師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 衛将軍驃騎列伝

張騫從大將軍,以嘗使大夏,留匈奴中久,導軍,知善水草處,軍得以無饑渴,因前使絕國功,封騫博望侯。冠軍侯去病既侯三歲,春,以冠軍侯去病為驃騎將軍,將萬騎出隴西,有功。天子曰:「驃騎將軍率戎士踰烏盭,討遬濮,涉狐奴,歷五王國,輜重人眾懾慴者弗取,冀獲單于子。轉戰六日,過焉支山千有餘里,合短兵,殺折蘭王,斬盧胡王,誅全甲,執渾邪王子及相國、都尉,首虜八千餘級,收休屠祭天金人,益封去病二千戶。」其夏,驃騎將軍與合騎侯敖俱出北地,異道;博望侯張騫、郎中令李廣俱出右北平,異道:皆擊匈奴。郎中令將四千騎先至,博望侯將萬騎在後至。匈奴左賢王將數萬騎圍郎中令,郎中令與戰二日,死者過半,所殺亦過當。博望侯至,匈奴兵引去。博望侯坐行留,當斬,贖為庶人。而驃騎將軍出北地,已遂深入,與合騎侯失道,不相得,驃騎將軍踰居延至祁連山,捕首虜甚多。天子曰:「驃騎將軍踰居延,遂過小月氏,攻祁連山,得酋涂王,以眾降者二千五百人,斬首虜三萬二百級,獲五王,五王母,單于閼氏、王子五十九人,相國、將軍、當戶、都尉六十三人,師大率減什三,益封去病五千戶。賜校尉從至小月氏爵左庶長。

新字:張騫従大将軍,以嘗使大夏,留匈奴中久,導軍,知善水草処,軍得以無饑渇,因前使絶国功,封騫博望侯。冠軍侯去病既侯三歳,春,以冠軍侯去病為驃騎将軍,将万騎出隴西,有功。天子曰:「驃騎将軍率戎士踰烏盭,討遬濮,渉狐奴,歴五王国,輜重人衆懾慴者弗取,冀獲単于子。転戦六日,過焉支山千有余里,合短兵,殺折蘭王,斬盧胡王,誅全甲,執渾邪王子及相国、都尉,首虜八千余級,収休屠祭天金人,益封去病二千戸。」其夏,驃騎将軍与合騎侯敖倶出北地,異道;博望侯張騫、郎中令李広倶出右北平,異道:皆撃匈奴。郎中令将四千騎先至,博望侯将万騎在後至。匈奴左賢王将数万騎囲郎中令,郎中令与戦二日,死者過半,所殺亦過当。博望侯至,匈奴兵引去。博望侯坐行留,当斬,贖為庶人。而驃騎将軍出北地,已遂深入,与合騎侯失道,不相得,驃騎将軍踰居延至祁連山,捕首虜甚多。天子曰:「驃騎将軍踰居延,遂過小月氏,攻祁連山,得酋涂王,以衆降者二千五百人,斬首虜三万二百級,獲五王,五王母,単于閼氏、王子五十九人,相国、将軍、当戸、都尉六十三人,師大率減什三,益封去病五千戸。賜校尉従至小月氏爵左庶長。

書き下し

張騫大将軍に従ふ。嘗て大夏に使ひし、匈奴の中に留まること久しきを以て、軍を導き、善き水草の処を知り、軍以て饑渇無きを得たり。前に絶国に使ひせし功に因りて、騫を封じて博望侯と為す。冠軍侯去病既に侯たること三歳、春、冠軍侯去病を以て驃騎将軍と為し、万騎を将ゐて隴西より出で、功有り。天子曰く、「驃騎将軍戎士を率ゐて烏盭を踰え、遬濮を討ち、狐奴を渉り、五王国を歴、輜重人衆の懾慴する者は取らず、単于の子を獲んことを冀ふ。転戦すること六日、焉支山を過ぐること千有余里、短兵を合はせ、折蘭王を殺し、盧胡王を斬り、全甲を誅し、渾邪王の子及び相国・都尉を執へ、首虜八千余級、休屠の祭天の金人を収む。去病に二千戸を益封す」と。其の夏、驃騎将軍合騎侯敖と倶に北地より出で、道を異にす。博望侯張騫・郎中令李広倶に右北平より出で、道を異にす。皆匈奴を撃つ。郎中令は四千騎を将ゐて先に至り、博望侯は万騎を将ゐて後に在りて至る。匈奴の左賢王数万騎を将ゐて郎中令を囲む。郎中令与に戦ふこと二日、死する者半ばを過ぐ。殺す所も亦当に過ぐ。博望侯至り、匈奴の兵引き去る。博望侯行留に坐し、斬に当たり、贖ひて庶人と為る。而して驃騎将軍北地より出で、已に遂に深く入り、合騎侯と道を失ひ、相得ず。驃騎将軍居延を踰えて祁連山に至り、首虜を捕ふること甚だ多し。天子曰く、「驃騎将軍居延を踰え、遂に小月氏を過ぎ、祁連山を攻め、酋涂王を得たり。衆を以て降る者二千五百人、首虜を斬ること三万二百級、五王、五王の母、単于の閼氏、王子五十九人、相国・将軍・当戸・都尉六十三人を獲たり。師大率減ずること什に三。去病に五千戸を益封す。校尉の従ひて小月氏に至る者に爵左庶長を賜ふ。

現代語訳

張騫は大将軍に従軍した。かつて大夏に使いし、匈奴の中に長く留められていたので、軍を道案内し、水や草のよい場所を知っていたため、軍は飢えや渇きに苦しまずに済んだ。以前、遠い国に使いした功績によって、張騫を博望侯に封じた。冠軍侯霍去病が侯となって三年目の春、霍去病を驃騎将軍とし、一万騎を率いて隴西から出撃させると、功を立てた。天子は言った。「驃騎将軍は兵を率いて烏盭を越え、遬濮を討ち、狐奴河を渡り、五つの王国を経めぐったが、恐れおののく輜重や民衆は奪わず、単于の子を捕らえようと望んだ。六日間転戦し、焉支山を千里余り越えて、刀剣で白兵戦を交え、折蘭王を殺し、盧胡王を斬り、完全武装の兵を誅し、渾邪王の子と相国・都尉を捕らえ、首や捕虜八千余りを得て、休屠王の天を祭る金の像を奪った。霍去病に二千戸を加増する」。その夏、驃騎将軍は合騎侯公孫敖とともに北地から出撃したが、別々の道をとった。博望侯張騫と郎中令李広はともに右北平から出撃したが、別々の道をとった。いずれも匈奴を攻撃した。郎中令は四千騎を率いて先に着き、博望侯は一万騎を率いて後から着いた。匈奴の左賢王が数万騎で郎中令を包囲した。郎中令は二日間戦い、半数以上が死んだが、殺した敵も自軍の損失を上回った。博望侯が到着すると、匈奴の兵は引き揚げた。博望侯は行軍が遅れて留まっていた罪で斬罪に当たるとされたが、金で贖って庶民となった。一方、驃騎将軍は北地から出撃して、そのまま深く攻め入ったが、合騎侯と道がはぐれて出会えなかった。驃騎将軍は居延を越えて祁連山に至り、非常に多くの首や捕虜を得た。天子は言った。「驃騎将軍は居延を越え、さらに小月氏を過ぎて祁連山を攻め、酋涂王を得た。部衆を率いて降伏した者が二千五百人、斬った首と捕虜は三万二百、五人の王、五人の王の母、単于の閼氏、王子五十九人、相国・将軍・当戸・都尉六十三人を捕らえた。わが軍の損失はおおむね十分の三にとどまった。霍去病に五千戸を加増する。校尉で小月氏まで従った者には左庶長の爵位を与える。

解説

元狩二年、霍去病が驃騎将軍として河西で目覚ましい戦果を上げた段です。まず、西域から帰った張騫が、匈奴の地に長く留められた経験を生かして水草の場所を案内し、軍を飢えから救った功で博望侯に封じられます。旅の経験という異色の能力が軍事に生きたのです。春、霍去病は一万騎で焉支山を越えて六日間転戦し、休屠王の祭天の金人を奪いました。夏には祁連山まで攻め込み、三万余りの首と捕虜、多くの王族を得ます。武帝の詔には、恐れおののく輜重や民衆は奪わなかったこと、損失が三割程度だったことまで記され、戦果の中身が細かく評価されています。一方、同じ夏、李広は四千騎で左賢王の数万騎に包囲されて半数以上を失い、張騫は遅れた罪で庶民に落とされ、公孫敖も道に迷って霍去病と合流できませんでした。同じ作戦の中で、一人の若者が輝き、他の将たちが次々とつまずく対比が際立っています。経験の種類は多様で、思いがけない経験が組織を救うこともあります。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る