韓非子 / 說林上二十二
君不如與之以驕智伯。且君何釋以天下圖智氏,而獨以吾國爲智氏質乎?」君曰:「善。」乃與之萬户之邑。智伯大悦,因索地於趙,弗與,因圍晉陽。韓、魏反之外,趙氏應之内,智氏以亡。秦康公築臺三年。荆人起兵,將欲以兵攻齊。任妄曰:「饑召兵,疾召兵,勞召兵,亂召兵。君築臺三年,今荆人起兵將攻齊,臣恐其攻齊爲聲,而以襲秦爲實也,不如備之。」戍東邊,荆人輟行。齊攻宋,宋使臧孫子南求救於荆。荆大說,許救之,甚勸。臧孫子憂而反。其禦曰:「索救而得,今子有憂色,何也?」臧孫子曰:「宋小而齊大。夫救小宋而惡於大齊,此人之所以憂也,而荆王說,必以堅我也。我堅而齊敝,荆之所利也。」臧孫子乃歸。齊人拔五城於宋而荆救不至。魏文侯借道於趙而攻中山,趙肅侯將不許。趙刻曰:「君過矣。魏攻中山而弗能取,則魏必罷。罷則魏輕,魏輕則趙重。魏拔中山,必不能越趙而有中山也。是用兵者魏也,而得地者趙也。君必許之。許之而大歡,彼將知君利之也,必將輟行。君不如借之道,示以不得已也。」鴟夷子皮事田成子。田成子去齊,走而之燕,鴟夷子皮負傳而從。至望邑,子皮曰:「子獨不聞涸澤之蛇乎?澤涸,蛇將徙。
新字:君不如与之以驕智伯。且君何釈以天下図智氏,而独以吾国為智氏質乎?」君曰:「善。」乃与之万戸之邑。智伯大悦,因索地於趙,弗与,因囲晋陽。韓、魏反之外,趙氏応之内,智氏以亡。秦康公築台三年。荆人起兵,将欲以兵攻斉。任妄曰:「饑召兵,疾召兵,労召兵,乱召兵。君築台三年,今荆人起兵将攻斉,臣恐其攻斉為声,而以襲秦為実也,不如備之。」戍東辺,荆人輟行。斉攻宋,宋使臧孫子南求救於荆。荆大説,許救之,甚勧。臧孫子憂而反。其禦曰:「索救而得,今子有憂色,何也?」臧孫子曰:「宋小而斉大。夫救小宋而悪於大斉,此人之所以憂也,而荆王説,必以堅我也。我堅而斉敝,荆之所利也。」臧孫子乃帰。斉人抜五城於宋而荆救不至。魏文侯借道於趙而攻中山,趙粛侯将不許。趙刻曰:「君過矣。魏攻中山而弗能取,則魏必罷。罷則魏軽,魏軽則趙重。魏抜中山,必不能越趙而有中山也。是用兵者魏也,而得地者趙也。君必許之。許之而大歓,彼将知君利之也,必将輟行。君不如借之道,示以不得已也。」鴟夷子皮事田成子。田成子去斉,走而之燕,鴟夷子皮負伝而従。至望邑,子皮曰:「子独不聞涸沢之蛇乎?沢涸,蛇将徙。
書き下し
君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
現代語訳
(任章は続けた。)「殿は土地を与えて智伯を驕らせるに越したことはありません。そもそも殿はなぜ、天下の力で智氏を図るという道を捨てて、わが国だけを智氏の標的に差し出そうとなさるのですか」。宣子は「よろしい」と言い、一万戸の町を与えた。智伯は大いに喜び、続いて趙に土地を求めたが、趙は与えなかったので、晋陽を包囲した。すると韓と魏が外から寝返り、趙氏が内から呼応して、智氏は滅んだ。秦の康公が三年がかりで楼台を築いていた。楚の人が兵を起こし、斉を攻めようとした。任妄が言った。「飢饉は敵兵を招き、疫病は敵兵を招き、疲労は敵兵を招き、混乱は敵兵を招きます。殿は三年も台を築いておられ、いま楚が兵を起こして斉を攻めようとしています。わたしは、斉を攻めるというのは表向きの口実で、秦を襲うのが本当の狙いではないかと恐れます。備えるに越したことはありません」。そこで東の国境を守らせると、楚は出兵をやめた。斉が宋を攻めたとき、宋は臧孫子を南の楚に遣わして救援を求めた。楚王は大いに喜び、救援を約束してしきりに励ました。臧孫子は浮かぬ顔で帰途についた。御者が「救援を求めて得られたのに、いまあなたが心配そうなのはなぜですか」と尋ねると、臧孫子は言った。「宋は小さく斉は大きい。小さな宋を救って大国の斉に憎まれるのは、誰でも気の進まぬことだ。それなのに楚王が喜んだのは、きっとわれわれに抵抗を固めさせようとしてのことだ。われわれが固く守って斉が疲れるのが、楚の利なのだ」。臧孫子はそのまま帰国した。斉は宋の五つの城を落としたが、楚の救援は来なかった。魏の文侯が趙に道を借りて中山を攻めようとしたとき、趙の粛侯は許すまいとした。趙刻が言った。「殿はお考え違いです。魏が中山を攻めて取れなければ、魏は必ず疲弊します。疲弊すれば魏は軽くなり、魏が軽くなれば趙が重くなります。魏が中山を落としたとしても、趙を越えて中山を保つことはできません。つまり兵を使うのは魏で、土地を得るのは趙なのです。殿は必ずお許しなさい。ただ、許して大いに喜べば、魏は殿がこれを利としているのに気づき、きっと出兵をやめるでしょう。殿は道を貸しつつ、やむを得ず許したように見せるのがよろしい」。鴟夷子皮は田成子に仕えていた。田成子が斉を去って燕へ逃げるとき、鴟夷子皮は通行証を背負って従った。望邑に着くと、子皮は言った。「あなたは干上がった沢の蛇の話をご存じないのですか。沢が干上がると、蛇は移ろうとします。
解説
関連する章句
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『韓非子』說林上二十二魏の恵王、臼里の盟を為し、将に復た天子を立てんとす。彭喜、鄭君に謂ひて曰く、「君聴く勿かれ。大国は天子有るを悪み、小国は之を利とす。若し君と大と聴かずんば、魏焉んぞ能く小と之を立てんや」と。晋人、邢を伐ち、斉の桓公将に之を救はんとす。鮑叔曰く、「太だ蚤し。邢亡びずんば晋敝れず、晋敝れずんば斉重からず。且つ夫れ危を持するの功は、亡を存するの徳の大なるに如かず。君晩く之を救ひて以て晋を敝らしむるに如かず、斉実に利あり。邢の亡ぶるを待ちて復た之を存せば、其の名実美なり」と。桓公乃ち救はず。子胥出走し、辺候之を得たり。子胥曰く、「上の我を索むるは、我に美珠有るを以てなり。今我已に之を亡へり。我且に子取りて之を呑めりと曰はんとす」と。候因りて之を釈す。慶封、斉に乱を為して越に走らんと欲す。其の族人曰く、「晋は近し、奚ぞ晋に之かざる」と。慶封曰く、「越は遠し、以て難を避くるに利あり」と。族人曰く、「是の心を変ずれば、晋に居るも可なり。是の心を変ぜずんば、遠き越と雖も、其れ以て安かるべけんや」と。智伯、地を魏の宣子に索む、魏の宣子予へず。任章曰く、「何の故に予へざる」と。宣子曰く、「故無くして地を請ふ、故に予へず」と。任章曰く、「故無くして地を索めば、隣国必ず恐れん。彼重欲にして厭くこと無くんば、天下必ず懼れん。君之に地を予へば、智伯必ず驕りて敵を軽んじ、隣邦必ず懼れて相親しまん。
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戦国策・知伯帥趙韓魏而伐范中行氏知伯、趙・韓・魏を帥いて范中行氏を伐ち、之を滅ぼす。休すること數年、人をして地を韓に請わしむ。韓康子與えんと欲せず、段䂓諫めて曰く、「不可なり。夫れ知伯の人と爲りや、利を好みて鷙復なり、來りて地を請いて與えずんば、必ず兵を韓に加えん。君其れ之に與えよ。之に與うれば彼狃れて、又將に地を他國に請わんとす、他國聽かずんば、必ず之に鄉うに兵を以てせん。然らば則ち韓は以て患難を免れて、事の變を待つ可し。」康子曰く、「善し。」使者をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして地を魏に請わしむ。魏宣子與えんと欲せず。趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請い、韓之に與う。地を魏に請いて、魏與えずんば、則ち是れ魏內自ら強くして、外知伯を怒らすなり。然らば則ち其の兵を魏に錯くこと必せり。之に與うるに如かず。」宣子曰く、「諾。」因りて人をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして趙に之かしめ、蔡・皋狼の地を請わしむ。趙襄子與えず。知伯因りて陰かに韓・魏を結び、將に以て趙を伐たんとす。趙襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と爲り、陽には親しみて陰には疏んず、三たび韓・魏に使いして、寡人與からず、其の兵を移すこと寡人に必せん。今吾安くにか居りて可ならん。」張孟談曰く、「夫れ董閼安于は簡主の才臣なり、世々晉陽を治め、尹澤之に循う、其の餘の政教猶お存す、君其れ晉陽に居を定めよ。」君曰く、「諾。」乃ち延陵王をして車騎を將いて先に晉陽に之かしめ、君因りて之に從う。至りて、城郭を行り、府庫を案じ、倉廩を視、張孟談を召して曰く、「吾が城郭の完きこと、府庫の用に足ること、倉廩の實つること、矢無きは奈何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の垣、皆狄蒿苫楚を以て之を廧す、其の高さ丈餘に至る、君發して之を用いよ。」是に於て發して之を試むるに、其の堅きこと則ち箘簬の勁も過ぐる能わず。君曰く、「足れり、吾が銅少きこと若何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の室、皆鍊銅を以て柱質と爲す、請う發して之を用いば、則ち餘銅有らん。」君曰く、「善し。」號令以て定まり、備守以て具わる。三國の兵晉陽の城に乘り、遂に戰う。三月拔く能わず、因りて軍を舒べて之を圍み、晉水を決して之に灌ぐ。晉陽を圍むこと三年、城中巢居して處り、釜を懸けて炊ぎ、財食將に盡きんとし、士卒病み羸る。襄子張孟談に謂いて曰く、「糧食匱しく、城力盡き、士大夫病めり、吾守る能わず。城を以て下らんと欲す、何如。」張孟談曰く、「臣之を聞く、亡びて存する能わず、危うくして安んずる能わずんば、則ち知士を貴ぶ爲し無きなり。君此の計を釋てて、復言うこと勿かれ。臣請う韓・魏の君に見えん。」襄子曰く、「諾。」張孟談是に於て陰かに韓・魏の君に見えて曰く、「臣聞く、脣亡ぶれば則ち齒寒しと、今知伯二國の君を帥いて趙を伐つ、趙將に亡びんとす、亡ぶれば則ち二君之に次たらん。」二君曰く、「我其の然るを知る。夫れ知伯の人と爲り、麁中にして親しむこと少なし、我が謀未だ遂げずして知られなば、則ち其の禍必ず至らん、之を奈何せん。」張孟談曰く、「謀は二君の口より出でて、臣の耳に入る、人之を知る莫きなり。」二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と期して曰く、夜、遣りて晉陽に入らしめんと。張孟談以て襄子に報ず、襄子之に再拜す。張孟談因りて知伯に朝して出で、知過に轅門の外に遇う。知過入りて知伯に見えて曰く、「二主殆ど將に變有らんとす。」君曰く、「何如。」對えて曰く、「臣張孟談に轅門の外に遇う、其の志矜り、其の行高し。」知伯曰く、「然らず。吾二主と約すること謹めり、趙を破りて其の地を三分せば、寡人之を親しむ所なり、必ず欺かざらん。子之を釋てて、口より出だすこと勿かれ。」知過出でて二主に見え、入りて知伯に說きて曰く、「二主色動きて意變ず、必ず君に背かん、之を殺さしむるに如かず。」知伯曰く、「兵晉陽に箸くこと三年なり、旦暮に當に之を拔きて其の利を饗くべし、乃ち他心有らんや。不可なり、子愼みて復言うこと勿かれ。」知過曰く、「殺さずんば則ち遂に之に親しめ。」知伯曰く、「之に親しむこと奈何せん。」知過曰く、「魏宣子の謀臣を趙葭と曰い、康子の謀臣を段䂓と曰う、是れ皆能く其の君の計を移す。君其れ二君と約し、趙を破らば二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせよ、是の如くんば則ち二主の心變ぜざる可くして、君其の欲する所を得ん。」知伯曰く、「趙を破りて其の地を三分し、又二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせば、則ち吾が得る所少なし、不可なり。」知過君の用いざるを見るや、言いて聽かれず、出でて其の姓を更めて輔氏と爲し、遂に去りて見えず。張孟談之を聞き、入りて襄子に見えて曰く、「臣知過に轅門の外に遇う、其の視るに臣を疑うの心有り、入りて知伯に見え、出でて其の姓を更む。今暮撃たずんば、必ず之に後れん。」襄子曰く、「諾。」張孟談をして韓・魏の君に見えしめて曰く、「夜堤を守るの吏を殺すことを期し、水を決して知伯の軍に灌がん。」知伯の軍水を救いて亂れ、韓・魏翼にして之を撃ち、襄子將卒其の前を犯し、大いに知伯の軍を敗りて知伯を禽う。知伯身死し、國亡び地分たれ、天下の笑いと爲る、此れ貪欲厭くこと無ければなり。夫れ知過に聽かざる、亦亡ぶる所以なり。知氏盡く滅び、唯輔氏のみ存す。
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説苑・權謀智伯地を魏の宣子に請ふ。宣子與へず。任增曰く、「何爲れぞ與へざる」と。宣子曰く、「彼故無くして地を請ふ。吾是を以て與へず」と。任增曰く、「彼故無くして地を請ふ者は、故無くして之に與ふれば、是れ重ねて欲すること厭くこと無きなり。彼喜ばば、必ず又た地を諸侯に請はん。諸侯與へざれば、必ず怒りて之を伐たん」と。宣子曰く、「善し」と。遂に地を與ふ。智伯喜び、又た地を趙に請ふ。趙與へず。智伯怒り、晉陽を圍む。韓・魏趙に合して智氏に反す。智氏遂に滅ぶ。
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『淮南子』人間訓智伯 地を魏の宣子に求む。宣子 之に與うるを欲せず。任登曰く「智伯の強きこと、威 天下に行わる。地を求めて與えざるは、是れ諸侯の爲に先ず禍を受くるなり。之に與うるに若かず」と。宣子曰く「地を求めて已まざれば、之を爲すこと奈何」と。任登曰く「之に與えて、喜ばしめば、必ず將に復た地を諸侯に求めんとす。諸侯 必ず耳を植てん。天下と心を同じくして之を圖らば、一心の得る所の者は、直だ吾が亡う所のみに非ざるなり」と。魏の宣子 地を裂きて之に授く。又た地を韓の康子に求む。韓の康子 敢えて予えずんばあらず。諸侯 皆な恐る。又た地を趙の襄子に求む。襄子 與えず。是に於いて智伯 乃ち韓・魏を從えて襄子を晉陽に圍む。三國 謀を通じ、智伯を禽えて其の國を三分す。此れ所謂 人を奪いて反って人の奪う所と爲る者なり。
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説苑・權謀智伯韓・魏の兵を從へて以て趙を攻め、晉陽の城を圍みて之を溉ぐ。城沒せざる者三板。絺疵智伯に謂ひて曰く、「韓・魏の君必ず反せん」と。智伯曰く、「何を以て之を知る」と。對へて曰く、「夫れ趙に勝ちて其の地を三分せんとするに、今城の未だ沒せざる者三板、臼灶蛙生じ、人馬相食む。城降ること日有らんとす。而るに韓・魏の君喜ぶ志無くして憂ふる色有り。是れ反するに非ずして何ぞや」と。明日、智伯韓・魏の君に謂ひて曰く、「疵、君の反する言へり」と。韓・魏の君曰く、「必ず趙に勝ちて其の地を三分せんとす。今城將に勝たんとす。夫れ二家愚なりと雖も、美利を棄てて約に偝きて成すべからざるの事を難くせんや。其の勢見るべきなり。是れ疵必ず趙の爲に君に說き、且つ君をして二主の心を疑はしめ、而して趙を攻むるを解かしめんとするなり。今君讒臣の言を聽きて二主の交を離す。君の爲に之を惜しむ」と。智伯出でて、絺疵を殺さんと欲す。絺疵逃ぐ。韓・魏の君果して反す。
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『韓非子』十過第十韓の康子与ふる勿からんと欲す、段規諫めて曰く、「与へざるべからざるなり。夫れ知伯の人と為りや、利を好みて驁愎なり。彼来りて地を請ひて与へずんば、則ち兵を韓に移すこと必せり。君其れ之に与へよ。之に与へば、彼狃れて、又将に地を他国に請はんとす。他国且に聴かざる有らん、聴かざれば、則ち知伯必ず之に兵を加へん。是くの如くんば、韓以て患ひを免れて其の事の変を待つべし」と。康子曰く、「諾」と。因りて使者をして万家の県一を知伯に致さしむ。知伯説び、又人をして地を魏に請はしむ。宣子与ふる勿からんと欲す、趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請ひ、韓之に与ふ。今地を魏に請ひ、魏与へずんば、則ち是れ魏内に自ら強くして、外に知伯を怒らすなり。如し予へずんば、其の兵を魏に措くこと必せり。之に予ふるに如かず」と。宣子曰く、「諾」と。因りて人をして万家の県一を知伯に致さしむ。知伯又人をして趙に之きて蔡・皐狼の地を請はしむ、趙の襄子与へず。知伯因りて陰かに韓・魏と約し将に以て趙を伐たんとす。襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と為りや、陽に親しみて陰に疏んず。三たび韓・魏に使ひして寡人与らず、其の兵を寡人に措くこと必せり。今吾安くに居りて可ならん」と。張孟談曰く、「夫れ董閼子は、簡主の才臣なり、其の晋陽を治むるや、尹鐸之に循ひ、其の余教猶ほ存す、君其れ晋陽に定居せんのみ」と。君曰く、「諾」と。乃ち延陵生を召し、車騎を将ゐて先づ晋陽に至らしめ、君因りて之に従ふ。君至りて、其の城郭及び五官の蔵を行る。城郭治まらず、倉に積粟無く、府に儲銭無く、庫に甲兵無く、邑に守具無し。襄子懼れ、乃ち張孟談を召して曰く、「寡人城郭及び五官の蔵を行るに、皆備具せず、吾将に何を以て敵に応ぜんとす」と。張孟談曰く、「臣聞く、聖人の治は、民に蔵して、府庫に蔵せず、其の教へを脩むるを務めて城郭を治めず。