春秋左氏伝 / 定公十三年 三たび肱を折る
冬。十一月。荀躒。韓不信。魏曼多。奉公以伐范氏。中行氏。弗克。二子將伐公。齊高彊曰。三折肱知為良醫。唯伐君為不可。民弗與也。我以伐君在此矣。三家未睦。可盡克也。克之。君將誰與。若先伐君。是使睦也。弗聽。遂伐公。國人助公。二子敗。從而伐之。丁未。荀寅。士吉射。奔朝歌。韓魏以趙氏為請。十二月。辛未。趙鞅入于絳。盟于公宮。初。衛公叔文子朝而請享靈公。退見史鰌而告之。史鰌曰。子必禍矣。子富而君貪。其及子乎。文子曰。然。吾不先告子。是吾罪也。君既許我矣。其若之何。史鰌曰。無害。子臣。可以免。富而能臣。必免於難。上下同之。戌也驕。其亡乎。富而不驕者。鮮。吾唯子之見。驕而不亡者。未之有也。戌必與焉。及文子卒。衛侯始惡於公叔戌。以其富也。公叔戌又將去夫人之黨。夫人愬之曰。戌將為亂。
新字:冬。十一月。荀躒。韓不信。魏曼多。奉公以伐范氏。中行氏。弗克。二子将伐公。斉高彊曰。三折肱知為良医。唯伐君為不可。民弗与也。我以伐君在此矣。三家未睦。可尽克也。克之。君将誰与。若先伐君。是使睦也。弗聴。遂伐公。国人助公。二子敗。従而伐之。丁未。荀寅。士吉射。奔朝歌。韓魏以趙氏為請。十二月。辛未。趙鞅入于絳。盟于公宮。初。衛公叔文子朝而請享霊公。退見史鰌而告之。史鰌曰。子必禍矣。子富而君貪。其及子乎。文子曰。然。吾不先告子。是吾罪也。君既許我矣。其若之何。史鰌曰。無害。子臣。可以免。富而能臣。必免於難。上下同之。戌也驕。其亡乎。富而不驕者。鮮。吾唯子之見。驕而不亡者。未之有也。戌必与焉。及文子卒。衛侯始悪於公叔戌。以其富也。公叔戌又将去夫人之党。夫人愬之曰。戌将為乱。
書き下し
冬、十一月、荀躒・韓不信・魏曼多、公を奉じて以て范氏・中行氏を伐つ。克たず。二子將に公を伐たんとす。齊の高彊曰く、「三たび肱を折りて良醫為るを知る。唯だ君を伐つを不可と為す。民與せざるなり。我は君を伐つを以て此に在り。三家未だ睦まじからず、盡く克つべきなり。之に克たば、君將た誰とか與せん。若し先づ君を伐たば、是れ睦まじからしむるなり」と。聽かず。遂に公を伐つ。國人公を助け、二子敗る。從ひて之を伐つ。丁未、荀寅・士吉射、朝歌に奔る。韓・魏、趙氏の為に請ふ。十二月、辛未、趙鞅絳に入り、公宮に盟ふ。初め、衛の公叔文子、朝して靈公を享せんことを請ふ。退きて史鰌に見えて之を告ぐ。史鰌曰く、「子必ず禍あらん。子は富みて君は貪る。其れ子に及ばんか」と。文子曰く、「然り。吾先づ子に告げざりしは、是れ吾が罪なり。君既に我に許せり。其れ之を若何せん」と。史鰌曰く、「害無し。子臣たらば、以て免るべし。富みて能く臣たらば、必ず難を免れん。上下之を同じくす。戌や驕る、其れ亡びんか。富みて驕らざる者は鮮し。吾唯だ子を之れ見る。驕りて亡びざる者は、未だ之れ有らざるなり。戌必ず與らん」と。文子卒するに及び、衛侯始めて公叔戌を惡む。其の富めるを以てなり。公叔戌又將に夫人の黨を去らんとす。夫人之を愬へて曰く、「戌將に亂を為さんとす」と。
現代語訳
冬十一月、荀躒(じゅんれき、知文子)・韓不信(韓簡子)・魏曼多(魏襄子)は晋の定公を奉じて范氏・中行氏を攻めたが、勝てなかった。二子(范氏の士吉射と中行氏の荀寅)は逆に公を攻めようとした。斉から亡命していた高彊が言った。「三度ひじを折ってはじめて良医になれると知るものです。ただ君を攻めることだけはいけません。民が味方しないからです。私は君を攻めたためにここ(亡命先)にいるのです。三家(知・韓・魏)はまだ互いに仲が良くないのですから、すべて打ち破ることができます。三家に勝てば、君はほかに誰を頼みにされましょうか。もし先に君を攻めれば、かえって三家を結束させることになります」。二子は聞き入れず、ついに公を攻めた。国都の人々は公を助け、二子は敗れた。三家はそれを追って攻めた。丁未の日、荀寅と士吉射は朝歌へ出奔した。韓氏と魏氏は趙氏の赦免を公に願い出た。十二月辛未の日、趙鞅は(晋陽から)絳に入り、公宮で盟約を結んだ。これより前、衛の公叔文子は朝廷に出て、霊公を自邸の饗宴に招きたいと願い出た。退出して史鰌(しゅう、史魚)に会い、そのことを告げた。史鰌は言った。「あなたには必ず禍があろう。あなたは富んでおり、君は貪欲だ。禍はあなたに及ぶのではないか」。文子は言った。「その通りだ。先にあなたに相談しなかったのは私の落ち度である。だが君はもう承知された。どうしたらよかろう」。史鰌は言った。「害はない。あなたが臣下としての分を守れば、免れることができる。富んでいても臣下の分を守れる者は、必ず難を免れる。これは上の者にも下の者にも同じことだ。だが(あなたの子の)戌(公叔戌)は驕っている。滅びるのではないか。富んで驕らない者は少ない。私はあなたしか見たことがない。驕って滅びなかった者は、いまだかつていない。戌は必ずその禍に関わるだろう」。文子が亡くなると、衛侯(霊公)ははじめて公叔戌を憎むようになった。その富のためである。公叔戌はさらに夫人(南子)の一党を除こうとした。夫人は霊公に訴えて言った。「戌は乱を起こそうとしています」。
解説
この章句が説くこと
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