史記 / 張丞相列伝
及帝欲廢太子、而立戚姬子如意為太子、大臣固爭之、莫能得。而周昌廷爭之彊。上問其說、昌為人吃、又盛怒、曰、臣口不能言、然臣期期知其不可。陛下雖欲廢太子、臣期期不奉詔。上欣然而笑。既罷、呂后側耳於東箱聽、見周昌、為跪謝曰、微君、太子幾廢。
新字:及帝欲廃太子、而立戚姬子如意為太子、大臣固争之、莫能得。而周昌廷争之彊。上問其説、昌為人吃、又盛怒、曰、臣口不能言、然臣期期知其不可。陛下雖欲廃太子、臣期期不奉詔。上欣然而笑。既罷、呂后側耳於東箱聴、見周昌、為跪謝曰、微君、太子幾廃。
書き下し
帝太子を廃し、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争ふも、能く得る莫し。而して周昌廷にて之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌の人と為り吃り、又盛怒して、曰く、「臣口言ふ能はず、然れども臣期期として其の不可を知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷めて、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微かりせば、太子幾ど廃せられん」と。
現代語訳
「弁が立たなくても、命がけの信念と気迫があれば、大事を動かせる」——吃音の臣・周昌が、たどたどしくも決死の諫言で世継ぎを守った、名高い「期期知其不可」の一段です。高祖(劉邦)が、正統な世継ぎである太子を廃し、寵愛する戚姫の子・如意を新たな太子に立てようとしたとき、多くの大臣が反対しましたが、頑固な高祖を止められませんでした。そんな中、周昌が朝廷で、強硬に反対します。高祖が「なぜ反対なのか、その理由を言え」と問うと、周昌は答えようとします。しかし、周昌はもともと吃音(言葉が詰まる)で、しかも激しく怒っていたため、うまく言葉が出ない。それでも彼は、たどたどしく、こう言い放ちました。「臣は、口では、うまく、申し上げられません。し、しかし臣は、き、期期として(=どもりながらも断固として)、それが、不可であることを、知っております。陛下が太子を廃そうとされても、臣は、き、期期として(断固として)、詔を、お受けいたしません」と。この、流暢とはほど遠い、しかし気迫のこもった決死の反対に、高祖は思わず笑って(そして心を動かされて)、太子の廃立を思いとどまりました。この様子を、部屋の陰で聞いていた呂后(太子の母)は、後で周昌を見つけると、ひざまずいて礼を言いました。「あなたがいなければ、太子は廃されるところでした」と。ここに、雄弁さと信念についての教訓があります。第一に、弁が立つこと(雄弁さ)と、人を動かすことは、必ずしも一致しないということ。周昌は、吃音でうまく話せませんでした。それでも、他の雄弁な大臣たちが動かせなかった高祖の決意を、翻させた。人を動かすのは、流暢な弁舌ではなく、その言葉に込められた信念の強さと気迫なのです。たどたどしくても、本気の言葉は、巧みな弁舌以上に人の心を打つ。第二に、命がけの信念を貫くこと。周昌は「詔をお受けしません(=皇帝の命令にも従わない)」とまで言い切った。これは、命の危険を冒す、決死の諫言です。正しいと信じることのために、自分の身を賭して貫く。その覚悟が、大事(世継ぎの安定)を守った。第三に、自分の弱み(吃音)を、言い訳にしなかったこと。周昌は「口下手だから」と諫言を諦めず、たどたどしくても言うべきことを言った。弱みがあっても、信念があれば、それを超えて行動できる。組織や人生で、雄弁さや器用さがなくても、信念の強さと気迫があれば人を動かせること、正しいと信じることを命がけで貫く覚悟の価値、そして自分の弱みを言い訳にしないこと——周昌の「期期知其不可」は、雄弁さより信念が人を動かすという、勇気ある真実を教えます。