春秋左氏伝 / 成公二年 逢丑父、君と位を易う
射其右。斃于車中。綦毋張喪車。從韓厥曰。請寓乘。從左右。皆肘之。使立於後。韓厥俛定其右。逢丑父與公易位。將及華泉。驂絓於木而止。丑父寢於轏中。蛇出於其下。以肱擊之。傷而匿之。故不能推車而及。韓厥執縶馬前。再拜稽首。奉觴加璧以進。曰。寡君使群臣為魯衛請。曰。無令輿師。陷入君地。下臣不幸。屬當戎行。無所逃隱。且懼奔辟。而忝兩君。臣辱戎士。敢告不敏。攝官承乏。丑父使公下如華泉取飲。鄭周父御佐車。宛茷為右。載齊侯以免。韓厥獻丑父。郤獻子將戮之。呼曰。自今無有代其君任患者。有一於此。將為戮乎。
新字:射其右。斃于車中。綦毋張喪車。従韓厥曰。請寓乗。従左右。皆肘之。使立於後。韓厥俛定其右。逢丑父与公易位。将及華泉。驂絓於木而止。丑父寝於轏中。蛇出於其下。以肱撃之。傷而匿之。故不能推車而及。韓厥執縶馬前。再拝稽首。奉觴加璧以進。曰。寡君使群臣為魯衛請。曰。無令輿師。陥入君地。下臣不幸。属当戎行。無所逃隠。且懼奔辟。而忝両君。臣辱戎士。敢告不敏。摂官承乏。丑父使公下如華泉取飲。鄭周父御佐車。宛茷為右。載斉侯以免。韓厥献丑父。郤献子将戮之。呼曰。自今無有代其君任患者。有一於此。将為戮乎。
書き下し
其の右を射る、車中に斃る。綦毋張車を喪ひ、韓厥に從ひて曰く、「請ふ寓乘せん」と。左右に從ふ、皆之を肘し、後に立たしむ。韓厥俛して其の右を定む。逢丑父公と位を易ふ。將に華泉に及ばんとし、驂木に絓りて止まる。丑父轏中に寢ね、蛇其の下より出づ、肱を以て之を擊ち、傷つきて之を匿す、故に車を推して及ばるること能はず。韓厥縶を執りて馬前にし、再拜稽首し、觴を奉じ璧を加へて以て進めて、曰く、「寡君群臣をして魯・衛の為に請はしめて、曰く、『輿師をして、君の地に陷入せしむること無かれ』と。下臣不幸にして、屬戎行に當り、逃隱する所無し。且つ奔辟して、兩君を忝めんことを懼る。臣戎士を辱む、敢へて不敏を告ぐ。官を攝りて乏を承けん」と。丑父公をして下りて華泉に如き飲を取らしむ。鄭周父佐車に御し、宛茷右と為り、齊侯を載せて以て免る。韓厥丑父を獻ず、郤獻子將に之を戮せんとす。呼びて曰く、「今より其の君に代りて患に任ずる者有ること無からん。此に一有り、將に戮せられんとするか」と。
現代語訳
(韓厥の戦車の)車右を射ると、車右は車の中に倒れた。晋の綦毋張は自分の戦車を失ったので、韓厥のもとに来て言った。「どうか同乗させてください」。そして車の左や右に立とうとしたが、韓厥はそのたびに肘で押しとどめ、後ろに立たせた。韓厥は身をかがめて、倒れた車右の体を車中に落ち着かせた。この隙に、逢丑父(斉侯の車右)は斉侯と立ち位置を入れ替えた。斉侯の車は華泉のそばまで逃げたところで、添え馬が木に引っかかって止まってしまった。丑父は前の晩、荷車の中で寝ていたとき、その下から蛇が出てきたので腕で打ち払い、そのとき傷を負ったがそれを隠していた。そのため車を押して動かすことができず、韓厥に追いつかれた。韓厥は馬の綱を取って斉侯の馬の前に立ち、二度拝礼して額を地につけ、杯を捧げて璧を添えて差し出して言った。「わが君は私ども臣下を遣わして魯と衛のためにお願いさせ、『わが軍勢を君の領地の奥深くまで入り込ませてはならない』と言われました。しかし私は不幸にして、たまたま戦列に加わっており、逃げ隠れする場所もありません。そのうえ逃げ回って両君の名を汚すことも恐れます。私は武人として恥ずかしい身ではありますが、あえて不才ながら申し上げます。人手不足の折ゆえ、職を代行して(君をお連れする)務めをお引き受けいたします」。丑父は斉侯のふりをしたまま、本物の斉侯に「車を降りて華泉へ行き、飲み水を取って来い」と命じた。鄭周父が予備の戦車の御者を務め、宛茷が車右となって、斉侯を乗せて逃げ去った。韓厥は(斉侯と思い込んで)丑父を晋の陣に差し出した。郤献子(郤克)は丑父を殺そうとした。丑父は叫んだ。「これから先、自分の君に代わって災難を引き受ける者はいなくなるだろう。ここにその一人がいるのに、殺されるというのか」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』哀公十五年 子路、纓を結びて死す閏月、良夫、大子と入り、孔氏の外圃に舍る。昏に、二人、衣を蒙りて乘り、寺人羅、御す。孔氏に如く。孔氏の老欒寧、之を問ふ。姻妾と稱して以て告ぐ。遂に入り、伯姬氏に適く。既に食す。孔伯姬、戈を杖きて先んじ、大子と五人と介し、豭を輿きて之に從ふ。孔悝を廁に迫りて強ひて之と盟ひ、遂に劫かして以て臺に登る。欒寧、將に酒を飲まんとす。炙未だ熟せず。亂を聞き、季子に告げしむ。獲を召して乘車に駕せしめ、爵を行ひ炙を食ひ、衛侯輒を奉じて來奔す。季子、將に入らんとし、子羔の將に出でんとするに遇ふ。曰く、「門已に閉ぢたり」と。季子曰く、「吾姑く焉に至らん」と。子羔曰く、「及ばず。其の難を踐むこと勿かれ」と。季子曰く、「焉に食めり。其の難を辟けず」と。子羔遂に出づ。子路入る。門に及ぶ。公孫敢、焉に門して曰く、「入りて為す無きなり」と。季子曰く、「是れ公孫なり。利を焉に求めて其の難を逃る。由は然らず。其の祿を利とせば、必ず其の患を救はん」と。使者の出づる有り。乃ち入りて曰く、「大子焉んぞ孔悝を用ゐん。之を殺すと雖も、必ず或いは之を繼がん」と。且つ曰く、「大子は勇無し。若し臺を燔くこと半ばならば、必ず孔叔を舍かん」と。大子之を聞きて懼れ、石乞・盂黶を下して子路に敵せしむ。戈を以て之を擊ち、纓を斷つ。子路曰く、「君子は死すとも、冠は免がず」と。纓を結びて死す。孔子、衛の亂を聞きて曰く、「柴や其れ來らん。由や死せん」と。孔悝、莊公を立つ。莊公、故政を害とし、盡く之を去らんと欲す。先づ司徒瞞成に謂ひて曰く、「寡人、病に外に離ること久し。子請ふ亦た之を嘗めよ」と。歸りて褚師比に告げ、之と公を伐たんと欲す。果さず。
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史記 樊酈滕灌列伝項羽戯下に在りて、沛公を攻めんと欲す。沛公百余騎を従へ項伯に因りて面のあたり項羽に見え、関を閉づる事有る無きを謝す。項羽既に軍士を饗し、酒中なるに、亜父謀りて沛公を殺さんと欲し、項荘をして剣を抜き坐中に舞はしめ、沛公を撃たんと欲す。項伯常に之を屏蔽す。時に独り沛公と張良とのみ入りて坐するを得、樊噲営外に在り、事の急なるを聞き、乃ち鉄盾を持ちて入りて営に到る。営衛噲を止むるも、噲直ちに撞きて入り、帳下に立つ。項羽之を目し、誰と為すと問ふ。張良曰く「沛公の参乗樊噲なり」と。項羽曰く「壮士なり」と。之に卮酒・彘肩を賜ふ。噲既に酒を飲み、剣を抜きて肉を切りて食ひ、之を尽くす。項羽曰く「能く復た飲むか」と。噲曰く「臣死すら且つ辞せず、豈に特に卮酒のみならんや。且つ沛公先に入りて咸陽を定め、師を霸上に暴して、以て大王を待つ。大王今日至り、小人の言を聴き、沛公と隙有り、臣恐らくは天下解け、心に大王を疑はん」と。項羽黙然たり。沛公廁に如き、樊噲を麾きて去る。既に出で、沛公車騎を留め、独り一馬に騎り、樊噲等四人と歩して従ひ、間道より山下に帰り走りて霸上の軍に帰り、而して張良をして項羽に謝せしむ。項羽も亦た因りて遂に已み、沛公を誅するの心無し。是の日樊噲の営に奔り入りて項羽を譙譲するに微かりせば、沛公の事幾ど殆ふかりき。
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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『春秋左氏伝』定公四年 沈尹戌の最期王、燧象を執りて以て吳の師に奔らしむ。庚辰、吳、郢に入る。班を以て宮に處る。子山、令尹の宮に處る。夫概王、之を攻めんと欲す。懼れて之を去る。夫概王、之に入る。左司馬戌、息に及びて還り、吳の師を雍澨に敗る。傷つく。初め、司馬は闔廬に臣たり。故に禽と為るを恥づ。其の臣に謂ひて曰く、「誰か能く吾が首を免れしめん」と。吳句卑曰く、「臣賤し、可ならんか」と。司馬曰く、「我實に子を失せり。可なり」と。三たび戰ひて皆傷つく。曰く、「吾用ゐられざるのみ」と。句卑、裳を布き、剄りて之を裹み、其の身を藏して其の首を以て免る。楚子、睢を涉り江を濟りて、雲中に入る。王寢ぬ。盜、之を攻め、戈を以て王を擊つ。王孫由于、背を以て之を受け、肩に中る。王、鄖に奔る。鍾建、季芊を負ひて以て從ふ。由于、徐ろに蘇りて從ふ。鄖公辛の弟懷、將に王を弒せんとして曰く、「平王、吾が父を殺せり。我、其の子を殺す、亦た可ならずや」と。辛曰く、「君、臣を討つ、誰か敢へて之を讎とせん。君命は天なり。若し天命に死せば、將た誰をか讎とせん。詩に曰く、『柔も亦た茹はず、剛も亦た吐かず。矜寡を侮らず、彊禦を畏れず』と。
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『春秋左氏伝』成公十六年 再び国君を辱めず郤至三たび楚子の卒に遇ふ。楚子を見れば必ず下り、冑を免ぎて趨ること風のごとし。楚子工尹襄をして之に問ふに弓を以ってせしめて曰く、「事の殷なるに方りて、韎韋の跗注有る者は、君子なり。不穀を識見して趨る、乃ち傷つくこと無からんや」と。郤至客に見え、冑を免ぎて命を承けて曰く、「君の外臣至、寡君の戎事に從ひ、君の靈を以って、間ま甲冑を蒙る。敢へて命を拜せず。敢へて寧からざるを告ぐ、君命の辱きに。事の為の故に、敢へて使者に肅す」と。三たび使者に肅して退く。晉の韓厥鄭伯に從ふ。其の御杜溷羅曰く、「速かに之に從へ。其の御屢しば顧みて、馬に在らず。及ぶ可きなり」と。韓厥曰く、「以って再び國君を辱しむ可からず」と。乃ち止む。郤至鄭伯に從ふ。其の右茀翰胡曰く、「諜して之を輅へん。余之に從ひて乘り、俘にして以って下らん」と。郤至曰く、「國君を傷つくれば刑有り」と。亦た止む。石首曰く、「衞の懿公唯だ其の旗を去らず、是を以って熒に敗る」と。乃ち旌を弢中に內る。唐苟石首に謂ひて曰く、「子は君の側に在り。敗者は壹に大なり。我子に如かず。子は君を以って免れよ。我請ふ止まらん」と。乃ち死す。
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