史記 / 殷本紀
紂曰:「我生不有命在天乎!」祖伊反,曰:「紂不可諫矣。」西伯既卒,周武王之東伐,至盟津,諸侯叛殷會周者八百。諸侯皆曰:「紂可伐矣。」武王曰:「爾未知天命。」乃復歸。紂愈淫亂不止。微子數諫不聽,乃與大師、少師謀,遂去。比干曰:「為人臣者,不得不以死爭。」迺強諫紂。紂怒曰:「吾聞聖人心有七竅。」剖比干,觀其心。箕子懼,乃詳狂為奴,紂又囚之。殷之大師、少師乃持其祭樂器奔周。周武王於是遂率諸侯伐紂。紂亦發兵距之牧野。甲子日,紂兵敗。紂走,入登鹿臺,衣其寶玉衣,赴火而死。
新字:紂曰:「我生不有命在天乎!」祖伊反,曰:「紂不可諫矣。」西伯既卒,周武王之東伐,至盟津,諸侯叛殷会周者八百。諸侯皆曰:「紂可伐矣。」武王曰:「爾未知天命。」乃復帰。紂愈淫乱不止。微子数諫不聴,乃与大師、少師謀,遂去。比干曰:「為人臣者,不得不以死争。」迺強諫紂。紂怒曰:「吾聞聖人心有七竅。」剖比干,観其心。箕子懼,乃詳狂為奴,紂又囚之。殷之大師、少師乃持其祭楽器奔周。周武王於是遂率諸侯伐紂。紂亦発兵距之牧野。甲子日,紂兵敗。紂走,入登鹿台,衣其宝玉衣,赴火而死。
書き下し
紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
現代語訳
紂は言った。「私が生まれたのは、天命があってのことではないか。」祖伊は引き下がって言った。「紂はもう諫めようがない。」西伯が亡くなると、周の武王が東へ兵を進め、盟津に至った。殷に背いて周のもとに集まった諸侯は八百に及んだ。諸侯はみな「紂を討つべきだ」と言った。武王は「おまえたちはまだ天命を知らない」と言って、兵を引き返した。紂はますます淫乱になり、やむことがなかった。微子はたびたび諫めたが聞き入れられず、太師・少師と相談して、ついに国を去った。比干は言った。「臣下たる者は、死をもってでも争わねばならない。」そして強く紂を諫めた。紂は怒って言った。「聖人の心臓には七つの穴があると聞いている。」そして比干の胸を切り裂いて心臓を見た。箕子は恐れて、狂ったふりをして奴隷となったが、紂はまた彼を捕らえて閉じ込めた。殷の太師・少師は祭祀に用いる楽器を携えて周へ逃げた。周の武王はそこでついに諸侯を率いて紂を討った。紂も兵を出して牧野でこれを迎え撃った。甲子の日、紂の軍は敗れた。紂は逃げて鹿台に登り、宝玉で飾った衣をまとい、火の中に身を投じて死んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・西伯戡黎西伯既に黎を戡(か)つ、祖伊恐れ、奔りて王に告ぐ。曰く、「天子よ、天既に我が殷の命を訖(を)へんとす。格人元亀も、敢て吉を知る罔し。先王我が後人を相けざるに非ず、惟れ王淫戯して用て自ら絶つ。故に天我を棄て、康食有らず、天性を虞(はか)らず、率典に迪(したが)はず。今我が民喪びんことを欲せざる罔く、曰く、『天曷ぞ威を降さざる、大命摯(いた)らざる』と。今王其れ台(われ)を如何せん。」王曰く、「嗚呼(ああ)、
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尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
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尚書・泰誓中今商王受、力めて無度を行ひ、犁老(りろう)を播棄し、罪人に昵比す。淫酗肆虐し、臣下之に化す。朋家仇を作し、権を脅かして相滅ぼし、無辜天に籲(さけ)び、穢徳彰聞す。惟れ天は民を恵み、惟れ辟(きみ)は天を奉ず。有夏の桀、天に若ふ克はず、毒を下国に流す、天乃ち成湯を佑命し、夏の命を降黜す。惟れ受の罪桀より浮(す)ぐ、元良を剥喪し、諫輔を賊虐し、己に天命有りと謂ひ、敬は行ふに足らずと謂ひ、祭は益無しと謂ひ、暴は傷無しと謂ふ、厥の監遠からず、彼の夏王に在り。天其れ予を以て民を乂めしめんとす、朕が夢朕が卜に協ひ、休祥を襲(かさ)ぬ、商を戎(う)てば必ず克たん、
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国語・晋語四公子鄭を過ぐ。鄭の文公も亦礼せず。叔詹(しゅくせん)諫めて曰く、「臣之を聞く、天に親しみ、前訓を用い、兄弟を礼し、窮困を資(たす)くるは、天の福する所なり。今晋の公子に三祚(さんそ)有り、天将に之を啓かんとす。同姓は婚せず、殖(ふ)えざるを悪(にく)めばなり。狐氏は唐叔より出づ。狐姫は、伯行の子なり、実に重耳を生む。成りて雋才(しゅんさい)あり、離違して所を得、久しく約(くる)しみて釁(きず)無し、一なり。同出九人、唯重耳のみ在り、外に離るるの患いありて、晋国靖(やす)からず、二なり。晋侯日に其の怨みを載せ、外内之を棄つ。重耳日に其の徳を載せ、狐・趙之を謀る、三なり。周頌に在りて曰く、『天高山を作り、大王之を荒(おお)いにす』と。荒とは、之を大いにするなり。天の作る所を大いにす、天に親しむと謂うべし。晋・鄭は兄弟なり。吾が先君武公晋の文侯と力を戮(あわ)せ心を一にし、周室に股肱(ここう)し、平王を夾輔す。平王労(ねぎら)いて之を徳とし、之に盟質を賜いて曰く、『世々相起(たす)けよ』と。若し天に親しむは、三祚を獲る者、天を大いにすと謂うべし。若し前訓を用うるは、文侯の功、武公の業、前訓と謂うべし。若し兄弟を礼するは、晋・鄭の親、王の遺命、兄弟と謂うべし。若し窮困を資くるは、亡げて長幼に在り、諸侯に還軫(かんしん)す、窮困と謂うべし。此の四者を棄てて、以て天禍を徼(もと)むるは、乃ち不可なること無からんや。君其れ之を図れ」と。聴かず。 叔詹曰く、「若し礼せずんば、則ち請う之を殺さん。諺に曰く、『黍稷(しょしょく)成ること無くんば、栄を為すこと能わず。黍黍と為らずんば、蕃廡(はんぶ)すること能わず。稷稷と為らずんば、蕃殖すること能わず。生ずる所疑わず、唯徳の基なり』と」。公聴かず。
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