説苑 / 奉使
齊攻魯。子貢見哀公,請求救於吳。公曰:「奚先君寶之用?」子貢曰:「使吳責寶而與我師,是不可恃也。」於是以楊幹麻筋之弓六往。子貢謂吳王曰:「齊為無道,欲使周公之後不血食,且魯賦五百,邾賦三百,不識以此益齊,吳之利與?非與?」吳王懼,乃興師救魯。諸侯曰:「齊伐周公之後,而吳救之。」遂朝於吳。
新字:斉攻魯。子貢見哀公,請求救於吳。公曰:「奚先君宝之用?」子貢曰:「使吳責宝而与我師,是不可恃也。」於是以楊幹麻筋之弓六往。子貢謂吳王曰:「斉為無道,欲使周公之後不血食,且魯賦五百,邾賦三百,不識以此益斉,吳之利与?非与?」吳王懼,乃興師救魯。諸侯曰:「斉伐周公之後,而吳救之。」遂朝於吳。
書き下し
齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
現代語訳
斉が魯を攻めた。子貢は哀公に面会し、呉に救援を求めることを願い出た。哀公は言った。『先君伝来の宝をどうして使う必要があろうか。』子貢は言った。『呉に宝を求めさせて我が国が軍を与えるようなことをすれば、それは頼りにできません。』そこで楊幹の木と麻の筋で作った弓六張を持って呉へ赴いた。子貢は呉王に言った。『斉は無道を行い、周公の子孫(魯)の祭祀を絶やそうとしています。しかも魯の兵役負担は五百、邾の兵役負担は三百です。もしこれらを合わせて斉に加担させることになれば、それは呉にとって利益になるでしょうか、それともならないでしょうか。』呉王はこれを恐れ、軍を興して魯を救援した。諸侯は言った。『斉が周公の子孫を討伐しようとしたのに、呉がそれを救った。』そこで魯は呉に朝貢することとなった。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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『学問のすゝめ』初編・国の分限を知らずしかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
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孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
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説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
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『新序』善謀第九夜出でて秦君に見えて曰く、秦晉鄭を圍む。鄭亡ぶるを知れり。若し亡びて君に益有らば、敢えて以て執事を煩わさん。鄭は晉の東に在り、秦は晉の西に在り。晉を越えて鄭を取るは、君其の難きを知るなり。焉くんぞ鄭を亡ぼして以て晉に陪するを用いん。晉は、秦の隣なり。隣の强きは、君の憂いなり。若し鄭を舍きて以て東道の主と爲さば、行李の往來、其の資糧を共にす。亦た害する所無し。且つ君晉君を立つるに、晉君君に焦・瑕を許す。朝に入るを得て、夕べに版を設けて界を畫す。君の知る所なり。夫れ晉何の厭くこと之れ有らん。既に東のかた鄭を取らば、又た其の西境を廣めんと欲す。秦を闕かずんば將に焉くにか之を取らん。秦を闕きて晉を利す。願わくは君之を圖れ、と。秦兵悅び、兵を引きて還る。晉の咎犯之を擊たんことを請う。文公曰く、不可なり。夫の人の力微かりせば鄭を弊す能わず。人の力に因りて以て之を弊すは、不仁なり。其の與する所を失うは、不知なり。亂を以て整に易うるは、不武なり。吾其れ還らん、と。亦た鄭を去り、圍遂に解く。燭之武は善謀と謂う可し。一言もて鄭を存して秦を安んず。鄭君善謀を蚤く用いざるは、國を削る所以なり。困りて焉に覺むるは、存するを得る所以なり。
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孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」