史記 / 張耳陳余列伝
貫高者、趙相也。趙王張敖被疑謀反、漢逮捕趙王及群臣。貫高等自繫、有欲自殺者。貫高怒罵曰、誰令公為之。今王實無謀、而并捕王。公等皆死、誰白王不反者。乃轞車膠致、與王詣長安。治張敖之罪。上使泄公問之。貫高身無可擊者、笞數千、刺剟、身無可擊者、終不復言。呂后數言張王以魯元公主故不宜有此。上怒。貫高卒白張王不反。上賢貫高為人能立然諾、使泄公告之曰、張王已出、因赦貫高。貫高喜曰、吾王審出乎。曰、然。貫高曰、所以不死者、白張王不反也。今王已出、吾責已塞、死不恨矣。且人臣有篡殺之名、何面目復事上哉。乃仰絕骯、遂死。名聞天下。
新字:貫高者、趙相也。趙王張敖被疑謀反、漢逮捕趙王及群臣。貫高等自繫、有欲自殺者。貫高怒罵曰、誰令公為之。今王実無謀、而并捕王。公等皆死、誰白王不反者。乃轞車膠致、与王詣長安。治張敖之罪。上使泄公問之。貫高身無可擊者、笞数千、刺剟、身無可擊者、終不復言。呂后数言張王以魯元公主故不宜有此。上怒。貫高卒白張王不反。上賢貫高為人能立然諾、使泄公告之曰、張王已出、因赦貫高。貫高喜曰、吾王審出乎。曰、然。貫高曰、所以不死者、白張王不反也。今王已出、吾責已塞、死不恨矣。且人臣有篡殺之名、何面目復事上哉。乃仰絶骯、遂死。名聞天下。
書き下し
貫高は、趙の相なり。趙王張敖謀反を疑はれ、漢趙王及び群臣を逮捕す。貫高等自ら繋がれ、自殺せんと欲する者有り。貫高怒罵して曰く、「誰か公をして之を為さしめしや。今王実に謀無きに、而も并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白かにせん」と。乃ち轞車膠致し、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上泄公をして之を問はしむ。貫高身に撃つ可き者無く、笞たること数千、刺剟し、身に撃つ可き者無きも、終に復た言はず。呂后数々張王を言ふに魯元公主の故を以て宜しく此有るべからずと。上怒る。貫高卒に張王の反せざるを白かにす。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして之に告げしめて曰く、「張王已に出づ」と、因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審に出づるか」と。曰く、「然り」と。貫高曰く、「死せざる所以は、張王の反せざるを白かにすればなり。今王已に出づ、吾が責已に塞がる、死すとも恨みじ。且つ人臣篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、遂に死す。名天下に聞こゆ。
現代語訳
「主君の無実を証明するためだけに、拷問に耐えて生き抜き、責を果たすと潔く死ぬ」——真の忠義と、責任を全うすることの気高さを描いた、貫高の物語の一段です。趙の宰相・貫高は、主君の趙王・張敖が無実の謀反の疑いで逮捕されたとき、共に捕らえられました。周囲には絶望して自殺しようとする者もいましたが、貫高は激しく叱ります。「誰が謀反を企てたというのだ(=実際に企てたのは自分たち家臣で、王は無関係だ)。王は本当に何も知らないのに、共に捕らえられた。我々がここで皆死んでしまえば、誰が王の無実を証明するのか」と。彼は、王の無実を晴らすという一点のために、死なずに生き抜くことを選んだのです。取り調べで、貫高は、体中に打つ場所もないほど(笞数千、串刺し)の凄惨な拷問を受けましたが、決して虚偽の自白(王が主犯だという嘘)をしませんでした。ついに、その一貫した供述によって、張王の無実が証明されます。貫高の人柄——一度した約束(然諾)を必ず守る信義の人——を高く評価した皇帝(高祖)は、貫高をも赦免しようと、使者を送って「趙王は釈放された」と伝えさせました。貫高は喜んで「我が王は本当に釈放されたのか」と確かめ、「そうだ」との答えを聞くと、こう言いました。「私が死なずに耐えてきたのは、ただ王の無実を証明するためだった。今、王が釈放され、私の責任は果たされた。もう死んでも悔いはない。それに、臣下でありながら(謀反の計画に関わり)主君を危うくした汚名を負った身で、どの面下げて、また皇帝にお仕えできようか」と。そして自ら首の骨を絶って、命を絶ったのです。その名は天下に鳴り響きました。ここに、忠義と責任についての深い教訓があります。第一に、真の忠義は、無謀に死ぬことではなく、なすべき責任を果たすことにあるということ。貫高は、絶望して自殺することもできましたが、それでは王の無実は晴れない。彼は、屈辱と拷問に耐えてでも生き抜き、「王の無実を証明する」という自分の果たすべき責任を全うした。感情に任せた死ではなく、目的を達するための忍耐こそが、真の忠誠でした。第二に、責任を果たしたら、潔く身を処す気高さ。貫高は、目的を達すると、恩赦を受けて生き延びる道もあったのに、汚名を負った身で仕え続けることを潔しとせず、自ら死を選んだ。第三に、信義(然諾を守る)を貫く人物は、敵からも敬われるということ。貫高の一貫した信義は、彼を裁く側の皇帝すら感嘆させ、「賢」と評させた。組織や人生で、無謀な行動ではなく、なすべき責任を果たすために忍耐すること、そして責任を果たした後の身の処し方に品格を持つこと、信義を貫くこと——貫高の生き様は、真の忠義と責任のあり方を、気高く示しています。