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史記 / 仲尼弟子列伝

子路爲蒲大夫,辭孔子。孔子曰:「蒲多壯士,又難治。然吾語汝:恭以敬,可以執勇;寬以正,可以比眾;恭正以靜,可以報上。」初,衞靈公有寵姬曰南子。靈公太子蕢聵得過南子,懼誅出奔。及靈公卒而夫人欲立公子郢。郢不肯,曰:「亡人太子之子輒在。」於是衞立輒爲君,是爲出公。出公立十二年,其父蕢聵居外,不得入。子路爲衞大夫孔悝之邑宰。蕢聵乃與孔悝作亂,謀入孔悝家,遂與其徒襲攻出公。出公奔魯,而蕢聵入立,是爲莊公。方孔悝作亂,子路在外,聞之而馳往。遇子羔出衞城門,謂子路曰:「出公去矣,而門已閉,子可還矣,毋空受其禍。」子路曰:「食其食者不避其難。」子羔卒去。有使者入城,城門開,子路隨而入。造蕢聵,蕢聵與孔悝登臺。子路曰:「君焉用孔悝?請得而殺之。」蕢聵弗聽。於是子路欲燔臺,蕢聵懼,乃下石乞、壺黶攻子路,擊斷子路之纓。子路曰:「君子死而冠不免。」遂結纓而死。孔子聞衞亂,曰:「嗟乎,由死矣!」已而果死。故孔子曰:「自吾得由,惡言不聞於耳。」是時子貢爲魯使於齊。

新字:子路為蒲大夫,辞孔子。孔子曰:「蒲多壮士,又難治。然吾語汝:恭以敬,可以執勇;寛以正,可以比衆;恭正以静,可以報上。」初,衛霊公有寵姫曰南子。霊公太子蕢聵得過南子,懼誅出奔。及霊公卒而夫人欲立公子郢。郢不肯,曰:「亡人太子之子輒在。」於是衛立輒為君,是為出公。出公立十二年,其父蕢聵居外,不得入。子路為衛大夫孔悝之邑宰。蕢聵乃与孔悝作乱,謀入孔悝家,遂与其徒襲攻出公。出公奔魯,而蕢聵入立,是為荘公。方孔悝作乱,子路在外,聞之而馳往。遇子羔出衛城門,謂子路曰:「出公去矣,而門已閉,子可還矣,毋空受其禍。」子路曰:「食其食者不避其難。」子羔卒去。有使者入城,城門開,子路随而入。造蕢聵,蕢聵与孔悝登台。子路曰:「君焉用孔悝?請得而殺之。」蕢聵弗聴。於是子路欲燔台,蕢聵懼,乃下石乞、壺黶攻子路,撃断子路之纓。子路曰:「君子死而冠不免。」遂結纓而死。孔子聞衛乱,曰:「嗟乎,由死矣!」已而果死。故孔子曰:「自吾得由,悪言不聞於耳。」是時子貢為魯使於斉。

書き下し

子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。

現代語訳

子路は蒲の大夫となり、孔子に別れの挨拶をした。孔子は言った。「蒲には血気盛んな者が多く、治めにくい。だが、おまえに言っておこう。慎み深く敬意をもって接すれば、勇猛な者も抑えることができる。寛大でありながら公正であれば、民衆を親しませることができる。慎み深く公正で、しかも落ち着いていれば、主君に報いることができる。」これより先、衛の霊公には南子という寵姫がいた。霊公の太子の蕢聵(かいがい)は南子の不興を買い、誅殺を恐れて国外に亡命した。霊公が亡くなると、夫人の南子は公子郢(えい)を立てようとした。郢は承知せず、「亡命した太子の子の輒(ちょう)がいる」と言った。そこで衛は輒を君主に立てた。これが出公である。出公が立って十二年、その父の蕢聵は国外にいて、帰国できずにいた。子路は衛の大夫孔悝(こうかい)の領地の宰となっていた。蕢聵は孔悝と乱を起こし、謀って孔悝の家に入り込み、ついに仲間とともに出公を襲撃した。出公は魯に逃げ、蕢聵が入って即位した。これが荘公である。孔悝が乱を起こしたとき、子路は外にいたが、それを聞いて馬を走らせて駆けつけた。衛の城門から出てきた子羔(しこう)に出会うと、子羔は子路に言った。「出公はもう去ったし、門も閉ざされた。あなたは帰った方がよい。むだに災いを受けることはない。」子路は言った。「その人の禄を食む者は、その人の難を避けないものだ。」子羔はそのまま去った。使者が城に入ろうとして城門が開いたので、子路はその後について入った。子路が蕢聵のもとへ行くと、蕢聵は孔悝とともに高台に登っていた。子路は言った。「君はどうして孔悝などを使うのか。孔悝を引き渡してほしい。わたしが殺す。」蕢聵は聞き入れなかった。そこで子路が台に火を放とうとすると、蕢聵は恐れ、石乞(せききつ)と壺黶(こえん)を下ろして子路を攻めさせ、子路の冠の紐を断ち切った。子路は「君子は死んでも冠は脱がないものだ」と言い、紐を結び直して死んだ。孔子は衛で乱が起きたと聞くと、「ああ、由は死ぬだろう」と言った。やがて果たして子路は死んだ。それゆえ孔子は「わたしが由を弟子にしてから、わたしの悪口が耳に入らなくなった」と言ったのである。このとき、子貢は魯の使者として斉に赴いていた。

解説

子路の最期を描いた、仲尼弟子列伝でも最も劇的な段です。衛では、国外に亡命していた父の蕢聵と、即位していた子の出公が君位を争い、蕢聵が孔悝を巻き込んでクーデターを起こします。孔悝の家臣だった子路は、仲間の子羔に「むだ死にするな」と止められても「禄を食む者はその難を避けない」と城内に入り、主君孔悝を救おうとして斬られます。冠の紐を切られると「君子は死すとも冠を脱がず」と結び直して死んだという姿は、礼を最後まで守った子路の象徴です。孔子は乱の知らせだけで子路の死を悟り、かつての予言が的中します。「由を得てから悪口を聞かなくなった」という言葉は、子路が師の盾となっていたことへの哀惜です。責任と引き際、忠義の意味を問う場面です。

この章句が説くこと

子路の最期子路食禄の責任忠義責任逃げない誠実

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