます。それに蓄えもあるのです。人々が従わないことを心配する必要がありましょうか」。葉公はそのとき蔡にいた。方城山の外の人々はみな「都に入るべきです」と言った。子高(葉公)は言った。「私は聞いている。危険を冒して幸運を求める者は、その欲に限りがない、と。偏って重くなれば、必ず人心は離れる」。白公が斉の管脩(管仲の子孫で楚に仕えた賢人)を殺したと聞いてから、はじめて都に入った。白公は子閭(しりょ、恵王の叔父)を王にしようとした。子閭は承知しなかった。そこで武器で脅した。子閭は言った。「王孫よ、もしあなたが楚国を安定させ、王室を正したうえで私をかばってくれるのなら、それは啓(子閭の名)の願いでもある。どうして従わないことがあろう。だが、もし利益を独り占めして王室を傾け、楚国を顧みないつもりなら、死んでもお受けできない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公二十六年 縦にして其の罪を盈たしめよ二十六年夏五月、叔孫舒、師を帥ゐて越の皋如・后庸、宋の樂茷に會し、衛侯を納れんとす。文子、之を納れんと欲す。懿子曰く、「君は愎にして虐なり。少しく之を待て。必ず民に毒せん。乃ち子に睦まん」と。師、外州を侵し、大いに獲。出でて之を禦ぎ、大いに敗る。褚師定子の墓を掘り、之を平莊の上に焚く。文子、王孫齊をして皋如に私せしめて曰く、「子、將に大いに衛を滅ぼさんとするか。抑も君を納るるのみか」と。皋如曰く、「寡君の命は他無し。衛君を納るるのみ」と。文子、衆を致して焉に問ひて曰く、「君、蠻夷を以て國を伐つ。國幾ど亡びんとす。請ふ、之を納れん」と。衆曰く、「納るること勿かれ」と。曰く、「彌牟亡びて益有らば、請ふ、北門より出でん」と。衆曰く、「出づること勿かれ」と。重く越人に賂し、申ねて開き陴を守りて公を納る。公、敢へて入らず。師還る。悼公を立つ。南氏之に相たり。城鉏を以て越人に與ふ。公曰く、「期則ち此を為す」と。苟も夫人に怨み有る者をして之に報いしむ。司徒期、越に聘す。公、攻めて其の幣を奪ふ。期、王に告ぐ。王、之を取らしむ。期、衆を以て之を取る。公怒りて、期の甥の大子為る者を殺す。遂に越に卒す。宋の景公、子無し。公孫周の子得と啟とを取りて、諸を公宮に畜ふ。未だ立つること有らず。是に於て皇緩は右師為り、皇非我は大司馬為り、皇懷は司徒為り、靈不緩は左師為り、樂茷は司城為り、樂朱鉏は大司寇為り。六卿三族、降りて政を聽き、大尹に因りて以て達す。大尹常に告げずして、其の欲を以て、君命と稱して以て令す。國人之を惡む。司城、大尹を去らんと欲す。左師曰く、「之を縱にして、其の罪を盈たしめよ。重くして基無し。能く敝るること無からんや」と。
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呂氏春秋・首時⑤飢馬厩に盈ちて嗼然たるは、未だ芻を見ざればなり。飢狗窖に盈ちて嗼然たるは、未だ骨を見ざればなり。骨と芻とを見れば、動くこと禁ず可からず。亂世の民嗼然たるは、未だ賢者を見ざればなり。賢人を見れば則ち往くこと止む可からず。往くとは其の形に非ず、心を之れ謂うか。齊は東帝を以て天下に困しみ、而して魯は徐州を取れり。邯鄲は壽陵を以て萬民に困しみて、而して衛は繭氏を取れり。魯・衛の細を以て、皆志を大國に得たるは、其の時に遇えばなり。故に賢主秀士の黔首を憂えんと欲する者は、亂世之に當たれり。天は再び與えず、時は久しく留まらず。能は兩つながら工ならず、事之に當たるに在り。
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『春秋左氏伝』哀公二十五年 衆怒は犯し難し而して大子疾の宮より、譟ぎて以て公を攻む。鄄子士、之を禦がんと請ふ。彌、其の手を援きて曰く、「子は則ち勇なり。將た君を若何せん。先君を見ずや。君、何の所にか欲を逞しくせざらん。且つ君嘗て外に在り。豈に必ずしも反らざらんや。今に當りては可ならず。衆怒は犯し難し。休まば間し易きなり」と。乃ち出づ。將に蒲に適かんとす。彌曰く、「晉は信無し。可ならず」と。將に鄄に適かんとす。彌曰く、「齊・晉、我を爭ふ。可ならず」と。將に泠に適かんとす。彌曰く、「魯は與にするに足らず。請ふ、城鉏に適きて、以て越を鉤かん。越に君有り」と。乃ち城鉏に適く。彌曰く、「衛の盜、知る可からざるなり。請ふ、速かにせよ。我より始めん」と。乃ち寶を載せて以て歸る。公、支離の卒を為り、祝史揮に因りて以て衛を侵す。衛人之を病む。懿子、之を知り、子之に見えて、揮を逐はんと請ふ。文子曰く、「罪無し」と。懿子曰く、「彼、利を專らにするを好みて妄なり。夫れ君の入るを見ば、將に先づ道かんとす。若し之を逐はば、必ず南門より出でて、君の所に適かん。夫れ越は新たに諸侯を得たり。將に必ず師を請はん」と。揮、朝に在り。吏をして諸を其の室より遣らしむ。揮出づ。信するも内れず。五日、乃ち諸を外里に館す。遂に寵有り。越に如きて師を請はしむ。
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『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
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説苑・說叢時なるかな、時なるかな。間謀に及ばず。時の極みに至れば、間息を容れず。勞して體せざれば、亦た將に自ら息わんとす。有りて施さざれば、亦た將に自ら得んとす。
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説苑・說叢時至らざれば、強いて生ずべからず。事究めざれば、強いて求むべからず。貞良にして亡ぶるは、先人の餘殃なり。猖獗にして活くるは、先人の餘烈なり。權は重きを取り、澤は長きを取る。才賢にして任輕ければ則ち名有り、不肖にして任大なれば身死し名廢る。
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