春秋左氏伝 / 哀公四年 邯鄲降る
秋。七月。齊陳乞。弦施。衛甯跪。救范氏。庚午。圍五鹿。九月。趙鞅圍邯鄲。冬。十一月。邯鄲降。荀寅奔鮮虞。趙稷奔臨。十二月。弦施逆之。遂墮臨。國夏伐晉。取邢。任。欒。鄗。逆畤。陰人。盂。壺口。會鮮虞。納荀寅于柏人。
新字:秋。七月。斉陳乞。弦施。衛甯跪。救范氏。庚午。囲五鹿。九月。趙鞅囲邯鄲。冬。十一月。邯鄲降。荀寅奔鮮虞。趙稷奔臨。十二月。弦施逆之。遂堕臨。国夏伐晋。取邢。任。欒。鄗。逆畤。陰人。盂。壺口。会鮮虞。納荀寅于柏人。
書き下し
秋、七月、齊の陳乞・弦施、衛の甯跪、范氏を救ふ。庚午、五鹿を圍む。九月、趙鞅、邯鄲を圍む。冬、十一月、邯鄲降る。荀寅は鮮虞に奔り、趙稷は臨に奔る。十二月、弦施之を逆へ、遂に臨を墮(やぶ)る。國夏、晉を伐ち、邢・任・欒・鄗・逆畤・陰人・盂・壺口を取る。鮮虞に會し、荀寅を柏人に納る。
現代語訳
秋七月、斉の陳乞(ちんきつ)と弦施(げんし)、衛の甯跪(ねいき)が范氏を救援し、庚午の日、(晋の)五鹿を包囲した。九月、趙鞅は邯鄲を包囲した。冬十一月、邯鄲は降伏した。荀寅(中行寅)は鮮虞へ、趙稷(ちょうしょく、邯鄲の趙氏)は臨へ逃れた。十二月、斉の弦施が趙稷を迎え入れ、そのまま臨の城壁を取り壊した。斉の国夏(こくか)は晋を攻め、邢・任・欒・鄗・逆畤・陰人・盂・壺口の八つの邑を取った。そして鮮虞と会合し、荀寅を柏人(はくじん)の城に送り込んだ。
解説
晋の内乱が周辺国を巻き込んで拡大していく様子を、淡々と地名を並べて記録した条である。趙鞅は朝歌に続いて邯鄲も落とし、范氏・中行氏の拠点は次々と崩れる。ところが斉は范氏救援を名目に晋の領内へ攻め込み、邢・任・欒など八つの邑を一度に奪い、鮮虞と組んで荀寅を柏人へ送り込んだ。地名の列挙そのものが、かつての盟主晋の領土が削られていく記録になっている。ここに斉の将として陳乞の名が見えるのも見逃せない。彼は二年後、斉の国内で高氏・国氏を追い落とし、陳(田)氏が斉を乗っ取る道を開く人物である。内紛を抱えた組織には、外部の者が「支援」を名目に入り込み、実利を取っていく。その支援者自身の国もまた、同じように内側から変わりつつあった。
この章句が説くこと
内乱介入国力記録覇権
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