韓非子 / 初見秦第一
今秦地折長補短,方數千里,名師數十百萬。秦之號令賞罰,地形利害,天下莫若也。以此與天下,天下不足兼而有也。是故秦戰未嘗不尅,攻未嘗不取,所當未嘗不破,開地數千里,此其大功也。
新字:今秦地折長補短,方数千里,名師数十百万。秦之号令賞罰,地形利害,天下莫若也。以此与天下,天下不足兼而有也。是故秦戦未嘗不尅,攻未嘗不取,所当未嘗不破,開地数千里,此其大功也。
書き下し
今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦の号令賞罰、地形利害、天下若くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、天下兼ねて有つに足らざるなり。是の故に秦戦ひて未だ嘗て克たずんばあらず、攻めて未だ嘗て取らずんばあらず、当たる所未だ嘗て破らずんばあらず、地を開くこと数千里、此れ其の大功なり。
現代語訳
いま秦の国土は、出っ張ったところを削って足りないところを補えば数千里四方あり、名だたる軍は数十万から百万に及ぶ。秦の号令と賞罰、地形の有利さは、天下に並ぶものがない。これをもって天下に当たれば、天下を併せ持つことなど造作もない。だから秦は戦えば勝たなかったことがなく、攻めれば取らなかったことがなく、向かうところ打ち破らなかったことがなく、数千里の土地を切り開いてきた。これが秦の大きな功績である。
解説
秦の国土の広さ、軍の規模、号令と賞罰の確かさ、地形の利を並べ、天下を併合する条件はすでにそろっていると秦王を鼓舞する一節です。ここで韓非は、兵の数や土地よりも前に「号令賞罰」を挙げており、制度が確かであることを国力の中心に置いています。この篇の後半では、それほどの条件がありながら秦が覇業を成し遂げられないのは謀臣の失策のせいだ、という議論に続きます。自社の強みを正確に数え上げることは大切ですが、強みがそろっていても成果が出ないなら、その原因は資源ではなく判断や運用にあると考えるべきだ、という示唆にもつながります。
関連する章句
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『韓非子』初見秦第一今秦は号令を出だして賞罰を行ひ、功有ると功無きと相事とす。其の父母の懐衽の中より出でて、生まれて未だ嘗て寇を見ざるのみ。戦ひを聞けば、足を頓し徒裼し、白刃を犯し、鑪炭を踏み、死を前に断ずる者皆是れなり。夫れ死を断ずると生を断ずるとは同じからず、而るに民之を為す者は、是れ奮死を貴べばなり。
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『韓非子』初見秦第一然らば則ち是れ趙挙がり、趙挙がれば則ち韓亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏独立すること能はず。荊・魏独立すること能はざれば、則ち是れ一挙にして韓を壊り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て斉・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に沃ぎ、是れ一挙にして三晋亡び、従者敗るるなり。大王垂拱して以て之を須たば、天下編随して服せん、覇王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た趙氏と和を為す。夫れ大王の明、秦兵の強きを以て、覇王の業を棄て、地曾て得べからず、乃ち亡国に欺かるるは、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙は亡ぶべくして亡びず、秦は覇たるべくして覇たらず、天下固より以て秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た士卒を悉くして以て邯鄲を攻むるも、抜くこと能はず、甲兵弩を棄て、戦竦して却く、天下固より已に秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて復り、李下に并せ、大王又軍を并せて至り、与に戦ひて之に克つこと能はず、又反ること能はず、軍罷れて去る、天下固より秦の力を量ること三なり。内は吾が謀臣を量り、外は吾が兵力を極む。是に由りて之を観れば、臣以為へらく、天下の従は、幾ど難からず。内は、吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚し。外は、天下皆比意甚だ固し。願はくは大王以て之を慮ること有れ。
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『韓非子』初見秦第一賞を言ひて則ち与へず、罰を言ひて則ち行はず、賞罰信ならず、故に士民死せざるなり。
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『韓非子』初見秦第一人の臣と為りて忠ならざるは、死に当たる。言ひて当たらざるも、亦た死に当たる。然りと雖も、臣願はくは悉く聞く所を言はん、唯だ大王其の罪を裁せよ。臣聞く、天下、燕を陰にし魏を陽にし、荊に連なり斉を固め、韓を収めて従を成し、将に西面して以て強秦と難を為さんとすと。臣窃かに之を笑ふ。世に三亡有りて、天下之を得たり、其れ此の謂か。臣之を聞く、曰く、「乱を以て治を攻むる者は亡び、邪を以て正を攻むる者は亡び、逆を以て順を攻むる者は亡ぶ」と。今天下の府庫は盈たず、囷倉は空虚なり。其の士民を悉くし、軍を張ること数十百万、其の頓首戴羽して将軍と為り死を前に断ずる者は千人に至らず、皆言を以て死す。白刃前に在り、斧鑕後に在りて、却走して死すること能はざるなり。其の士民の死すること能はざるに非ざるなり、上能はざるが故なり。
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『長短経』七雄略張儀、楚の懐王に説きて曰く「秦の地は天下に半ばし、兵は四国に敵し、山を被り河を帯び、四塞にして以て固しと為す。〈范雎、秦の昭王に説きて曰く「大王の国は、四塞にして以て固しと為す。北に甘泉・谷口有り、南に涇・渭有り、右は隴・蜀、左は関阪なり。奮撃百万、戦車千乗。利あれば則ち出でて攻め、利あらずんば則ち入りて守る。此れ王者の地なり。民は私闘に怯え、公戦に勇なり。此れ王者の人なり。王、此の二者を并せて之を有つ。以て諸侯に当たるは、譬えば韓盧を放ちて蹇兎を捕らうが如きなり」と。〉
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『韓非子』初見秦第一何を以て其の然るを知るや。昔者紂は天子と為り、将に天下の甲兵百万を率ゐ、左は淇渓に飲ひ、右は洹谿に飲ひ、淇水竭きて洹水流れず、以て周の武王と難を為さんとす。武王は素甲三千を将ゐ、戦ふこと一日にして、紂の国を破り、其の身を禽にし、其の地に拠りて其の民を有ち、天下傷む莫し。知伯は三国の衆を率ゐて以て趙襄主を晋陽に攻め、水を決して之に灌ぐこと三月、城且に抜けんとす。襄主亀を鑽り筮して兆を占ひ、以て利害を視、何れの国に降るべきかを視る。乃ち其の臣張孟談を使はす。是に於て乃ち潜行して出で、知伯の約に反かしめ、両国の衆を得て、以て知伯を攻め、其の身を禽にし、以て襄主の初めに復す。今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦国の号令賞罰、地形利害、天下如くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、兼ねて有つべきなり。臣昧死して願はくは大王に見えんことを望み、天下の従を破り、趙を挙げ、韓を亡ぼし、荊・魏を臣とし、斉・燕を親しみ、以て覇王の名を成し、四隣の諸侯を朝せしむる所以の道を言はん。