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春秋左氏伝 / 哀公三年 季孫の遺言

秋。季孫有疾。命正常曰。無死。南孺子之子。男也。則以告而立之。女也。則肥也可。季孫卒。康子即位。既葬。康子在朝。南氏生男正常。載以如朝。告曰。夫子有遺言。命其圉臣曰。南氏生男。則以告於君。與大夫。而立之。今生矣。男也。敢告。遂奔衛。康子請退。公使共劉視之。則或殺之矣。乃討之。召正常。正常不反。冬。十月。晉趙鞅圍朝歌。師于其南。荀寅伐其郛。使其徒自北門入。己犯師而出。癸丑。奔邯鄲。十一月。趙鞅殺士皋夷。惡范氏也。

新字:秋。季孫有疾。命正常曰。無死。南孺子之子。男也。則以告而立之。女也。則肥也可。季孫卒。康子即位。既葬。康子在朝。南氏生男正常。載以如朝。告曰。夫子有遺言。命其圉臣曰。南氏生男。則以告於君。与大夫。而立之。今生矣。男也。敢告。遂奔衛。康子請退。公使共劉視之。則或殺之矣。乃討之。召正常。正常不反。冬。十月。晋趙鞅囲朝歌。師于其南。荀寅伐其郛。使其徒自北門入。己犯師而出。癸丑。奔邯鄲。十一月。趙鞅殺士皋夷。悪范氏也。

書き下し

秋、季孫疾有り。正常に命じて曰く、「死すること無かれ。南孺子の子、男ならば、則ち以て告げて之を立てよ。女ならば、則ち肥や可なり」と。季孫卒し、康子位に即く。既に葬りて、康子朝に在り。南氏男を生む。正常載せて以て朝に如き、告げて曰く、「夫子遺言有り。其の圉臣に命じて曰く、『南氏男を生まば、則ち以て君と大夫とに告げて、之を立てよ』と。今生まれたり、男なり。敢へて告ぐ」と。遂に衛に奔る。康子退かんことを請ふ。公、共劉をして之を視しむ。則ち或ひと之を殺せり。乃ち之を討ず。正常を召すも、正常反らず。冬、十月、晉の趙鞅、朝歌を圍み、其の南に師す。荀寅、其の郛を伐たしめ、其の徒をして北門より入らしめ、己は師を犯して出づ。癸丑、邯鄲に奔る。十一月、趙鞅、士皋夷を殺す。范氏を惡めばなり。

現代語訳

秋、季孫(季桓子)が病気になった。家臣の正常(せいじょう)に命じて言った。「私の後を追って死んではならない。南孺子(なんじゅし、季桓子の妻)の子が男ならば、君に告げてその子を立てよ。女ならば、肥(ひ、季康子)が継いでよい」。季孫が亡くなり、康子(季康子)が位についた。葬儀が済み、康子が朝廷にいるとき、南氏が男子を生んだ。正常はその子を車に乗せて朝廷に行き、告げて言った。「亡き主人には遺言がございました。その僕である私に命じて、『南氏が男子を生んだならば、君と大夫がたに告げて、その子を立てよ』と申されました。いま生まれました。男子です。謹んでご報告いたします」。そしてそのまま衛へ出奔した。康子は退位を願い出た。哀公は共劉(きょうりゅう)に赤子の様子を見に行かせたが、何者かがすでにその子を殺していた。そこで下手人を処罰した。正常を呼び戻そうとしたが、正常は帰らなかった。冬十月、晋の趙鞅は朝歌を包囲し、その南に陣を布いた。荀寅(中行寅)は配下に外郭から趙軍に攻めかからせ、自分の手勢を北門から城内に入れておいて、自分は包囲軍を突破して脱出した。癸丑の日、邯鄲へ出奔した。十一月、趙鞅は士皋夷(しこうい)を殺した。范氏の一族を憎んだからである。

解説

魯の実力者季桓子の死をめぐる後継の一件である。季桓子は死に際に、懐妊中の妻南孺子の子が男なら立てよ、女なら庶子の肥(季康子)に継がせよと家臣正常に命じた。季康子がすでに立った後に男子が生まれ、正常は遺言どおり赤子を朝廷に連れて行って告げると、そのまま衛へ逃げた。自分の身が危ないことを知っていたのである。康子は退位を申し出るが、赤子は何者かに殺される。下手人は処罰されたが、誰が命じたのかを左伝は書かない。書かないことで読者に考えさせる筆法である。正常が呼ばれても戻らなかったのも示唆的だ。条件付きの遺言は、それを執行する者を危険にさらし、既得権を持つ側に疑いを残す。後継をあいまいにしたまま去ることの代価を、ここでは一人の赤子と一人の家臣が払っている。

この章句が説くこと

後継者遺言忠誠権力筆法

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