春秋左氏伝 / 定公九年 鄧析を殺して竹刑を用ゐる
九年春。宋公使樂大心盟于晉。且逆樂祁之尸。辭。偽有疾。乃使向巢如晉盟。且逆子梁之尸。子明謂桐門右師出曰。吾猶衰絰。而子擊鍾。何也。右師曰。喪不在此故也。既而告人曰。己衰絰而生子。余何故舍鍾。子明聞之。怒言於公曰。右師將不利戴氏。不肯適晉。將作亂也。不然無疾。乃逐桐門右師。鄭駟歂殺鄧析。而用其竹刑。君子謂子然於是不忠。苟有可以加於國家者。棄其邪可也。靜女之三章。取彤管焉。竿旄何以告之。取其忠也。故用其道不棄其人。詩云。蔽芾甘棠。勿翦勿伐。召伯所茇。思其人。猶愛其樹。況用其道。而不恤其人乎。子然無以勸能矣。夏。陽虎歸寶玉大弓。書曰得。器用也。凡獲器用曰得。得用焉曰獲。
新字:九年春。宋公使楽大心盟于晋。且逆楽祁之尸。辞。偽有疾。乃使向巣如晋盟。且逆子梁之尸。子明謂桐門右師出曰。吾猶衰絰。而子撃鍾。何也。右師曰。喪不在此故也。既而告人曰。己衰絰而生子。余何故舎鍾。子明聞之。怒言於公曰。右師将不利戴氏。不肯適晋。将作乱也。不然無疾。乃逐桐門右師。鄭駟歂殺鄧析。而用其竹刑。君子謂子然於是不忠。苟有可以加於国家者。棄其邪可也。静女之三章。取彤管焉。竿旄何以告之。取其忠也。故用其道不棄其人。詩云。蔽芾甘棠。勿翦勿伐。召伯所茇。思其人。猶愛其樹。況用其道。而不恤其人乎。子然無以勧能矣。夏。陽虎帰宝玉大弓。書曰得。器用也。凡獲器用曰得。得用焉曰獲。
書き下し
九年春、宋公、樂大心をして晉に盟ひ、且つ樂祁の尸を逆へしめんとす。辭して、偽りて疾有りとす。乃ち向巢をして晉に如きて盟ひ、且つ子梁の尸を逆へしむ。子明、桐門の右師に謂ひて出でしめんとして曰く、「吾は猶ほ衰絰す。而るに子は鍾を擊つ。何ぞや」と。右師曰く、「喪、此に在らざるが故なり」と。既にして人に告げて曰く、「己は衰絰して子を生めり。余何の故に鍾を舍てん」と。子明、之を聞き、怒りて公に言ひて曰く、「右師、將に戴氏に不利ならんとす。肯へて晉に適かざるは、將に亂を作さんとするなり。然らずんば疾無からん」と。乃ち桐門の右師を逐ふ。鄭の駟歂、鄧析を殺して、其の竹刑を用ゐる。君子謂ふ、子然、是に於いて不忠なり、と。苟も以て國家に加ふべき者有らば、其の邪を棄てて可なり。靜女の三章は、彤管を取る。竿旄の「何を以てか之に告げん」は、其の忠を取るなり。故に其の道を用ゐて其の人を棄てず。詩に云ふ、「蔽芾たる甘棠、翦る勿かれ伐る勿かれ、召伯の茇りし所」と。其の人を思へば、猶ほ其の樹を愛す。況んや其の道を用ゐて、其の人を恤まざらんや。子然は以て能を勸むる無し。夏、陽虎、寶玉・大弓を歸す。書して得と曰ふは、器用なればなり。凡そ器用を獲るを得と曰ひ、用を得るを獲と曰ふ。
現代語訳
九年春、宋公(景公)は楽大心(桐門右師)を晋に遣わして盟約させ、あわせて楽祁の遺体を迎えさせようとした。楽大心は辞退し、病気だと偽った。そこで向巣を晋に行かせて盟約させ、子梁(楽祁)の遺体を迎えさせた。子明(楽祁の子の溷)は桐門右師に晋へ出向くよう求めて言った。「私はまだ喪服を着ている(父の喪中だ)。それなのにあなたは鐘を打って楽しんでいる。どういうことか」。右師は言った。「喪がここ(わが家)にあるわけではないからだ」。その後、人に言った。「(子明は)喪服を着ている間に子を作っておきながら、私が鐘をやめる理由などあるものか」。子明はこれを聞いて怒り、景公に言った。「右師は戴氏(戴公の子孫である楽氏の一族)に不利なことをしようとしています。晋へ行こうとしないのは、乱を起こすつもりだからです。そうでなければ病気などではないはずです」。そこで桐門右師を追放した。鄭の駟歂(子然)は鄧析を殺し、しかも鄧析の竹刑(竹簡に書いた刑法)を採用した。君子はこう評した。子然はこの件で忠でなかった。もし国家に役立つものを持つ人がいれば、その人の欠点は捨ておいてよいのである。『詩経』の「静女」の三章は、贈られた赤い筆(彤管)を取り上げている。「竿旄」の「何を以てか之に告げん(何をもってこの人に告げようか)」は、その忠心を取り上げている。だから、その人の道を用いたならその人を棄てないものなのだ。『詩経』に「こんもり茂った甘棠の木、切るな伐るな、召伯が宿ったところだ」とある。その人を慕えば、その木まで大切にする。ましてその人の道を用いながら、その人をいたわらないことがあろうか。子然はこれでは有能な人を励ますことができない。夏、陽虎が宝玉と大弓を返した。『春秋』に「得た」と書いたのは、それが器物だからである。およそ器物を手に入れた場合は「得」と書き、戦いで用いるもの(人や兵器)を手に入れた場合は「獲」と書くのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 傅靳蒯成列伝凡そ首を斬ること九十級、虜百三十二人。別れて軍を破ること十四、城を降すこと五十九、郡・国を定むること各一、県二十三。王・柱国各一人、二千石以下五百石に至るまで三十九人を得たり。高后の五年、歙卒し、謚して粛侯と為す。子亭代はりて侯たり。二十一年、国人を事とすること律を過ぐるに坐し、孝文の後三年、侯を奪はれ、国除かる。
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史記 傅靳蒯成列伝陽陵侯傅寛は、魏の五大夫の騎将を以て従ひ、舎人と為り、横陽に起つ。従ひて安陽・杠里を攻め、趙賁の軍を開封に撃ち、及び楊熊を曲遇・陽武に撃ち、首を斬ること十二級、爵卿を賜はる。従ひて霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、漢王寛に封号共徳君を賜ふ。従ひて漢中に入り、遷りて右騎将と為る。従ひて三秦を定め、食邑雕陰を賜はる。従ひて項籍を撃ち、懐に待ち、爵通徳侯を賜はる。従ひて項冠・周蘭・龍且を撃ち、将ゐる所の卒騎将一人を敖下に斬り、食邑を益す。淮陰に属し、斉の歴下の軍を撃破し、田解を撃つ。相国参に属し、博を残し、食邑を益す。因りて斉の地を定め、符を剖きて世世絶ゆること勿からしめ、封ぜられて陽陵侯と為る、二千六百戸、前に食む所を除く。斉の右丞相と為り、斉に備ふ。五歳にして斉の相国と為る。四月、陳豨を撃ち、太尉勃に属し、相国を以て丞相噲に代はりて豨を撃つ。一月、徙りて代の相国と為り、屯を将ゐる。二歳にして、代の丞相と為り、屯を将ゐる。孝恵の五年卒し、謚して景侯と為す。子頃侯精立ち、二十四年にして卒す。子共侯則立ち、十二年にして卒す。子侯偃立ち、三十一年、淮南王と謀反するに坐して死し、国除かる。信武侯靳歙(きんきゅう)は、中涓を以て従ひ、宛朐に起つ。済陽を攻む。李由の軍を破る。秦の軍を亳の南・開封の東北に撃ち、騎の千人将一人を斬り、首五十七級、捕虜七十三人、爵封号臨平君を賜はる。又藍田の北に戦ひ、車司馬二人・騎長一人を斬り、首二十八級、捕虜五十七人。霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、歙に爵建武侯を賜ひ、遷りて騎都尉と為す。従ひて三秦を定む。別れて西のかた章平の軍を隴西に撃ち、之を破り、隴西の六県を定め、将ゐる所の卒車司馬・
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『韓非子』飭令第五十三民に餘食有れば、粟を以て爵を出ださしむ、必ず其の力を以てすれば、則ち農怠らず。三寸の管も當毋ければ、滿たすべからざるなり。官爵を授け、利禄を出だすに功を以てせざるは、是れ當無きなり。國功を以て官と爵とを授くる、此れを以て智謀を成し、威勇を以て戰ふと謂ふ、其の國敵無し。國功を以て官と爵とを授くれば、則ち治むる者省かれ、言塞がる有り、此れを治を以て治を去り、言を以て言を去り、功を以て爵を與ふる者と謂ふなり。故に國力多くして、天下之を能く侵す莫きなり。兵出づれば必ず取り、取れば必ず能く之を有ち、兵を案じて攻めざれば必ず富む。朝廷の事、小なる者も毁たず、功を效して官爵を取れば、廷に辟言有りと雖も、以て相干すを得ざるなり、是れを數を以て治むと謂ふ。力を以て攻むる者は、一を出だして十を取り、言を以て攻むる者は、十を出だして百を喪ふ。國力を好む、此れを難を以て攻むと謂ふ。國言を好む、此れを易を以て攻むと謂ふ。
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史記 李斯列伝趙高斯を治め、榜掠すること千余、痛みに勝へず、自ら誣服す。斯の死せざる所以の者は、自ら其の弁を負み、功有り、実に反心無く、幸ひに書を上りて自ら陳ぶるを得て、二世の寤めて之を赦さんことを幸ひとすればなり。李斯乃ち獄中より書を上りて曰く、「臣丞相と為りて民を治むること、三十余年なり。秦の地の狭隘なるに逮ぶ。先王の時秦の地は千里に過ぎず、兵は数十万。臣薄材を尽くし、謹んで法令を奉じ、陰かに謀臣を行らしめ、之に金玉を資し、諸侯に游説せしめ、陰かに甲兵を修め、政教を飾り、闘士を官にし、功臣を尊び、其の爵禄を盛んにす。故に終に以て韓を脅かし魏を弱め、燕・趙を破り、斉・楚を夷げ、卒に六国を兼ね、其の王を虜にし、秦を立てて天子と為す。罪の一なり。地広からざるに非ざるも、又北のかた胡・貉を逐ひ、南のかた百越を定め、以て秦の彊を見す。罪の二なり。大臣を尊び、其の爵位を盛んにし、以て其の親を固くす。罪の三なり。社稷を立て、宗廟を修め、以て主の賢を明らかにす。罪の四なり。剋画を更め、斗斛度量文章を平らかにし、之を天下に布き、以て秦の名を樹つ。罪の五なり。馳道を治め、游観を興し、以て主の意を得たるを見す。罪の六なり。刑罰を緩め、賦斂を薄くし、以て主の衆を得るの心を遂げ、万民主を戴き、死すとも忘れず。罪の七なり。斯の若き臣為る者は、罪死するに足ること固より久し。上幸ひに其の能力を尽くさしめ、乃ち今に至るを得たり。願はくは陛下之を察せよ」と。書上る。趙高吏をして棄て去りて奏せざらしめて曰く、「囚安くんぞ書を上るを得ん」と。
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史記 楽毅列伝臣聞く、賢聖の君は禄を以て親に私せず、その功多き者はこれを賞し、その能当たる者はこれに処らしむ。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行ひを論じて交はりを結ぶ者は、立名の士なり。臣竊かに先王の挙を観るに、世主より高きの心有るを見る、故に節を魏に仮りて、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過りて挙げ、これを賓客の中に廁へ、これを群臣の上に立て、父兄に謀らずして、以て亜卿と為す。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく令を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、故に令を受けて辞せず。先王これに命じて曰く、「我に斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す」と。臣曰く、「夫れ斉は霸国の余業にして最勝の遺事なり。兵甲に練れ、戦攻に習ふ。王若しこれを伐たんと欲せば、必ず天下と与にこれを図れ。天下と与にこれを図らば、趙に結ぶに若くは莫し。且つまた淮北・宋の地は、楚・魏の欲する所なり、趙若し許して四国に約してこれを攻めば、斉大いに破るべきなり」と。先王以て然りと為し、符節を具へて南のかた臣を趙に使はす。顧みて反命し、兵を起こして斉を撃つ。天の道、先王の霊を以て、河北の地先王に随ひてこれを済上に挙ぐ。済上の軍命を受けて斉を撃ち、大いに斉人を敗る。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王遁れて莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝車甲珍器、尽く収めて燕に入る。斉の器は寧台に設けられ、大呂は元英に陳ねられ、故鼎は磿室に反り、薊丘の植は汶篁に植う。五伯より已来、功の未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て志に慊しと為し、故に地を裂きてこれを封じ、小国の諸侯に比するを得しむ。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく命を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、是を以て命を受けて辞せず。臣聞く、賢聖の君は、
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒地ヲ盗ムト云ハ農人カ田地ノ畔際ヲカスメ侵スル類。水ヲ盗ムト云ハ。五六月早魃ノ時。他ノ田作ルヘキ水ヲ我方ニ引類。火ヲ盗ムト云ハ。暗夜ニ他ノ灯光ヲヒキ。寒天ニ他ノ炭火ヲ妄ニ用フル類。風ヲ盗ムト云ハ。炎暑ノ時凉風ヲ我家ニ引ク類。多般ノ事皆準シテ知ルカヨイ。又他ノ智慧ヲモ盗ム。禄ヲモ盗ム。其功ヲモ盗ム。位ヲモ盗ム。官ヲモ盗ム等。ミナ此ニ例シテ知レ。
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