説苑 / 尊賢
齊將軍田瞶出將,張生郊送曰:「昔者堯讓許由以天下,洗耳而不受,將軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「伯夷叔齊辭諸侯之位而不為,將軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「於陵仲子辭三公之位而傭為人灌園,將軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「智過去君第,變姓名,免為庶人,將軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「孫叔敖三去相而不悔,將軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「此五大夫者,名辭之而實羞之。今將軍方吞一國之權,提鼓擁旗,被堅執銳,旋回十萬之師,擅斧鉞之誅,慎毋以士之所羞者驕士。」田瞶曰:「今日諸君皆為瞶祖道具酒脯,而先生獨教之以聖人之大道,謹聞命矣。」
新字:斉将軍田瞶出将,張生郊送曰:「昔者堯譲許由以天下,洗耳而不受,将軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「伯夷叔斉辞諸侯之位而不為,将軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「於陵仲子辞三公之位而傭為人灌園,将軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「智過去君第,変姓名,免為庶人,将軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「孫叔敖三去相而不悔,将軍知之乎?」曰:「唯然,知之。」「此五大夫者,名辞之而実羞之。今将軍方呑一国之権,提鼓擁旗,被堅執鋭,旋回十万之師,擅斧鉞之誅,慎毋以士之所羞者驕士。」田瞶曰:「今日諸君皆為瞶祖道具酒脯,而先生独教之以聖人之大道,謹聞命矣。」
書き下し
斉の将軍田瞶出でて将たらんとす。張生郊に送りて曰く、「昔者堯許由に天下を譲るに、耳を洗いて受けず、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「伯夷叔斉諸侯の位を辞して為さず、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「於陵の仲子三公の位を辞して傭われて人の為に園に灌ぐ、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「智過君の第を去り、姓名を変じ、免れて庶人と為る、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「孫叔敖三たび相を去りて悔いず、将軍之を知るか」と。曰く、「唯然、之を知る」と。「此の五大夫は、名は之を辞すれども実は之を羞ずるなり。今将軍方に一国の権を吞み、鼓を提げ旗を擁し、堅を被り鋭を執り、十万の師を旋回し、斧鉞の誅を擅にす、慎みて士の羞ずる所の者を以て士に驕る勿かれ」と。田瞶曰く、「今日諸君皆瞶が為に祖道して酒脯を具うるに、先生独り之に教うるに聖人の大道を以てす、謹んで命を聞けり」と。
現代語訳
斉の将軍田瞶が出征するにあたり、張生が郊外まで見送って言った。「昔、堯が許由に天下を譲ろうとした時、許由は耳を洗って受けなかった、将軍はこれをご存知か」。「はい、存じております」。「伯夷・叔斉は諸侯の位を辞して就かなかった、ご存知か」。「はい、存じております」。「於陵の仲子は三公の位を辞して人に雇われて畑に水をやった、ご存知か」。「はい、存じております」。「智過は主君の屋敷を去り、姓名を変えて庶人となった、ご存知か」。「はい、存じております」。「孫叔敖は三度宰相の位を去っても悔いなかった、ご存知か」。「はい、存じております」。「この五人の大夫は、名目上は地位を辞退したが、実際にはそれを恥じたのです。今、将軍はまさに一国の権力を掌握し、太鼓を提げ旗を掲げ、甲冑をまとい武器を執り、十万の軍を動かし、生殺与奪の権を恣にしようとしています。どうか、この五人が恥じたようなもの(権力への執着)によって、士人に対して驕り高ぶることのないよう、くれぐれもお慎みください」。田瞶は言った。「今日、諸君は皆私のために餞別の宴を設け酒や肴を用意してくれたが、あなただけは聖人の大いなる道を教えてくれた。謹んでその教えを心に留めよう」と。
解説

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