春秋左氏伝 / 哀公十三年 黄池に先を争う
秋。七月。辛丑。盟。吳晉爭先。吳人曰。於周室。我為長。晉人曰。於姬姓。我為伯。趙鞅呼司馬寅曰。日旰矣。大事未成。二臣之罪也。建鼓整列。二臣死之。長幼必可知也。對曰。請姑視之。反曰。肉食者無墨。今吳王有墨。國勝乎。大子死乎。且夷德輕。不忍久。請少待之。乃先晉人。吳人將以公見晉侯。子服景伯對使者曰。王合諸侯。則伯帥侯牧以見於王。伯合諸侯。則侯帥子男以見於伯。自王以下。朝聘玉帛不同。故敝邑之職貢於吳。有豐於晉。無不及焉。以為伯也。今諸侯會。而君將以寡君見晉君。則晉成為伯矣。敝邑將改職貢。魯賦於吳八百乘。若為子男。則將半邾。以屬於吳。而如邾以事晉。
新字:秋。七月。辛丑。盟。呉晋争先。呉人曰。於周室。我為長。晋人曰。於姫姓。我為伯。趙鞅呼司馬寅曰。日旰矣。大事未成。二臣之罪也。建鼓整列。二臣死之。長幼必可知也。対曰。請姑視之。反曰。肉食者無墨。今呉王有墨。国勝乎。大子死乎。且夷徳軽。不忍久。請少待之。乃先晋人。呉人将以公見晋侯。子服景伯対使者曰。王合諸侯。則伯帥侯牧以見於王。伯合諸侯。則侯帥子男以見於伯。自王以下。朝聘玉帛不同。故敝邑之職貢於呉。有豊於晋。無不及焉。以為伯也。今諸侯会。而君将以寡君見晋君。則晋成為伯矣。敝邑将改職貢。魯賦於呉八百乗。若為子男。則将半邾。以属於呉。而如邾以事晋。
書き下し
秋七月辛丑、盟ふ。吳・晉先を爭ふ。吳人曰く、「周室に於て、我長為り」と。晉人曰く、「姬姓に於て、我伯為り」と。趙鞅司馬寅を呼びて曰く、「日旰(く)れたり。大事未だ成らず、二臣の罪なり。鼓を建て列を整へ、二臣之に死せば、長幼必ず知る可きなり」と。對へて曰く、「請ふ姑く之を視ん」と。反りて曰く、「肉食者は墨無し。今吳王墨有り。國勝たれたるか。大子死せるか。且つ夷の德は輕し、久しきに忍びず。請ふ少しく之を待たん」と。乃ち晉人を先にす。吳人將に公を以て晉侯に見えしめんとす。子服景伯使者に對へて曰く、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を帥ゐて以て王に見ゆ。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を帥ゐて以て伯に見ゆ。王より以下、朝聘の玉帛同じからず。故に敝邑の職貢の吳に於けるや、晉より豐かなる有りて、及ばざる無きは、以て伯と為せばなり。今諸侯會して、君將に寡君を以て晉君に見えしめんとす。則ち晉成りて伯と為らん。敝邑將に職貢を改めんとす。魯の吳に賦するは八百乘なり。若し子男と為らば、則ち將に邾に半ばして、以て吳に屬し、而して邾の如くにして以て晉に事へんとす。
現代語訳
秋七月辛丑の日、盟約を結んだ。呉と晋が、どちらが先に血をすするかを争った。呉人は「周王室においては、我々が年長の家筋である(呉の祖の太伯は文王の伯父)」と言い、晋人は「姫姓の諸侯の中では、我々が覇者である」と言った。趙鞅は司馬寅を呼んで言った。「日が暮れかかっている。大事がまだ決まらないのは、我々二人の罪である。太鼓を立て隊列を整えて、二人でここに命をかければ、どちらが上かは必ず明らかになる」。司馬寅は答えた。「ひとまず様子を見させてください」。戻ってきて言った。「肉を食う身分の貴人は、顔色が黒ずまないものです。ところが今、呉王の顔色は黒ずんでいます。国が敵に敗れたのでしょうか。太子が死んだのでしょうか。それに夷の性質は軽はずみで、長く辛抱できません。少し待ちましょう」。こうして(呉が折れて)晋を先にした。呉人は哀公を連れて晋侯に謁見させようとした。子服景伯は呉の使者に答えて言った。「天子が諸侯を会合させるときは、覇者が侯や州牧を率いて天子に謁見します。覇者が諸侯を会合させるときは、侯が子爵・男爵の君を率いて覇者に謁見します。天子より下は、朝見や聘問の際の玉や絹の贈り物もそれぞれ異なります。ですから、わが国が呉に納める貢ぎ物が晋に対するより多く、足りないことがないのは、呉を覇者と仰いでいるからです。今、諸侯が会合しているのに、あなたの君がわが君を連れて晋君に謁見させるならば、晋が覇者と確定することになります。そうなれば、わが国は貢ぎ物を改めることにしましょう。魯が呉に納める軍賦は兵車八百乗ですが、もし(呉が侯の立場となって魯を率いるなら、魯は)子男の扱いとなりますから、邾の半分ほどの貢ぎで呉に属し、邾と同じように晋に仕えることになりましょう。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十二編・演説の法を勧むるの説・視察、推究、読書、談話、著書、演説ゆえに学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫なかるべからず。オブセルウェーションとは事物を視察することなり。リーゾニングとは事物の道理を推究して自分の説を付くることなり。この二ヵ条にてはもとよりいまだ学問の方便を尽くしたりと言うべからず。なおこのほかに書を読まざるべからず、書を著わさざるべからず、人と談話せざるべからず、人に向かいて言を述べざるべからず、この諸件の術を用い尽くしてはじめて学問を勉強する人と言うべし。すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。然りしこうしてこの諸術のうちに、あるいは一人の私をもって能くすべきものありといえども、談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせざるを得ず。演説会の要用なることもって知るべきなり。
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史記 孟子荀卿列伝淳于髡(こん)は斉人なり。博聞彊記にして、学ぶに主とする所無し。その諫説は、晏嬰の人と為りを慕ふなり、然れども意を承け色を観るを務めと為す。客に髡を梁の恵王に見えしむる有り。恵王左右を屏け、独り坐して再びこれに見ゆるも、終に言無きなり。恵王これを怪しみ、以て客を譲めて曰く、「子の淳于先生を称するや、管・晏も及ばずと。寡人に見ゆるに及びて、寡人未だ得る有らず。豈に寡人は為に言ふに足らざるか。何の故ぞや」と。客以て髡に謂ふ。髡曰く、「固よりなり。吾前に王に見えしとき、王の志は駆逐に在り。後にまた王に見えしとき、王の志は音声に在り。吾是を以て黙然たり」と。客具に以て王に報ず、王大いに駭きて、曰く、「嗟乎、淳于先生は誠に聖人なり。前に淳于先生の来たるや、人に善馬を献ずる者有り、寡人未だ視るに及ばずして、会々先生至る。後に先生の来たるや、人に謳ふ者を献ずる有り、未だ試みるに及ばずして、また会々先生来たる。寡人人を屏くと雖も、然れども私心は彼に在り、
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