墨子 / 魯問
魯君謂子墨子曰:「吾恐齊之攻吾也,可救乎?」子墨子曰:「可。昔者三代之聖王禹湯文武,百里之諸侯也,説忠行義,取天下。三代之暴王桀紂幽厲,讐怨行暴,失天下。吾願主君之上者尊天事鬼,下者愛利百姓,厚為皮幣,卑辭令,函徧禮四隣諸侯,敺國而以事齊,患可救也。非願無可為者。」
新字:魯君謂子墨子曰:「吾恐斉之攻吾也,可救乎?」子墨子曰:「可。昔者三代之聖王禹湯文武,百里之諸侯也,説忠行義,取天下。三代之暴王桀紂幽厲,讐怨行暴,失天下。吾願主君之上者尊天事鬼,下者愛利百姓,厚為皮幣,卑辞令,函遍礼四隣諸侯,敺国而以事斉,患可救也。非願無可為者。」
書き下し
魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
現代語訳
魯君が墨子に言った。「私は斉が攻めてくるのを恐れている。救う道はあるか」。墨子が言った。「あります。むかし三代の聖王、禹・湯・文王・武王は、百里四方の諸侯でした。忠を説き義を行って天下を取りました。三代の暴王、桀・紂・幽王・厲王は、恨みを買い乱暴を行って天下を失いました。私が願うのは、あなたが上は天を尊び鬼神に仕え、下は民を愛し利し、贈り物を厚くし、言葉を低くして、あまねく四方の諸侯に礼を尽くし、国を挙げて斉に仕えることです。そうすれば災いは救えます。それを願うほかに、なしうることはありません」。
解説

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