春秋左氏伝 / 成公十六年 再び国君を辱めず
郤至三遇楚子之卒。見楚子必下。免冑而趨風。楚子使工尹襄問之以弓。曰。方事之殷也。有韎韋之跗注。君子也。識見不穀而趨。無乃傷乎。郤至見客。免冑承命曰。君之外臣至。從寡君之戎事。以君之靈。間蒙甲冑。不敢拜命。敢告不寧。君命之辱。為事之故。敢肅使者。三肅使者而退。晉韓厥從鄭伯。其御杜溷羅曰。速從之。其御屢顧。不在馬。可及也。韓厥曰。不可以再辱國君。乃止。郤至從鄭伯。其右茀翰胡曰。諜輅之。余從之乘。而俘以下。郤至曰。傷國君有刑。亦止。石首曰。衛懿公唯不去其旗。是以敗於熒。乃內旌於弢中。唐苟謂石首曰。子在君側。敗者壹大。我不如子。子以君免。我請止。乃死。
新字:郤至三遇楚子之卒。見楚子必下。免冑而趨風。楚子使工尹襄問之以弓。曰。方事之殷也。有韎韋之跗注。君子也。識見不穀而趨。無乃傷乎。郤至見客。免冑承命曰。君之外臣至。従寡君之戎事。以君之霊。間蒙甲冑。不敢拝命。敢告不寧。君命之辱。為事之故。敢粛使者。三粛使者而退。晋韓厥従鄭伯。其御杜溷羅曰。速従之。其御屡顧。不在馬。可及也。韓厥曰。不可以再辱国君。乃止。郤至従鄭伯。其右茀翰胡曰。諜輅之。余従之乗。而俘以下。郤至曰。傷国君有刑。亦止。石首曰。衛懿公唯不去其旗。是以敗於熒。乃内旌於弢中。唐苟謂石首曰。子在君側。敗者壱大。我不如子。子以君免。我請止。乃死。
書き下し
郤至三たび楚子の卒に遇ふ。楚子を見れば必ず下り、冑を免ぎて趨ること風のごとし。楚子工尹襄をして之に問ふに弓を以ってせしめて曰く、「事の殷なるに方りて、韎韋の跗注有る者は、君子なり。不穀を識見して趨る、乃ち傷つくこと無からんや」と。郤至客に見え、冑を免ぎて命を承けて曰く、「君の外臣至、寡君の戎事に從ひ、君の靈を以って、間ま甲冑を蒙る。敢へて命を拜せず。敢へて寧からざるを告ぐ、君命の辱きに。事の為の故に、敢へて使者に肅す」と。三たび使者に肅して退く。晉の韓厥鄭伯に從ふ。其の御杜溷羅曰く、「速かに之に從へ。其の御屢しば顧みて、馬に在らず。及ぶ可きなり」と。韓厥曰く、「以って再び國君を辱しむ可からず」と。乃ち止む。郤至鄭伯に從ふ。其の右茀翰胡曰く、「諜して之を輅へん。余之に從ひて乘り、俘にして以って下らん」と。郤至曰く、「國君を傷つくれば刑有り」と。亦た止む。石首曰く、「衞の懿公唯だ其の旗を去らず、是を以って熒に敗る」と。乃ち旌を弢中に內る。唐苟石首に謂ひて曰く、「子は君の側に在り。敗者は壹に大なり。我子に如かず。子は君を以って免れよ。我請ふ止まらん」と。乃ち死す。
現代語訳
郤至は三度、楚子(共王)の親兵に出くわした。楚子の姿を見るたびに必ず車から降り、兜を脱いで風のように小走りに去った。楚子は工尹の襄を遣わし、弓を贈って郤至を見舞わせ、こう言わせた。「戦いのさなかに、赤なめし革の軍装をつけていた方は君子である。私を見知って小走りに去ったが、どこか傷を負ったのではないか」。郤至は使者に会うと、兜を脱いで命を受け、言った。「貴国の君の外臣である至は、わが君の戦いに従い、貴君の御威光のおかげで、いま甲冑をまとっております。あえてお言葉を拝受する礼はとれません。貴君のお言葉をかたじけなくも賜り、心安からぬことを申し上げます。戦の最中ゆえ、使者に対して粛の礼(立ったまま手を下げる礼)をいたします」。三度使者に粛の礼をして退いた。晋の韓厥は鄭伯(成公)を追った。その御者の杜溷羅が言った。「急いで追いましょう。鄭伯の御者はしきりに後ろを振り返り、馬に気が向いていません。追いつけます」。韓厥は言った。「二度も国君を辱めるわけにはいかない」(韓厥はかつて鞌の戦いで斉侯を追い詰めたことがある)。そこで追うのをやめた。郤至も鄭伯を追った。その車右の茀翰胡が言った。「間道から軽車を出して前をふさぎましょう。私が後から鄭伯の車に乗り移って、捕らえて降ろします」。郤至は言った。「国君を傷つければ刑罰がある」。そしてやはり追うのをやめた。鄭伯の御者の石首は言った。「衛の懿公はひたすら旗を降ろさなかったために、熒沢の戦いで敗れた」。そこで旗を弓袋の中にしまった。車右の唐苟が石首に言った。「あなたは君のそばにいる者だ。敗れた者は一つにまとまると大きな的になる。私はあなたに及ばない。あなたは君を連れて逃れてくれ。私はここに留まろう」。そして戦って死んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
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『春秋左氏伝』成公二年 逢丑父、君と位を易う其の右を射る、車中に斃る。綦毋張車を喪ひ、韓厥に從ひて曰く、「請ふ寓乘せん」と。左右に從ふ、皆之を肘し、後に立たしむ。韓厥俛して其の右を定む。逢丑父公と位を易ふ。將に華泉に及ばんとし、驂木に絓りて止まる。丑父轏中に寢ね、蛇其の下より出づ、肱を以て之を擊ち、傷つきて之を匿す、故に車を推して及ばるること能はず。韓厥縶を執りて馬前にし、再拜稽首し、觴を奉じ璧を加へて以て進めて、曰く、「寡君群臣をして魯・衛の為に請はしめて、曰く、『輿師をして、君の地に陷入せしむること無かれ』と。下臣不幸にして、屬戎行に當り、逃隱する所無し。且つ奔辟して、兩君を忝めんことを懼る。臣戎士を辱む、敢へて不敏を告ぐ。官を攝りて乏を承けん」と。丑父公をして下りて華泉に如き飲を取らしむ。鄭周父佐車に御し、宛茷右と為り、齊侯を載せて以て免る。韓厥丑父を獻ず、郤獻子將に之を戮せんとす。呼びて曰く、「今より其の君に代りて患に任ずる者有ること無からん。此に一有り、將に戮せられんとするか」と。
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『春秋左氏伝』昭公二十年 亡命の君に仕える使者辭して曰く、「亡人不佞にして、社稷を失守し、越えて草莽に在り。吾子君命を辱くする所無し」と。賓曰く、「寡君下臣に朝に命じて曰く、『阿りて執事に下れ』と。臣敢へて貳せず」と。主人曰く、「君若し先君の好を惠顧して、敝邑に昭臨し、其の社稷を鎮撫せば、則ち宗祧在る有り」と。乃ち止む。衛侯固く之に見えんことを請ふ。命を獲ず。其の良馬を以て見ゆ。未だ使ひを致さざるが為の故なり。衛侯以て乘馬と為す。賓將に掫(まは)らんとす。主人辭して曰く、「亡人の憂ひ、以て吾子に及ぼす可からず。草莽の中、以て從者を辱くするに足らず。敢へて辭す」と。賓曰く、「寡君の下臣は、君の牧圉なり。若し外役を扞ぐを獲ずんば、是れ寡君を有(たも)たざるなり。臣戾を免れざるを懼る。請ふ以て死を除かん」と。親ら鐸を執り、終夕燎に與る。齊氏の宰渠子、北宮子を召す。北宮氏の宰、謀に與り聞かず。渠子を殺し、遂に齊氏を伐ちて、之を滅ぼす。丁巳、晦。
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『春秋左氏伝』僖公九年 葵丘の会九年春、宋の桓公卒す。未だ葬らずして、襄公諸侯に會す、故に「子」と曰ふ。凡そ喪に在るとき、王は「小童」と曰ひ、公侯は「子」と曰ふ。夏、葵丘に會す、盟を尋ね、且つ好を脩む、禮なり。王宰孔をして齊侯に胙を賜はしめて曰く、「天子文武に事有り、孔をして伯舅に胙を賜はしむ」と。齊侯將に下拜せんとす。孔曰く、「且つ後命有り。天子孔をして曰はしむ、『伯舅耋老なるを以て、勞を加へ一級を賜ふ、下拜すること無かれ』と」。對へて曰く、「天威顏を違ること咫尺ならず。小白、余敢へて天子の命を貪りて下拜すること無からんや。下に隕越して、以て天子の羞を遺さんことを恐る、敢へて下拜せざらんや」と。下拜して登りて受く。秋、齊侯諸侯と葵丘に盟ひて曰く、「凡そ我が同盟の人、既に盟ふの後は、言に好に歸せん」と。宰孔先に歸り、晉侯に遇ひて曰く、「會すること無かるべし。齊侯德を務めずして遠略を勤む、故に北のかた山戎を伐ち、南のかた楚を伐ち、西のかた此の會を為す。東略は之れ知らず、西は則ち否ず。其れ亂在らんか。君は亂を靖んずるを務めよ、行くを勤むること無かれ」と。晉侯乃ち還る。九月、晉の獻公卒す。里克・丕鄭文公を納れんと欲す、故に三公子の徒を以て亂を作す。
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荀子・修身篇扁く善なるの度、以て気を治め生を養なわば、則ち彭祖に後れ、以て身を脩め名を自らにせば、則ち堯・禹に配す。時に宜しくして通じ、利ありて以て窮に処る、礼信是れなり。凡そ血気・志意・知慮を用うるに、礼に由れば則ち治通し、礼に由らざれば則ち勃乱提僈す。食飲・衣服・居処・動静、礼に由れば則ち和節し、礼に由らざれば則ち触陥して疾を生ず。容貌・態度・進退・趨行、礼に由れば則ち雅なり、礼に由らざれば則ち夷固・僻違、庸衆にして野なり。故に人は礼無ければ則ち生きず、事は礼無ければ則ち成らず、国家は礼無ければ則ち寧からず。詩に曰く、「礼儀卒に度あり、笑語卒に獲たり」とは、此れを之れ謂うなり。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 礼は天地の経緯昏媾・姻亞を為りて、以って天明に象る。政事・庸力・行務を為りて、以って四時に從ふ。刑罰・威獄を為りて、民をして畏忌せしめ、以って其の震曜殺戮に類す。溫・慈・惠・和を為りて、以って天の生殖長育に效ふ。民に好惡喜怒哀樂有り、六气より生ず。是の故に審らかに宜しく類して、以って六志を制す。哀に哭泣有り、樂に謌舞有り、喜に施舍有り、怒に戰鬥有り。喜は好より生じ、怒は惡より生ず。是の故に行ひを審らかにし令を信にし、禍福賞罰、以って死生を制す。生は好む物なり。死は惡む物なり。好む物は樂なり、惡む物は哀なり。哀樂失はざれば、乃ち能く天地の性に協ふ。是を以って長久なり」と。簡子曰く、「甚だしいかな禮の大なるや」と。對へて曰く、「禮は上下の紀、天地の經緯なり、民の生くる所以なり。是を以って先王之を尚ぶ。故に人の能く自ら曲直して以って禮に赴く者、之を成人と謂ふ。大なること亦た宜ならずや」と。簡子曰く、「鞅や、請ふ身を終ふるまで此の言を守らん」と。
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