墨子 / 明鬼下
今執無鬼者曰:「鬼神者,固無有。」旦暮以為教誨乎天下,之疑天下之衆,使天下之衆皆疑惑乎鬼神有無之别,是以天下亂。是故子墨子曰:今天下之王公大人士君子,實将欲求興天下之利,除天下之害,故當鬼神之有與無之别,以為将不可不眀察此者也。既以鬼神有無之别,以為不可不察已,然則吾為眀察此,其説将奈何而可?子墨子曰:是與天下之所以察知有與無之道者,必以衆之耳目之實知有與無為儀者也。請惑聞之見之,則必以為無。若是何不嘗入一鄉一里而問之,自古以及今,生民以來者,亦有嘗見鬼神之物,聞鬼神之聲,則鬼神可謂無乎?若莫聞莫見,則鬼神可謂有乎?
新字:今執無鬼者曰:「鬼神者,固無有。」旦暮以為教誨乎天下,之疑天下之衆,使天下之衆皆疑惑乎鬼神有無之別,是以天下乱。是故子墨子曰:今天下之王公大人士君子,実将欲求興天下之利,除天下之害,故当鬼神之有与無之別,以為将不可不明察此者也。既以鬼神有無之別,以為不可不察已,然則吾為明察此,其説将奈何而可?子墨子曰:是与天下之所以察知有与無之道者,必以衆之耳目之実知有与無為儀者也。請惑聞之見之,則必以為無。若是何不嘗入一郷一里而問之,自古以及今,生民以来者,亦有嘗見鬼神之物,聞鬼神之声,則鬼神可謂無乎?若莫聞莫見,則鬼神可謂有乎?
書き下し
今、無鬼を執る者曰く、「鬼神なる者は、固より有ること無し」と。旦暮に以て天下に教誨を為し、天下の衆を之れ疑わしめ、天下の衆をして皆な鬼神の有無の别に疑惑せしむ。是を以て天下亂る。是の故に子墨子曰く、今、天下の王公大人・士君子、實に将に天下の利を興し、天下の害を除かんことを求め欲せば、故に當に鬼神の有ると無きとの别、以て将に此を眀察せざる可からざる者と為すべきなり。既に鬼神の有無の别を以て察せざる可からずと為し已わる。然らば則ち吾れ此を眀察するを為すに、其の説、将に奈何にして可ならんとするや。子墨子曰く、是れ天下の以て有ると無きとを察知する所の道なる者と、必ず衆の耳目の實を以て有無を知るを儀と為す者なり。請に之を聞き之を見るに惑わば、則ち必ず以て無しと為さん。是くの若くんば何ぞ嘗みに一鄉一里に入りて之を問わざる。古より以て今に及ぶまで、生民より以來の者、亦た嘗て鬼神の物を見、鬼神の聲を聞くこと有らば、則ち鬼神、無しと謂う可けんや。若し聞く莫く見る莫くんば、則ち鬼神、有りと謂う可けんや。
現代語訳
いま鬼神は無いと主張する者はこう言う。「鬼神というものは、そもそも存在しない」。朝夕にこれを天下に教え、天下の人々を迷わせ、みなを鬼神の有無について迷わせる。だから天下は乱れる。だから墨子が言った。いま天下の王公大人や士君子が、本当に天下の利を起こし天下の害を除こうと望むなら、鬼神が有るか無いかの区別をはっきり見きわめないわけにいかない。見きわめないわけにいかないとしたうえで、ではどうやってはっきりさせるのか。墨子が言った。それは、天下で有無を知る方法として、必ず多くの人の耳と目の事実によって有無を判断することを基準とするのである。もし聞いたり見たりして迷うなら、無いとするだろう。それならなぜ、ひとつの郷やひとつの里に入って聞いてみないのか。昔から今まで、人が生まれてこのかた、鬼神の姿を見た者、鬼神の声を聞いた者がいるなら、鬼神は無いといえるだろうか。まったく聞かず見なければ、鬼神は有るといえるだろうか。
解説
この章句が説くこと
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