春秋左氏伝 / 哀公六年 陽生、密かに斉に帰る
八月。齊邴意茲來奔。陳僖子使召公子陽生。陽生駕而見南郭且于。曰。嘗獻馬於季孫。不入於上乘。故又獻此。請與子乘之。出萊門而告之故。闞止知之。先待諸外。公子曰。事未可知。反與壬也處。戒之。遂行。逮夜至於齊。國人知之。僖子使子士之母養之。與饋者皆入。
新字:八月。斉邴意茲来奔。陳僖子使召公子陽生。陽生駕而見南郭且于。曰。嘗献馬於季孫。不入於上乗。故又献此。請与子乗之。出萊門而告之故。闞止知之。先待諸外。公子曰。事未可知。反与壬也処。戒之。遂行。逮夜至於斉。国人知之。僖子使子士之母養之。与饋者皆入。
書き下し
八月、齊の邴意茲來奔す。陳僖子、人をして公子陽生を召さしむ。陽生駕して南郭且于に見えて曰く、「嘗て馬を季孫に獻ぜしに、上乘に入らず。故に又此を獻ぜんとす。請ふ子と之に乘らん」と。萊門を出でて之に故を告ぐ。闞止之を知り、先づ諸を外に待つ。公子曰く、「事未だ知るべからず。反りて壬と處れ」と。之を戒めて、遂に行く。夜に逮びて齊に至る。國人之を知る。僖子、子士の母をして之を養はしめ、饋る者と皆入る。
現代語訳
八月、斉の邴意茲(へいいし、高氏・国氏の一党)が魯へ亡命してきた。陳僖子(陳乞)は人をやって(魯にいる)公子陽生を呼び寄せた。陽生は車に馬をつけて南郭且于(なんかくしょう)に会いに行き、言った。「以前、季孫に馬を献上したが、上等の馬の列に入れてもらえなかった。そこでまたこの馬を献上しようと思う。どうかあなたと一緒に乗って試してみたい」。魯の萊門を出たところで、南郭且于に本当の事情を打ち明けた。闞止(かんし、陽生の家臣、子我)はこの計画を知って、先に城外で待っていた。公子は言った。「事はまだどうなるかわからない。おまえは帰って壬(じん、陽生の子)と一緒にいてくれ」。こう言い含めて、そのまま出発した。夜になって斉に着いた。国の人々はそれを知った。僖子は子士(しし、陳乞の子)の母に陽生の世話をさせてかくまい、食事を運ぶ者たちに紛れさせて一緒に(公宮に)入れた。
解説
この章句が説くこと
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