春秋左氏伝 / 哀公元年 十年生聚、十年教訓
吳子將許之,伍員曰:「不可。臣聞之:『樹德莫如滋,去疾莫如盡。』昔有過澆,殺斟灌以伐斟鄩,滅夏后相。后緡方娠,逃出自竇,歸于有仍,生少康焉,為仍牧正,惎澆能戒之。澆使椒求之,逃奔有虞,為之庖正,以除其害。虞思於是妻之以二姚,而邑諸綸,有田一成,有眾一旅,能布其德,而兆其謀,以收夏眾,撫其官職;使女艾諜澆,使季杼誘豷,遂滅過戈,復禹之績,祀夏配天,不失舊物。今吳不如過,而越大於少康,或將豐之,不亦難乎!句踐能親而務施,施不失人,親不棄勞,與我同壤,而世為仇讎,於是乎克而弗取,將又存之,違天而長寇讎,後雖悔之,不可食已。姬之衰也,日可俟也;介在蠻夷,而長寇讎,以是求伯,必不行矣。」弗聽,退而告人曰:「越十年生聚,而十年教訓;二十年之外,吳其為沼乎!」
新字:呉子将許之,伍員曰:「不可。臣聞之:『樹徳莫如滋,去疾莫如尽。』昔有過澆,殺斟灌以伐斟鄩,滅夏后相。后緡方娠,逃出自竇,帰于有仍,生少康焉,為仍牧正,惎澆能戒之。澆使椒求之,逃奔有虞,為之庖正,以除其害。虞思於是妻之以二姚,而邑諸綸,有田一成,有衆一旅,能布其徳,而兆其謀,以収夏衆,撫其官職;使女艾諜澆,使季杼誘豷,遂滅過戈,復禹之績,祀夏配天,不失旧物。今呉不如過,而越大於少康,或将豊之,不亦難乎!句践能親而務施,施不失人,親不棄労,与我同壤,而世為仇讎,於是乎克而弗取,将又存之,違天而長寇讎,後雖悔之,不可食已。姫之衰也,日可俟也;介在蠻夷,而長寇讎,以是求伯,必不行矣。」弗聴,退而告人曰:「越十年生聚,而十年教訓;二十年之外,呉其為沼乎!」
書き下し
吳子將に之を許さんとす。伍員曰く、「不可なり。臣之を聞く、『德を樹つるは滋(ま)すに如くは莫く、疾を去るは盡くすに如くは莫し』と。昔、有過の澆、斟灌を殺して以て斟鄩を伐ち、夏后相を滅ぼす。后緡方に娠めり。竇より逃れ出で、有仍に歸り、少康を生む。仍の牧正と為り、澆を惎(にく)みて能く之を戒む。澆、椒をして之を求めしむ。逃れて有虞に奔り、之が庖正と為り、以て其の害を除く。虞思是に於てか之に妻はすに二姚を以てし、而して諸を綸に邑せしむ。田一成有り、眾一旅有り。能く其の德を布きて、其の謀を兆し、以て夏の眾を收め、其の官職を撫す。女艾をして澆を諜(うかが)はしめ、季杼をして豷を誘はしめ、遂に過・戈を滅ぼし、禹の績を復し、夏を祀りて天に配し、舊物を失はず。今吳は過に如かずして、越は少康より大なり。或いは將に之を豐かにせんとす。亦た難からずや。句踐は能く親しみて施しを務む。施して人を失はず、親しみて勞を棄てず。我と壤を同じくして、世々仇讎為り。是に於てか克ちて取らず、將に又之を存せんとす。天に違ひて寇讎を長ず。後に之を悔ゆと雖も、食(け)すべからざるのみ。姬の衰ふるや、日ありて俟つべきなり。蠻夷に介在して、寇讎を長ず。是を以て伯を求むるも、必ず行はれざらん」と。聽かず。退きて人に告げて曰く、「越は十年生聚して、十年教訓す。二十年の外、吳其れ沼と為らんか」と。
現代語訳
呉子(夫差)が講和を許そうとすると、伍員(ごうん、伍子胥)が言った。「いけません。私はこう聞いております。『徳を植えるには、ますます育てるに越したことはなく、病を除くには、根こそぎ除くに越したことはない』と。昔、有過(ゆうか)の国の澆(ぎょう)は斟灌(しんかん)を殺して斟鄩(しんじん)を攻め、夏の君主相(しょう)を滅ぼしました。相の后の緡(びん)はそのとき身ごもっており、壁の穴から逃げ出して実家の有仍(ゆうじょう)に帰り、少康を生みました。少康は有仍の牧畜の長となり、澆を憎みつつも、よく警戒しておりました。澆は臣下の椒(しょう)に少康を探させましたが、少康は有虞(ゆうぐ)へ逃れ、その料理番の長となって、澆の害を免れました。虞の君の思(し)は、そこで二人の娘(姚姓)を少康に娶せ、綸(りん)の邑に住まわせました。田はわずか十里四方、民はわずか五百人でした。それでも少康はよく徳を施し、計略の端緒を開き、夏の遺民を集め、その官職を整えました。女艾(じょがい)に澆の様子を探らせ、季杼(きちょ)に(澆の弟の)豷(き)をおびき出させて、ついに過と戈の二国を滅ぼし、禹の功業を回復し、夏の祖先を天とともに祀り、昔からのものを何一つ失いませんでした。いま呉は過ほどの力もなく、越は少康よりも大きい。それをさらに肥え太らせようとなさるのは、なんとも厄介なことではありませんか。勾践は人に親しみ、施しに努める人物です。施しをして人の心を失わず、親しんで功労ある者を見捨てません。越はわが国と土地を接し、代々の仇敵です。ここで勝ちながら取らず、また存続させようとするのは、天意に背いて仇敵を育てることです。後で悔やんでも、取り消すことはできません。周の姫姓の国々の衰えは、日を数えて待つばかりです。わが呉は蛮夷の間にあって、しかも仇敵を育てるのです。これで覇者の地位を求めても、決してうまくいきますまい」。夫差は聞き入れなかった。伍員は退いて人に言った。「越は十年かけて民を増やし財を蓄え、十年かけて民を教え鍛えるだろう。二十年の後には、呉の宮殿は沼になっているのではないか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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