春秋左氏伝 / 哀公十一年 轅頗の大器
夏。陳轅頗出奔鄭。初轅頗為司徒。賦封田。以嫁公女。有餘。以為己大器。國人逐之。故出。道渴。其族轅咺。進稻醴。粱糗。腶脯焉。喜曰。何其給也。對曰。器成而具。曰。何不吾諫。對曰。懼先行。為郊戰。故公會吳子伐齊。五月。克博。壬申。至于嬴。中軍從王。胥門巢將上軍。王子姑曹將下軍。展如將右軍。齊國書將中軍。高無丕將上軍。宗樓將下軍。陳僖子謂其弟書。爾死。我必得志。宗子陽與閭丘明相厲也。桑掩胥御國子。公孫夏曰。二子必死。將戰。公孫夏命其徒歌虞殯。陳子行命其徒具含玉。公孫揮命其徒曰。人尋約。
新字:夏。陳轅頗出奔鄭。初轅頗為司徒。賦封田。以嫁公女。有余。以為己大器。国人逐之。故出。道渇。其族轅咺。進稲醴。粱糗。腶脯焉。喜曰。何其給也。対曰。器成而具。曰。何不吾諫。対曰。懼先行。為郊戦。故公会呉子伐斉。五月。克博。壬申。至于嬴。中軍従王。胥門巣将上軍。王子姑曹将下軍。展如将右軍。斉国書将中軍。高無丕将上軍。宗楼将下軍。陳僖子謂其弟書。爾死。我必得志。宗子陽与閭丘明相厲也。桑掩胥御国子。公孫夏曰。二子必死。将戦。公孫夏命其徒歌虞殯。陳子行命其徒具含玉。公孫揮命其徒曰。人尋約。
書き下し
夏、陳の轅頗出でて鄭に奔る。初め轅頗司徒と為り、封田に賦して、以て公女を嫁がしむ。餘り有り、以て己の大器を為る。國人之を逐ふ。故に出づ。道に渴す。其の族轅咺、稻醴・粱糗・腶脯を進む。喜びて曰く、「何ぞ其れ給(そな)はれる」と。對へて曰く、「器成りて具ふ」と。曰く、「何ぞ吾を諫めざる」と。對へて曰く、「先に行かるるを懼る」と。郊の戰の為の故に、公吳子に會して齊を伐つ。五月、博に克つ。壬申、嬴に至る。中軍は王に從ひ、胥門巢上軍に將たり、王子姑曹下軍に將たり、展如右軍に將たり。齊の國書中軍に將たり、高無丕上軍に將たり、宗樓下軍に將たり。陳僖子其の弟書に謂ふ、「爾死せば、我必ず志を得ん」と。宗子陽と閭丘明と相厲ます。桑掩胥國子に御たり。公孫夏曰く、「二子必ず死せん」と。將に戰はんとす。公孫夏其の徒に命じて虞殯を歌はしむ。陳子行其の徒に命じて含玉を具へしむ。公孫揮其の徒に命じて曰く、「人ごとに尋約せよ。
現代語訳
夏、陳の轅頗が国を出て鄭に亡命した。これより先、轅頗は司徒となり、封地の田に税を課して、公の娘の嫁入り費用に充てた。余りが出たので、それで自分用の大きな礼器を鋳造した。国人が彼を追い出したので、国外へ出たのである。途中で喉が渇いたとき、一族の轅咺が稲の甘酒、粟の乾飯、干し肉を差し出した。轅頗は喜んで言った。「なんとよく揃っていることか」。轅咺は答えた。「あなたの礼器ができあがったときから用意しておりました」。轅頗が「ではなぜ私を諫めなかったのか」と言うと、轅咺は答えた。「諫めれば、私が先に追い出されるのを恐れたのです」。郊の戦いの報復として、哀公は呉子と会して斉を伐った。五月、博を攻め落とし、壬申の日に嬴に至った。呉は中軍が王(夫差)に従い、胥門巣が上軍を、王子姑曹が下軍を、展如が右軍を率いた。斉は国書が中軍を、高無丕が上軍を、宗楼が下軍を率いた。陳僖子は弟の陳書に言った。「お前が死ねば、私は必ず志を遂げられる」。宗子陽と閭丘明は互いに死を覚悟して励まし合った。桑掩胥が国子(国書)の御者を務めた。公孫夏は「この二人は必ず死ぬだろう」と言った。戦いを前にして、公孫夏は部下に葬送の歌「虞殯」を歌わせ、陳子行(陳逆)は部下に死者の口に含ませる玉を用意させた。公孫揮は部下に命じて言った。「各人、八尺の縄を用意せよ。
解説
この章句が説くこと
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