呻吟語 / 内篇・問學・日落ちて城門に趕る
日落趕城門,遲一腳便關了,何處止宿?故學貴及時。懸崖抱孤樹,鬆一手便脫了,何處落身?故學貴著力。故傷悲於老大,要追時除是再生;既失於將得,要仍前除是從頭。
新字:日落趕城門,遅一脚便関了,何処止宿?故学貴及時。懸崖抱孤樹,鬆一手便脱了,何処落身?故学貴著力。故傷悲於老大,要追時除是再生;既失於将得,要仍前除是従頭。
書き下し
日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
現代語訳
日が落ちてから城門へ駆けつける。一歩遅れればもう閉まっていて、どこに泊まればよいのでしょうか。だから学問は時を逃さないことを貴びます。断崖で一本の木にしがみつく。片手を緩めればもう落ちていて、どこに身を落ち着ければよいのでしょうか。だから学問は力を入れることを貴びます。年老いてから悲しんでも、時を取り戻すには生まれ直すほかありません。あと少しで得られるところで失えば、元に戻すには初めからやり直すほかありません。
解説
二つの切迫した場面で、時機と力の大切さを示します。閉まりかけた城門と、断崖の一本の木。どちらも一瞬の遅れや緩みが取り返しのつかない結果を生みます。そして後半は、遅れた後の代償を示す。生まれ直すか、初めからやり直すか。どちらも現実には不可能で、だからこそ今の一歩が重いという構成です。だからこそ今の一歩が重い、という構成になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
時機力切迫取り返し緩み
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