春秋左氏伝 / 哀公十六年 熊宜僚、剣に動かず
曰。王孫何自厲也。曰。勝以直聞。不告女。庸為直乎。將以殺爾父。平以告子西。子西曰。勝如卵。余翼而長之。楚國第。我死。令尹司馬。非勝而誰。勝聞之曰。令尹之狂也。得死乃非我。子西不悛。勝謂石乞。曰王與二卿士。皆五百人當之。則可矣。乞曰。不可得也。曰。市南有熊宜僚者。若得之。可以當五百人矣。乃從白公而見之。與之言。說。告之故。辭。承之以劍。不動。勝曰。不為利諂。不為威惕。不洩人言。以求媚者。去之。吳人伐慎。白公敗之。請以戰備獻。許之。遂作亂。
新字:曰。王孫何自厲也。曰。勝以直聞。不告女。庸為直乎。将以殺爾父。平以告子西。子西曰。勝如卵。余翼而長之。楚国第。我死。令尹司馬。非勝而誰。勝聞之曰。令尹之狂也。得死乃非我。子西不悛。勝謂石乞。曰王与二卿士。皆五百人当之。則可矣。乞曰。不可得也。曰。市南有熊宜僚者。若得之。可以当五百人矣。乃従白公而見之。与之言。説。告之故。辞。承之以剣。不動。勝曰。不為利諂。不為威惕。不洩人言。以求媚者。去之。呉人伐慎。白公敗之。請以戦備献。許之。遂作乱。
書き下し
曰く、「王孫、何ぞ自ら厲ぐや」と。曰く、「勝は直を以て聞ゆ。女に告げずんば、庸ぞ直と為さんや。將に以て爾の父を殺さんとす」と。平、以て子西に告ぐ。子西曰く、「勝は卵の如し。余、翼して之を長ず。楚國の第、我死せば、令尹・司馬、勝に非ずして誰ぞ」と。勝、之を聞きて曰く、「令尹の狂なるや。死を得ば乃ち我に非ず」と。子西悛めず。勝、石乞に謂ひて曰く、「王と二卿士と、皆五百人もて之に當らば、則ち可なり」と。乞曰く、「得可からざるなり」と。曰く、「市の南に熊宜僚なる者有り。若し之を得ば、以て五百人に當る可し」と。乃ち白公に從ひて之を見る。之と言ひて說ぶ。之に故を告ぐ。辭す。之に承くるに劍を以てす。動かず。勝曰く、「利の為に諂はず、威の為に惕れず、人の言を洩らして以て媚を求めざる者なり」と。之を去る。吳人、慎を伐つ。白公、之を敗る。戰備を以て獻ぜんと請ふ。之を許す。遂に亂を作す。
現代語訳
平が言った。「王孫(勝)よ、どうして自分で剣を研いでいるのか」。勝は言った。「勝は正直者として知られている。おまえに告げなければ、どうして正直と言えよう。これでおまえの父を殺すつもりだ」。平はこれを子西に告げた。子西は言った。「勝は卵のようなものだ。私が翼の下で温めて育ててきた。楚国の序列では、私が死ねば、令尹か司馬になるのは勝でなくて誰だというのか」。勝はこれを聞いて言った。「令尹は狂っている。あの男が畳の上で死ねたなら、私は私ではない」。子西は態度を改めなかった。勝は石乞に言った。「王と二人の卿(子西と子期)に、それぞれ五百人ずつ当てれば、事は成る」。石乞は言った。「それだけの人数は得られません」。さらに言った。「市場の南に熊宜僚(ゆうぎりょう)という者がいます。もしこの男を得られれば、五百人に匹敵します」。そこで白公に従って会いに行った。話してみると白公は気に入り、計画のわけを打ち明けた。熊宜僚は断った。剣を突きつけたが、身じろぎもしなかった。勝は言った。「利のためにへつらわず、威しにも恐れず、人の秘密を漏らして取り入ろうともしない男だ」。そう言って立ち去った。呉が楚の慎の邑を攻めた。白公はこれを破った。戦利品の武具を献上したいと願い出て、許された。そうして乱を起こした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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易経・履卦素履の往くは、独り願いを行うなり。幽人貞にして吉とは、中自ら乱れざるなり。眇にして能く視るとは、以て明有るに足らざるなり。跛にして能く履むとは、以て与に行くに足らざるなり。人を咥うの凶は、位当たらざればなり。武人大君と為るとは、志剛なればなり。愬愬たれば終には吉とは、志行わるるなり。夬めて履む、貞なれども厲しとは、位正に当たればなり。元いに吉にして上に在り、大いに慶び有るなり。
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『春秋左氏伝』昭公四年 多難、国を興す齊・楚は難多し。是の三者有り、何(いづ)れに鄉ひて濟らざらん」と。對へて曰く、「險と馬とを恃みて、鄰國の難を虞(たの)むは、是れ三殆なり。四嶽・三塗・陽城・大室・荊山・中南は、九州の險なり。是れ一姓ならず。冀の北土は、馬の生ずる所なるも、興國無し。險と馬とを恃むは、以って固しと為す可からざるなり。古より以って然り。是を以って先王は德音を務め脩めて、以って神人に亨(とほ)す。其の險と馬とを務むるを聞かざるなり。鄰國の難は、虞む可からざるなり。或いは難多くして以って其の國を固め、其の疆土を啟く。或いは難無くして以って其の國を喪ひ、其の守宇を失ふ。若何ぞ難を虞まん。齊に仲孫の難有りて桓公を獲、今に至るまで之に賴る。晉に里・丕の難有りて文公を獲、是を以って盟主と為る。衛・邢は難無く、敵も亦た之を喪ぼす。故に人の難は、虞む可からざるなり。此の三者を恃みて政德を脩めずんば、亡ぶるに暇あらず、又何ぞ能く濟らん。君其れ之を許せ。紂は淫虐を作し、文王は惠和なり。
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孫子・行軍篇辞卑くして備えを益す者は、進むなり。辞強くして進駆する者は、退くなり。軽車先ず出でて其の側に居る者は、陣するなり。約無くして和を請う者は、謀るなり。
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『春秋左氏伝』僖公五年 弦子、恃みて備えず陳の轅宣仲鄭の申侯の己に召陵に反きしを怨む。故に之に其の賜邑に城かんことを勸めて、曰く、「美しく之に城くは、大名なり。子孫忘れざらん。吾子を助けて請はん」と。乃ち之が爲に諸侯に請ひて之に城く、美し。遂に諸を鄭伯に譖して曰く、「美しく其の賜邑に城くは、將に以って叛かんとするなり」と。申侯是に由りて罪を得たり。秋、諸侯盟ふ。王周公をして鄭伯を召さしめて曰く、「吾女を撫して以って楚に從はしめ、之を輔くるに晉を以ってせば、以って少しく安んず可し」と。鄭伯王命を喜び、而して其の齊に朝せざるを懼る。故に逃げ歸りて盟はず。孔叔之を止めて曰く、「國君は以って輕かる可からず。輕ければ則ち親を失ふ。親を失へば、患ひ必ず至る。病みて盟を乞はば、喪ふ所多からん。君必ず之を悔いん」と。聽かず。其の師を逃れて歸る。楚の鬭穀於菟弦を滅ぼす。弦子黃に奔る。是に於いて江・黃・道・柏方に齊に睦まじく、皆弦の姻なり。弦子之を恃みて楚に事へず、又備へを設けず。故に亡ぶ。
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易経・夬卦勝たずして往くは、咎なり。莫夜に戎有るも、中道を得ればなり。君子夬夬たるは、終に咎无きなり。其の行くこと次且たるは、位当らざればなり。言を聞きて信ぜざるは、聡明らかならざればなり。中行なれば咎无しとは、中未だ光いならざるなり。号ぶこと无きの凶は、終に長かるべからざるなり。
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尚書・西伯戡黎祖伊反りて曰く、「嗚呼(ああ)、乃の罪多く参(つら)なりて上に在り、乃ち能く命を天に責めんや。殷の即ち喪ぶる、乃の功を指さば、爾の邦に戮せられざること無からん。」
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