史記 / 楚世家
是歳滅庸。六年,伐宋,獲五百乘。
新字:是歳滅庸。六年,伐宋,獲五百乗。
書き下し
是の歳、庸を滅ぼす。六年、宋を伐ち、五百乗を獲たり。
現代語訳
(楚の荘王が政治に励み始めた)この年、楚は庸を滅ぼした。六年、宋を攻め、戦車五百乗を捕獲した。
解説
楚の荘王が、即位後三年の遊興の日々を改めて政治に身を入れ始めた直後の成果を、簡潔に記した一節です。荘王は即位してから三年間、号令を出さずに酒と女に明け暮れ、諫める者は死罪とすると布告していました。しかし伍挙の「三年鳴かず飛ばずの鳥」の謎かけや蘇従の命がけの諫言を受けて、遊びをやめて政治に取り組み、数百人を処罰し数百人を取り立てたと伝えられます。そのうえで最初に挙げた成果が、この年の庸の滅亡と、六年の宋への遠征での戦車五百乗の捕獲でした。わずか二つの事実を並べた短い記述ですが、姿勢を改めた君主の下で、楚の国力がたちまち外へ向かって発揮されたことを示しています。この後、荘王は周の都の近くまで兵を進め、鼎の軽重を問うことになります。長く沈黙していたリーダーが本気を出したとき、組織は短期間で大きく変わりうるのです。
この章句が説くこと
楚の荘王楚荘王組織の刷新国力所誅者数百人所進者数百人転換
関連する章句
-
『韓非子』飾邪第十九地無く民無くんば、堯・舜も以て王たること能はず、三代も以て強きこと能はず。人主又以て過予し、人臣又以て徒取す。法律を舎てて先王明君の功を言ふ者を、上之に任ずるに国を以てす。
-
『韓非子』初見秦第一今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦の号令賞罰、地形利害、天下若くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、天下兼ねて有つに足らざるなり。是の故に秦戦ひて未だ嘗て克たずんばあらず、攻めて未だ嘗て取らずんばあらず、当たる所未だ嘗て破らずんばあらず、地を開くこと数千里、此れ其の大功なり。
-
孫子・作戦篇その戦を用うるや勝つと雖も、久しければ兵鈍く鋭を挫き…国用足らず。
-
尉繚子・制談此くの如くんば、戦ひ勝つと雖も国益々弱く、地を得るも国益々貧しきは、国中の制弊るるに由るなり。
-
『春秋左氏伝』哀公四年 邯鄲降る秋、七月、齊の陳乞・弦施、衛の甯跪、范氏を救ふ。庚午、五鹿を圍む。九月、趙鞅、邯鄲を圍む。冬、十一月、邯鄲降る。荀寅は鮮虞に奔り、趙稷は臨に奔る。十二月、弦施之を逆へ、遂に臨を墮(やぶ)る。國夏、晉を伐ち、邢・任・欒・鄗・逆畤・陰人・盂・壺口を取る。鮮虞に會し、荀寅を柏人に納る。
-
『論語と算盤』理想と迷信・真正なる文明さて一国の進歩はいずれに傾くかというに、古来各国の実例を観るに、多く文化の進歩が先にして、実力が後より追随するように思われる。ことに国によりては兵力がまず前駆して、富力というものはことさらに遅れ馳せになるということは、多く見る例である。我が帝国の現状もやはりそういう有様と言わねばなるまいかと思う。その国体が万国に冠絶して、そして百般の施設も、維新以後輔弼の賢臣が打ち寄って漸次に建設せられたのであるから、まことに申し分はないと思っている。ただそれに伴う富実の力が同じく完備しているかというと、悲しいかな歳月なお浅しと言わねばならぬ。富実の根本たるべき実業の養成は、短日月にして満足し得るものではない。ために前に申す国体とか制度とかいうものが完備せるに比較すれば、富力はすこぶる欠如している。ただしその富を増殖することのみに国民挙って努力するならば、帝国小なりといえども種々なる方法もあるだろう。けれども富むより先に使用せねばならぬという必要がある。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る