春秋左氏伝 / 定公九年 富に親しみて仁に親しまず
六月。伐陽關。陽虎使焚萊門。師驚。犯之而出。奔齊。請師以伐魯。曰。三加必取之。齊侯將許之。鮑文子諫曰。臣嘗為隸於施氏矣。魯未可取也。上下猶和。眾庶猶睦。能事大國。而無天菑。若之何取之。陽虎欲勤齊師也。齊師罷。大臣必多死亡。己於是乎奮其詐謀。夫陽虎有寵於季氏。而將殺季孫。以不利魯國而求容焉。親富不親仁。君焉用之。君富於季氏。而大於魯國。茲陽虎所欲傾覆也。魯免其疾。而君又收之。無乃害乎。齊侯執陽虎。將東之。陽虎願東。乃囚諸西鄙。盡借邑人之車。鍥其軸。麻約而歸之。載蔥靈。寢於其中而逃。追而得之。囚於齊。又以蔥靈逃。奔宋。遂奔晉。適趙氏。仲尼曰。趙氏其世有亂乎。
新字:六月。伐陽関。陽虎使焚萊門。師驚。犯之而出。奔斉。請師以伐魯。曰。三加必取之。斉侯将許之。鮑文子諫曰。臣嘗為隸於施氏矣。魯未可取也。上下猶和。衆庶猶睦。能事大国。而無天菑。若之何取之。陽虎欲勤斉師也。斉師罷。大臣必多死亡。己於是乎奮其詐謀。夫陽虎有寵於季氏。而将殺季孫。以不利魯国而求容焉。親富不親仁。君焉用之。君富於季氏。而大於魯国。茲陽虎所欲傾覆也。魯免其疾。而君又収之。無乃害乎。斉侯執陽虎。将東之。陽虎願東。乃囚諸西鄙。尽借邑人之車。鍥其軸。麻約而帰之。載蔥霊。寝於其中而逃。追而得之。囚於斉。又以蔥霊逃。奔宋。遂奔晋。適趙氏。仲尼曰。趙氏其世有乱乎。
書き下し
六月、陽關を伐つ。陽虎、萊門を焚かしむ。師驚く。之を犯して出で、齊に奔る。師を請ひて以て魯を伐たんとして曰く、「三たび加へなば必ず之を取らん」と。齊侯、將に之を許さんとす。鮑文子諫めて曰く、「臣、嘗て施氏に隸為りき。魯は未だ取るべからざるなり。上下猶ほ和し、眾庶猶ほ睦まじ。能く大國に事へて、天菑無し。之を若何ぞ取らん。陽虎は齊の師を勤めしめんと欲するなり。齊の師罷れなば、大臣必ず多く死亡せん。己は是に於いてか其の詐謀を奮はん。夫れ陽虎は季氏に寵有りて、將に季孫を殺して、以て魯國に不利にして容れられんことを求む。富に親しみて仁に親しまず。君、焉んぞ之を用ゐん。君は季氏より富み、而して魯國より大なり。茲れ陽虎の傾覆せんと欲する所なり。魯、其の疾を免れて、君又之を收むるは、乃ち害無からんや」と。齊侯、陽虎を執へ、將に之を東にせんとす。陽虎、東を願ふ。乃ち諸を西鄙に囚ふ。盡く邑人の車を借り、其の軸を鍥み、麻もて約して之を歸す。蔥靈に載り、其の中に寢ねて逃る。追ひて之を得、齊に囚ふ。又蔥靈を以て逃れ、宋に奔り、遂に晉に奔りて、趙氏に適く。仲尼曰く、「趙氏、其れ世々亂有らんか」と。
現代語訳
六月、魯は陽関を攻めた。陽虎は萊門を焼かせた。魯の軍が驚いた隙に、陽虎は囲みを突破して出て、斉に逃れた。陽虎は斉に軍を求めて魯を討とうとし、「三度攻めれば必ず取れます」と言った。斉侯(景公)は許そうとした。鮑文子(鮑国)が諫めて言った。「私はかつて魯の施氏に仕えておりました。魯はまだ取れる国ではありません。上下はなお和し、民衆はなお睦まじく、大国によく仕え、天災もありません。どうして取れましょう。陽虎は斉の軍を疲れさせようとしているのです。斉の軍が疲弊すれば、大臣が必ず多く死にます。そうなれば、陽虎はそこで自分の詐謀を振るうでしょう。そもそも陽虎は季氏に寵愛されながら、季孫を殺そうとし、魯国に害をなしたうえで、いま斉に受け入れられようとしている。富める者に親しんで仁ある者には親しまない。君はどうしてそんな者を用いましょう。君は季氏よりも富み、魯国よりも大きい。これこそ陽虎が覆そうとするものです。魯がその病を免れたのに、君がまたそれを引き取るのは、害になるのではありませんか」。斉侯は陽虎を捕らえ、東の辺境に送ろうとした。陽虎が東へ行きたいと願ったので、逆に西の辺境に閉じこめた。陽虎は村人の車を残らず借りて、車軸に刻み目を入れ、麻で縛って返した。そして蔥霊(幌のある荷車)に乗り、その中に寝て逃げた。追手が捕らえ、斉の都に閉じこめた。陽虎はまた蔥霊に隠れて逃げ、宋に逃れ、さらに晋に逃れて趙氏のもとに身を寄せた。仲尼(孔子)は言った。「趙氏は代々乱に見舞われることになろうか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 鄭世家鄭子八年、斉人管至父等乱を作し、其の君襄公を弑す。十二年、宋人長万其の君湣公を弑す。鄭の祭仲死す。十四年、故の鄭の亡げし厲公突の櫟に在る者、人をして鄭の大夫甫仮を誘ひ劫かさしめ、要して以て入らんことを求む。仮曰く、「我を捨てよ。我君の為に鄭子を殺して君を入れん」と。厲公与に盟ひ、乃ち之を捨つ。六月甲子、仮、鄭子及び其の二子を殺して厲公突を迎ふ。突、櫟より復た入りて位に即く。初め、内蛇と外蛇と鄭の南門の中に闘ひ、内蛇死す。居ること六年、厲公果たして復た入る。入りて其の伯父原を譲めて曰く、「我国を亡げて外に居る。伯父我を入るるに意無し。亦甚だしきかな」と。原曰く、「君に事へて二心無きは、人臣の職なり。原罪を知れり」と。遂に自殺す。厲公是に於て甫仮に謂ひて曰く、「子の君に事ふるや二心有り」と。遂に之を誅す。仮曰く、「重徳報いられず、誠に然るかな」と。厲公突の後元年、斉の桓公始めて霸たり。五年、燕・衛、周の恵王の弟穨と王を伐つ。王出でて温に奔る。弟穨を立てて王と為す。六年、恵王急を鄭に告ぐ。厲公兵を発して周の王子穨を撃つも、勝たず。是に於て周の恵王と帰り、王櫟に居る。七年春、鄭の厲公、虢叔と王子穨を襲殺して恵王を周に入る。秋、厲公卒し、子文公踕立つ。厲公初め立ちて四歳、亡げて櫟に居る。櫟に居ること十七歳、復た入る。立ちて七歳、亡と凡そ二十八年。二十四年、文公の賤妾燕姞と曰ふ、夢に天之に蘭を与へて曰く、「余は伯鯈為り。余は爾の祖なり。是を以て而の子と為せ。蘭は国香有り」と。夢を以て文公に告ぐ。文公之を幸し、之に草蘭を予へて符と為す。遂に子を生む。名づけて蘭と曰ふ。三十六年、晋の公子重耳過る。文公礼せず。
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『春秋左氏伝』哀公二十五年 衆怒は犯し難し而して大子疾の宮より、譟ぎて以て公を攻む。鄄子士、之を禦がんと請ふ。彌、其の手を援きて曰く、「子は則ち勇なり。將た君を若何せん。先君を見ずや。君、何の所にか欲を逞しくせざらん。且つ君嘗て外に在り。豈に必ずしも反らざらんや。今に當りては可ならず。衆怒は犯し難し。休まば間し易きなり」と。乃ち出づ。將に蒲に適かんとす。彌曰く、「晉は信無し。可ならず」と。將に鄄に適かんとす。彌曰く、「齊・晉、我を爭ふ。可ならず」と。將に泠に適かんとす。彌曰く、「魯は與にするに足らず。請ふ、城鉏に適きて、以て越を鉤かん。越に君有り」と。乃ち城鉏に適く。彌曰く、「衛の盜、知る可からざるなり。請ふ、速かにせよ。我より始めん」と。乃ち寶を載せて以て歸る。公、支離の卒を為り、祝史揮に因りて以て衛を侵す。衛人之を病む。懿子、之を知り、子之に見えて、揮を逐はんと請ふ。文子曰く、「罪無し」と。懿子曰く、「彼、利を專らにするを好みて妄なり。夫れ君の入るを見ば、將に先づ道かんとす。若し之を逐はば、必ず南門より出でて、君の所に適かん。夫れ越は新たに諸侯を得たり。將に必ず師を請はん」と。揮、朝に在り。吏をして諸を其の室より遣らしむ。揮出づ。信するも内れず。五日、乃ち諸を外里に館す。遂に寵有り。越に如きて師を請はしむ。
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史記 魏豹彭越列伝伝へて滎陽に詣らしめ、豹の国を以て郡と為す。漢王豹をして滎陽を守らしむ。楚之を囲むこと急にして、周苛遂に魏豹を殺す。
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史記 陳渉世家秦嘉命を受けず、嘉自ら立ちて大司馬と為り、武平君に属するを悪む。軍吏に告げて曰く、「武平君は年少く、兵事を知らず、聴くこと勿かれ」と。因りて矯めて王命を以て武平君畔を殺す。章邯已に伍徐を破り、陳を撃つ、柱国房君死す。章邯又兵を進めて陳の西の張賀の軍を撃つ。陳王出でて戦を監す、軍破れ、張賀死す。臘月、陳王汝陰に之き、還りて下城父に至る、其の御荘賈殺して以て秦に降る。陳勝碭に葬られ、謚して隠王と曰ふ。陳王の故の涓人将軍呂臣倉頭軍と為り、新陽に起こり、陳を攻めて之を下し、荘賈を殺し、復た陳を以て楚と為す。初め、陳王陳に至り、銍の人宋留をして兵を将ゐて南陽を定め、武関に入らしむ。留已に南陽を徇へしも、陳王の死を聞き、南陽復た秦と為る。宋留武関に入る能はず、乃ち東して新蔡に至り、秦軍に遇ひ、宋留軍を以て秦に降る。秦留を伝へて咸陽に至らしめ、留を車裂して以て徇ふ。秦嘉等陳王の軍破れて出走するを聞き、乃ち景駒を立てて楚王と為し、兵を引きて方与に之き、秦軍を定陶の下に撃たんと欲す。公孫慶をして斉王に使ひせしめ、与に力を并せて俱に進まんと欲す。斉王曰く、「陳王戦ひ敗れ、其の死生を知らずと聞く、楚安んぞ請はずして王を立つるを得んや」と。公孫慶曰く、「斉は楚に請はずして王を立つ、楚何の故に斉に請ひて王を立てんや。且つ楚は事を首む、当に天下に令すべし」と。田儋公孫慶を誅殺す。秦の左右の校復た陳を攻め、之を下す。呂将軍走り、兵を収めて復た聚む。鄱の盗当陽君黥布の兵と相収め、復た秦の左右の校を撃ち、之を青波に破り、復た陳を以て楚と為す。会々項梁懐王の孫心を立てて楚王と為す。陳勝王たること凡そ六月。已に王と為り、陳に王たり。其の故人の嘗て与に庸耕せし者之を聞き、陳に之き、宮門を扣きて曰く、「吾渉に見えんと欲す」と。宮門の令之を縛せんと欲す。自ら辯ずること数々にして、乃ち置く、肯へて為に通ぜず。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 孔悝の出奔六月、衛侯、孔悝に平陽に酒を飲ましめ、重く之に酬ゆ。大夫皆納るる有り。醉はしめて之を送り、夜半にして之を遣る。伯姬を平陽に載せて行く。西門に及び、貳車をして祏を西圃に反さしむ。子伯季子、初め孔氏の臣たり、新たに公に登る。之を追はんと請ふ。祏を載する者に遇ひ、殺して其の車に乘る。許公為、祏を反す。之に遇ひて曰く、「不仁の人と爭はば、明らかに勝たざる無し」と。必ず先づ射しむ。射ること三發、皆許為に遠し。許為、之を射て殪す。或ひと其の車を以て從ひ、祏を橐中に得たり。孔悝、出でて宋に奔る。楚の大子建の讒に遇ふや、城父より宋に奔る。又華氏の亂を鄭に辟く。鄭人甚だ之を善くす。又晉に適き、晉人と鄭を襲はんことを謀り、乃ち復らんことを求む。鄭人之を復すること初めの如し。晉人、諜を子木に使はし、行を請ひて期す。子木、其の私邑に暴虐なり。
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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