史記 / 春申君列伝
春申君者、楚人也、名歇、姓黃氏。游學博聞、事楚頃襄王。秦昭王使白起攻楚、頃襄王使黃歇說秦昭王。歇上書曰、天下莫彊於秦楚。今聞大王欲伐楚、此猶兩虎相與鬬。兩虎相與鬬而駑犬受其獘、不如善楚。臣聞物至則反、冬夏是也。致至則危、累棋是也。今大國之地、遍天下有其二垂、此從生民已來、萬乘之地未嘗有也。昭王曰、善。於是乃止白起而謝韓魏。發使賂楚、約為與國。
新字:春申君者、楚人也、名歇、姓黄氏。游學博聞、事楚頃襄王。秦昭王使白起攻楚、頃襄王使黄歇説秦昭王。歇上書曰、天下莫彊於秦楚。今聞大王欲伐楚、此猶両虎相与鬬。両虎相与鬬而駑犬受其獘、不如善楚。臣聞物至則反、冬夏是也。致至則危、累棋是也。今大国之地、遍天下有其二垂、此従生民已来、万乗之地未嘗有也。昭王曰、善。於是乃止白起而謝韓魏。発使賂楚、約為与国。
書き下し
春申君は、楚人なり、名は歇、姓は黄氏。游学博聞、楚の頃襄王に事ふ。秦の昭王白起をして楚を攻めしむ。頃襄王黄歇をして秦の昭王に説かしむ。歇書を上りて曰く、「天下秦楚より彊きは莫し。今大王楚を伐たんと欲すと聞く、此れ猶ほ両虎相ひ与に鬬ふがごとし。両虎相ひ与に鬬ひて駑犬其の獘を受く、楚を善くするに如かず。臣聞く、物至れば則ち反る、冬夏是なり。致(きわ)め至れば則ち危し、累棋是なり。今大国の地、天下に遍く其の二垂を有つ、此れ生民より已来、万乗の地未だ嘗て有らざるなり」と。昭王曰く、「善し」と。是に於いて乃ち白起を止めて韓魏に謝す。使を発して楚に賂し、約して与国と為す。
現代語訳
「二強が争えば、漁夫の利を第三者にさらわれる」——目先の勝利より、より大きな構図を見せて相手を動かす説得の一段です。秦が楚を攻めようとしたとき、楚の使者・黄歇(春申君)は、秦の昭王に一通の書を送って諫めます。その論法の核心は、「天下で最強は秦と楚。この二強が争えば、両方の虎が傷つき、その隙に駄犬(弱国)が漁夫の利を得る。だから楚を攻めるより、楚と親しくする方が得策だ」というもの。相手(秦)の攻撃意欲を、真っ向から否定するのではなく、「その争いは、あなた自身を消耗させ、他者を利するだけだ」と、より大きな構図での不利益を示して思いとどまらせたのです。さらに黄歇は、深い警句を添えます。『物至れば則ち反る(物事は極まれば反転する)。致め至れば則ち危し(積み木を高く積み上げるほど、崩れやすくなる)』。秦は今、絶頂の強大さにあるが、極まった力は反転し、危うくなる——だから今こそ自制せよ、と。この説得により、昭王は白起の出兵を止め、楚と同盟を結びました。ここに、交渉と戦略の要諦があります。第一に、相手の攻撃的な意図を止めるには、その行動が「相手自身にとって損だ」と、より大きな構図で気づかせること。正面から反対するより、相手の利害の視点から不利益を示す方が、相手は自ら思いとどまる。第二に、絶頂こそ危険という「盈満の理」。力や成功が極まった状態は、実は最も反転しやすく、そこでの自制が身を守る。組織や競争でも、二強が消耗戦を続ければ第三者を利するだけ、という構図はよくあります。目先の勝敗にとらわれず、その争いが全体の中で誰を利するかを見極め、時に競合との協調(善楚)を選ぶ大局観が、賢明な戦略なのです。