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春秋左氏伝 / 哀公十五年 子貢、成を取り戻す

秋。齊陳瓘如楚。過衛。仲由見之。曰。天或者以陳氏為斧斤。既斲喪公室。而他人有之。不可知也。其使終饗之。亦不可知也。若善魯以待時。不亦可乎。何必惡焉。子玉曰。然。吾受命矣。子使告我弟。冬。及齊平。子服景伯如齊。子贛為介。見公孫成。曰人皆臣人。而有背人之心。況齊人雖為子役。其有不貳乎。子。周公之孫也。多饗大利。猶思不義。利不可得。而喪宗國。將焉用之。成曰。善哉。吾不早聞命。陳成子館客。曰。寡君使恆告曰。寡君願事君如事衛君。景伯揖子贛而進之。對曰。寡君之願也。昔晉人伐衛。齊為衛故。伐晉冠氏。喪車五百。因與衛地。自濟以西。禚媚杏。以南。書社五百。吳人加敝邑以亂。齊因其病。取讙與闡。寡君是以寒心。若得視衛君之事君也。則固所願也。成子病之。乃歸成。公孫宿以其兵甲入于嬴。衛孔圉取大子蒯聵之姊。生悝。孔氏之豎渾良夫。長而美。孔文子卒。通於內。大子在戚。孔姬使之焉。大子與之言曰。苟使我入獲國。服冕乘軒。三死無與。與之盟。為請於伯姬。

新字:秋。斉陳瓘如楚。過衛。仲由見之。曰。天或者以陳氏為斧斤。既斲喪公室。而他人有之。不可知也。其使終饗之。亦不可知也。若善魯以待時。不亦可乎。何必悪焉。子玉曰。然。吾受命矣。子使告我弟。冬。及斉平。子服景伯如斉。子贛為介。見公孫成。曰人皆臣人。而有背人之心。況斉人雖為子役。其有不貳乎。子。周公之孫也。多饗大利。猶思不義。利不可得。而喪宗国。将焉用之。成曰。善哉。吾不早聞命。陳成子館客。曰。寡君使恒告曰。寡君願事君如事衛君。景伯揖子贛而進之。対曰。寡君之願也。昔晋人伐衛。斉為衛故。伐晋冠氏。喪車五百。因与衛地。自済以西。禚媚杏。以南。書社五百。呉人加敝邑以乱。斉因其病。取讙与闡。寡君是以寒心。若得視衛君之事君也。則固所願也。成子病之。乃帰成。公孫宿以其兵甲入于嬴。衛孔圉取大子蒯聵之姊。生悝。孔氏之豎渾良夫。長而美。孔文子卒。通於内。大子在戚。孔姫使之焉。大子与之言曰。苟使我入獲国。服冕乗軒。三死無与。与之盟。為請於伯姫。

書き下し

秋、齊の陳瓘楚に如く。衛を過ぐ。仲由之に見えて曰く、「天或いは陳氏を以て斧斤と為し、既に公室を斲喪して、他人之を有するも、知る可からざるなり。其の終に之を饗けしむるも、亦た知る可からざるなり。若し魯を善くして以て時を待たば、亦た可ならずや。何ぞ必ずしも惡まん」と。子玉曰く、「然り。吾命を受けたり。子使ひして我が弟に告げよ」と。冬、齊と平ぐ。子服景伯齊に如く。子贛介為り。公孫成に見えて曰く、「人皆人に臣たり、而して人に背くの心有り。況んや齊人子の為に役すと雖も、其れ貳かざること有らんや。子は周公の孫なり。多く大利を饗くるも、猶ほ不義を思ふ。利得可からずして、宗國を喪はば、將た焉んぞ之を用ゐん」と。成曰く、「善い哉。吾早く命を聞かざりき」と。陳成子客を館して曰く、「寡君恆をして告げしめて曰く、『寡君君に事ふること衛君に事ふるが如くせんことを願ふ』と」。景伯子贛に揖して之を進む。對へて曰く、「寡君の願ひなり。昔晉人衛を伐つ。齊衛の為の故に、晉の冠氏を伐ち、車五百を喪ふ。因りて衛に地を與ふ。濟より以西、禚・媚・杏以南、書社五百。吳人敝邑に加ふるに亂を以てす。齊其の病に因りて、讙と闡とを取る。寡君是を以て寒心す。若し衛君の君に事ふるを視るを得ば、則ち固より願ふ所なり」と。成子之を病む。乃ち成を歸す。公孫宿其の兵甲を以て嬴に入る。衛の孔圉大子蒯聵の姊を取り、悝を生む。孔氏の豎渾良夫、長くして美なり。孔文子卒す。內に通ず。大子戚に在り。孔姬之をして焉に使ひせしむ。大子之と言ひて曰く、「苟も我をして入りて國を獲しめば、冕を服し軒に乘らしめ、三死まで與(あづか)ること無からしめん」と。之と盟ふ。為に伯姬に請ふ。

現代語訳

秋、斉の陳瓘(字は子玉、陳成子の兄)が楚へ行く途中、衛に立ち寄った。仲由(子路)が彼に会って言った。「天はあるいは陳氏を斧として用い、斉の公室を削り倒させたうえで、他の者にそれを取らせるのかもしれず、それはわかりません。あるいは最後まで陳氏に国を享けさせるのかもしれず、それもわかりません。もし魯と友好を結んで時を待つなら、それもよいのではありませんか。どうして魯を敵視する必要がありましょう」。子玉は言った。「そのとおりだ。お言葉を承った。あなたから人をやって、わが弟(陳成子)に伝えてくだされ」。冬、魯は斉と和睦した。子服景伯が斉に行き、子贛(子貢)が副使となった。子貢は、成の邑を拠点に斉に寝返った公孫成(公孫宿)に会って言った。「人は誰でも他人の臣下となりながら、その他人に背く心を持つものです。まして斉の人は、今はあなたのために働いているとしても、裏切らないということがありましょうか。あなたは周公の子孫です。大きな利益を十分に受けていても、なお不義を思うべきです。利益は得られず、祖国を失ってしまったら、いったい何になりましょう」。公孫成は言った。「よいお言葉です。もっと早くお教えを聞かなかったことが悔やまれます」。陳成子は魯の客を館に迎えて言った。「わが君が私、恒に命じて申し上げさせます。『わが君は、衛君に仕えたように魯君にお仕えしたいと願っております』」。景伯は子貢に会釈して前へ進ませた。子貢は答えた。「それはわが君の願いでもあります。昔、晋が衛を伐ったとき、斉は衛のために晋の冠氏を伐ち、兵車五百を失いました。そのうえで衛に土地を与えました。済水より西、禚・媚・杏より南の、戸籍に登録された社五百です。(それに対して)呉がわが国に乱をもたらしたとき、斉はその苦境につけこんで讙と闡を取りました。わが君はそれで心を寒からしめたのです。もし衛君が貴国の君に遇されたのと同じ扱いを受けられるのであれば、それこそもとより願うところです」。陳成子はこれに困り、そこで成の邑を魯に返した。公孫宿は自分の兵と甲冑を率いて嬴に入った。衛の孔圉(孔文子)は太子蒯聵の姉(孔姫、伯姫)を娶り、悝を生んだ。孔氏の小姓の渾良夫は背が高く美男子であった。孔文子が亡くなると、渾良夫は奥向きの孔姫と通じた。太子(蒯聵)は国外の戚にいた。孔姫は渾良夫を戚へ使いに出した。太子は彼と話して言った。「もし私を国に入れて位を得させてくれたなら、そなたに大夫の冠を着け大夫の車に乗る身分を与え、死罪を三度犯しても罪に問わないことにしよう」。こうして彼と盟約を結び、渾良夫は太子のために伯姫(孔姫)に協力を願い出た。

解説

孔子の二人の弟子、子路と子貢の外交が並ぶ句である。子路は陳成子の兄の陳瓘に、陳氏が斉を得るかどうかは天のみぞ知る、魯と結んで時を待つほうが得策だと説いた。弑逆の直後の陳氏に対して、道義で責めるのではなく先の読めなさを示して和睦へ導いている。子貢の働きはさらに鮮やかである。斉に寝返った公孫成には、裏切った者はいずれ裏切られると説いて悔いさせた。陳成子が「衛君に仕えたように魯君に仕えたい」と社交辞令を述べると、子貢はその言葉をそのまま条件に変えた。斉は衛のために兵車五百を失い、土地まで与えた。魯には逆に讙と闡を奪った。衛並みに扱ってくれるなら、それこそ願うところだ、と。陳成子は返す言葉がなく、成の邑を返した。相手の口にした好意の言葉を、実際の処遇の基準として差し出す交渉である。末尾は衛の政変の発端で、次の句で子路はこの乱に身を投じて死ぬ。

この章句が説くこと

交渉外交裏切り時を待つ言質

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