師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 田叔列伝

魯相初到、民自言相、訟王取其財物百餘人。田叔取其渠率二十人、各笞五十、餘各搏二十、怒之曰、王非若主邪、何自敢言若主。魯王聞之大慚、発中府銭、使相償之。相曰、王自奪之、使相償之、是王為悪而相為善也。相毋与償之。於是王乃尽償之。魯王好猟、相常従入苑中、王輒休相就館舍、相出、常暴坐待王苑外。王数使人請相休、終不休、曰、我王暴露苑中、我独何為就舍。魯王以故不大出游。

新字:魯相初到、民自言相、訟王取其財物百余人。田叔取其渠率二十人、各笞五十、余各搏二十、怒之曰、王非若主邪、何自敢言若主。魯王聞之大慚、発中府銭、使相償之。相曰、王自奪之、使相償之、是王為悪而相為善也。相毋与償之。於是王乃尽償之。魯王好猟、相常従入苑中、王輒休相就館舎、相出、常暴坐待王苑外。王数使人請相休、終不休、曰、我王暴露苑中、我独何為就舎。魯王以故不大出游。

書き下し

魯相初めて到るに、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百餘人。田叔其の渠率二十人を取り、各おの笞五十、餘は各おの搏二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや、何ぞ自ら敢て若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慙ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしめば、是れ王悪を為して相善を為すなり。相与に之を償ふ毋からん」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る、王輒ち相を休ましめて館舍に就かしむ、相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数しば人をして相を休ましめんことを請ふも、終に休まず、曰く、「我が王苑中に暴露す、我独り何為れぞ舍に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。

現代語訳

「主君を立てながらも、その過ちには誠実に向き合わせ、正しい姿へと導く」——魯王に仕えた田叔の、絶妙なバランス感覚を描いた一段です。田叔が魯の宰相として着任すると、百人余りの民が「王に財産を取り上げられた」と訴え出ました。田叔はまず、訴えの主導者二十人を捕らえ、各々を鞭打ったうえで叱ります。「王はお前たちの主君ではないか。どうして自分の主君を悪しざまに訴えるのか」と。一見、民を抑えつけたように見えますが、これには狙いがありました。この様子を伝え聞いた魯王は、大いに恥じ入り、自らの蔵の金を出して、宰相に民へ償わせようとします。ところが田叔はこれを断りました。「王ご自身が奪ったものを、宰相の私に償わせては、王が悪者で宰相が善人という形になってしまいます。私は償いには関わりません」と。こうして魯王は、自らの手で全額を民に償ったのです。また魯王は狩猟を好み、田叔もいつも供をしましたが、王が休息所で休むよう勧めても、田叔は炎天下の苑の外に座って、じっと王を待ち続けました。「王が野外にさらされておられるのに、私だけがどうして建物で休めましょう」と。これを恥じた魯王は、以後、遊猟を控えるようになりました。ここに、上司を補佐する作法についての教訓があります。第一に、主君(上司)の顔を立てながらも、その過ちには誠実に向き合わせ、正しい姿へ導くこと。田叔は、民の前で王を悪者にせず、しかし王自身が非を悟り、自らの手で償うよう仕向けた。上司を立てることと、正すことを両立させた。第二に、手柄や善行を自分のものにせず、あくまで上司自身の善行として立てること。「王が悪で相が善」の構図を避けた田叔の配慮が、王の自発的な改善を引き出した。第三に、言葉で諫めるだけでなく、自らの行動(炎天下で待つ)で、身をもって気づかせること。組織で、上司の顔を立てつつ過ちに向き合わせること、手柄を横取りせず上司自身の善行として立てること、そして言葉でなく行動で気づかせる工夫をすること——田叔の補佐は、上に立つ人を正しく支える知恵を教えます。

解説

あなたは、上司や主君の顔を立てながらも、その過ちには誠実に向き合わせ、正しい姿へと導く工夫ができていますか?改善の手柄を自分のものにせず、あくまで相手自身の善行として立てる配慮を持てていますか?言葉で諫めるだけでなく、自らの率先した行動によって、相手に気づかせることができていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ