春秋左氏伝 / 定公九年 東郭書と犁彌、功を譲る
秋。齊侯伐晉夷儀。敝無存之父將室之。辭。以與其弟。曰。此役也。不死。反必取於高國。先登。求自門出。死於霤下。東郭書讓登。犁彌從之。曰。子讓而左。我讓而右。使登者絕而後下。書左。彌先下。書與王猛息。猛曰。我先登。書斂甲曰。曩者之難。今又難焉。猛笑曰。吾從子。如驂之靳。晉車千乘。在中牟。衛侯將如五氏。卜過之。龜焦。衛侯曰。可也。衛車當其半。寡人當其半。敵矣。乃過中牟。中牟人欲伐之。衛褚師圃亡在中牟。曰。衛雖小。其君在焉。未可勝也。齊師克城而驕。其帥又賤。遇必敗之。不如從齊。乃伐齊師。敗之。齊侯致禚。媚。杏。於衛。齊侯賞犁彌。犁彌辭曰。有先登者。臣從之。皙幘而衣貍製。公使視東郭書。曰。乃夫子也。吾貺子。公賞東郭書。辭曰。彼賓旅也。乃賞犁彌。齊師之在夷儀也。齊侯謂夷儀人曰。得敝無存者。以五家免。乃得其尸。公三襚之。與之犀軒。與直蓋而先歸之。坐引者以師哭之。親推之三。
新字:秋。斉侯伐晋夷儀。敝無存之父将室之。辞。以与其弟。曰。此役也。不死。反必取於高国。先登。求自門出。死於霤下。東郭書譲登。犁弥従之。曰。子譲而左。我譲而右。使登者絶而後下。書左。弥先下。書与王猛息。猛曰。我先登。書斂甲曰。曩者之難。今又難焉。猛笑曰。吾従子。如驂之靳。晋車千乗。在中牟。衛侯将如五氏。卜過之。亀焦。衛侯曰。可也。衛車当其半。寡人当其半。敵矣。乃過中牟。中牟人欲伐之。衛褚師圃亡在中牟。曰。衛雖小。其君在焉。未可勝也。斉師克城而驕。其帥又賤。遇必敗之。不如従斉。乃伐斉師。敗之。斉侯致禚。媚。杏。於衛。斉侯賞犁弥。犁弥辞曰。有先登者。臣従之。皙幘而衣貍製。公使視東郭書。曰。乃夫子也。吾貺子。公賞東郭書。辞曰。彼賓旅也。乃賞犁弥。斉師之在夷儀也。斉侯謂夷儀人曰。得敝無存者。以五家免。乃得其尸。公三襚之。与之犀軒。与直蓋而先帰之。坐引者以師哭之。親推之三。
書き下し
秋、齊侯、晉の夷儀を伐つ。敝無存の父、將に之に室せんとす。辭して以て其の弟に與へて曰く、「此の役や、死せずんば、反りて必ず高・國に取らん」と。先登して、門より出でんことを求め、霤下に死す。東郭書、登るを讓る。犁彌、之に從ひて曰く、「子は讓りて左せよ、我は讓りて右せん。登る者をして絕えしめて後に下らん」と。書は左し、彌は先に下る。書、王猛と息ふ。猛曰く、「我、先に登れり」と。書、甲を斂めて曰く、「曩者の難あり、今又難ぜんとす」と。猛、笑ひて曰く、「吾、子に從はん、驂の靳に如かん」と。晉の車千乘、中牟に在り。衛侯、將に五氏に如かんとし、之を過ぐることを卜す。龜焦ぐ。衛侯曰く、「可なり。衛の車、其の半ばに當たり、寡人、其の半ばに當たらば、敵せん」と。乃ち中牟を過ぐ。中牟の人、之を伐たんと欲す。衛の褚師圃、亡げて中牟に在り。曰く、「衛は小なりと雖も、其の君在り、未だ勝つべからざるなり。齊の師は城に克ちて驕り、其の帥又賤し。遇はば必ず之を敗らん。齊に從ふに如かず」と。乃ち齊の師を伐ちて之を敗る。齊侯、禚・媚・杏を衛に致す。齊侯、犁彌を賞す。犁彌辭して曰く、「先に登る者有り、臣、之に從ふ。皙幘にして貍製を衣る」と。公、東郭書を視しむ。曰く、「乃ち夫子なり。吾、子に貺らん」と。公、東郭書を賞す。辭して曰く、「彼は賓旅なり」と。乃ち犁彌を賞す。齊の師の夷儀に在るや、齊侯、夷儀の人に謂ひて曰く、「敝無存を得る者は、五家を以て免ぜん」と。乃ち其の尸を得。公、三たび之に襚し、之に犀軒と直蓋とを與へて、先づ之を歸す。引く者を坐せしめ、師を以て之を哭し、親ら之を推すこと三たびす。
現代語訳
秋、斉侯(景公)は晋の夷儀を攻めた。敝無存の父が彼に妻をめとらせようとした。敝無存は辞退して、その縁談を弟に譲って言った。「この戦いで死ななかったら、帰ってきて必ず高氏か国氏(斉の名門)から妻をめとります」。彼は先頭を切って城壁に登り、城内から門を開けて出ようとして、軒下で戦死した。東郭書は他の者に先登を譲った。犁彌はこれに続いて言った。「あなたは譲って左へ行け、私は譲って右へ行こう。登る者が途切れたら、そこから城内に下りよう」。東郭書は左に行き、犁彌は先に下りた。戦いの後、東郭書は王猛と休んでいた。王猛が「私が先に登った」と言った。東郭書は鎧を取り集めて身構え、言った。「先ほども私を苦しめたのに、今また苦しめるのか」。王猛は笑って言った。「私はあなたに従います。驂馬(外側の馬)が服馬の胸がいに従うように」。晋の戦車千乗が中牟にいた。衛侯(霊公)は五氏に行こうとして、中牟を通過することを占った。亀甲が焦げてしまい、占いにならなかった。衛侯は言った。「かまわない。衛の戦車は晋軍の半分に相当し、私自身が残り半分に相当する。互角だ」。そこで中牟を通過した。中牟の人々は衛を攻めようとした。衛から亡命して中牟にいた褚師圃が言った。「衛は小国だが、君主自ら軍にいる。まだ勝てない。斉の軍は城を落として驕っており、その将も身分が低い。出会えば必ず破れる。斉を攻めるほうがよい」。そこで斉の軍を攻めて破った。斉侯は禚・媚・杏の三邑を衛に与えた。斉侯は犁彌を賞しようとした。犁彌は辞退して言った。「先に登った者がいて、私はそれに従っただけです。その者は白い頭巾をつけ、狸の皮衣を着ていました」。景公がその特徴に合う者を探させて東郭書を見させると、犁彌は「まさにこの方です。あなたに譲ります」と言った。景公が東郭書を賞しようとすると、東郭書は辞退して言った。「あの人(犁彌)は客人の身です」。そこで犁彌を賞した。斉の軍が夷儀にいたとき、斉侯は夷儀の人々に言った。「敝無存の遺体を見つけた者には、五家の賦役を免除する」。こうしてその遺体が見つかった。景公は三度彼に死に装束を着せ、犀の皮で飾った車と長い柄の傘を与えて、先に国へ送り返した。車を引く者をひざまずかせ、全軍で彼のために哭し、景公自ら三度その車を押した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十四年 介之推の隠遁晉侯亡に從ふ者を賞す。介之推祿を言はず、祿も亦た及ばず。推曰く、「獻公の子九人、唯だ君のみ在り。惠・懷は親無く、外內之を棄つ。天未だ晉を絕たず、必ず將に主有らんとす。晉の祀を主る者は、君に非ずして誰ぞ。天實に之を置く、而るに二三子以て己の力と為す、亦た誣ひならずや。人の財を竊むすら、猶ほ之を盜と謂ふ、況んや天の功を貪りて以て己の力と為すをや。下は其の罪を義とし、上は其の姦を賞す。上下相蒙く、與に處り難し」と。其の母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる。以て死すとも誰をか懟まん」と。對へて曰く、「尤めて之に效ふは、罪又甚だし。且つ怨言を出だせり、其の食を食まず」と。其の母曰く、「亦た之を知らしめば、若何」と。對へて曰く、「言は、身の文なり。身將に隱れんとす、焉んぞ之を文るを用ゐん。是れ顯はるるを求むるなり」と。其の母曰く、「能く是くの如くならんか。女と偕に隱れん」と。遂に隱れて死す。晉侯之を求めて獲ず、綿上を以て之が田と為して、曰く、「以て吾が過ちを志し、且つ善人を旌さん」と。鄭の滑に入るや、滑人命を聽く。師還れば、又衛に即く。鄭の公子士・洩堵俞彌師を帥ゐて滑を伐つ。王伯服・游孫伯をして鄭に如きて滑を請はしむ。鄭伯惠王の入りて厲公に爵を與へざるを怨み、又襄王の衛・滑に與するを怨む。故に王命を聽かずして二子を執ふ。王怒りて、將に狄を以て鄭を伐たんとす。
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『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、邑を辞す鄭伯陳に入るの功を賞す。三月、甲寅、朔、子展を享し、之に先路と三命の服を賜ひ、先づ八邑。子產に次路と再命の服を賜ひ、先づ六邑。子產邑を辭して曰く、「上より以下、隆殺するに兩を以てするは、禮なり。臣の位は四に在り。且つ子展の功なり。臣敢へて賞禮に及ばず。請ふ邑を辭せん」と。公固く之を予ふ。乃ち三邑を受く。公孫揮曰く、「子產其れ將に政を知らんとす。讓りて禮を失はず」と。晉人孫氏の故の為に諸侯を召し、將に以て衛を討たんとす。夏、中行穆子來聘す。公を召すなり。
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史記 留侯世家且つ夫れ楚唯彊きこと無からしめば、六国の立つ者復た橈みて之に従はん、陛下焉んぞ得て之を臣とせん。誠に客の謀を用ひば、陛下の事去らん」と。漢王食を輟め哺を吐き、罵りて曰く、「豎儒、幾ど而公の事を敗らんとす」と。趣やかに印を銷さしむ。漢四年、韓信斉を破りて自ら立ちて斉王と為らんと欲す、漢王怒る。張良漢王に説き、漢王良をして斉王信に印を授けしむ、語は淮陰の事の中に在り。其の秋、漢王楚を追ひて陽夏の南に至り、戦ひ利あらずして固陵に壁す、諸侯期して至らず。良漢王に説く、漢王其の計を用ひ、諸侯皆至る。語は項籍の事の中に在り。漢六年正月、功臣を封ず。良未だ嘗て戦闘の功有らず、高帝曰く、「策を帷帳の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、子房の功なり。自ら斉の三万戸を択べ」と。良曰く、「始め臣下邳に起こり、上と留に会す、此れ天臣を以て陛下に授くるなり。陛下臣の計を用ひ、幸ひにして時に中る、臣願はくは留に封ぜらるれば足れり、敢へて三万戸に当たらず」と。乃ち張良を封じて留侯と為し、蕭何等と倶に封ず。六年、上已に大功臣二十余人を封ず、其の余は日夜功を争ひて決せず、未だ封を行ふを得ず。上雒陽の南宮に在り、複道より諸将の往往に相与に沙中に坐して語るを望み見る。上曰く、「此れ何をか語る」と。留侯曰く、「陛下知らざるか。此れ反を謀るのみ」と。上曰く、「天下属々安定す、何の故にか反せん」と。留侯曰く、「陛下布衣より起こり、此の属を以て天下を取る、今陛下天子と為り、而して封ずる所は皆蕭・曹の故人の親愛する所、而して誅する所は皆生平の仇怨する所なり。今軍吏功を計り、天下を以て遍く封ずるに足らずとす、此の属陛下の尽く封ずる能はざるを畏れ、恐らくは又平生の過失を疑はれて誅せられんことを恐る、故に即ち相聚まりて反を謀るのみ」と。上乃ち憂ひて曰く、「之を為すこと奈何」と。留侯曰く、「上の平生憎む所にして、羣臣の共に知る所、誰か最も甚だしき者ぞ」と。
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史記 衛将軍驃騎列伝塞に至る。天子使者をして大将軍の印を持たしめ、即ち軍中に車騎将軍青を拝して大将軍と為す。諸将皆兵を以て大将軍に属す。大将軍号を立てて帰る。天子曰く、「大将軍青躬ら戎士を率ゐ、師大いに捷ち、匈奴の王十有余人を獲たり。青に六千戸を益封す」と。而して青の子伉を封じて宜春侯と為し、青の子不疑を陰安侯と為し、青の子登を発干侯と為す。青固く謝して曰く、「臣幸ひに罪を行間に待つを得、陛下の神霊に頼りて、軍大いに捷つ。皆諸校尉力戦の功なり。陛下幸ひに已に臣青を益封す。臣青の子は繦緥の中に在り、未だ勤労有らず。上幸ひに地を列して封じて三侯と為すは、臣の罪を行間に待ちて士を勧めて力戦せしむる所以の意に非ざるなり。伉等三人何ぞ敢へて封を受けん」と。天子曰く、「我諸校尉の功を忘るるに非ざるなり。今固より且に之を図らんとす」と。乃ち御史に詔して曰く、「護軍都尉公孫敖三たび大将軍に従ひて匈奴を撃ち、常に軍を護り、校に傅きて王を獲たり。千五百戸を以て敖を封じて合騎侯と為す。都尉韓説大将軍に従ひて窳渾より出で、匈奴の右賢王の庭に至り、麾下の為に搏戦して王を獲たり。千三百戸を以て説を封じて龍頟侯と為す。騎将軍公孫賀大将軍に従ひて王を獲たり。千三百戸を以て賀を封じて南窌侯と為す。軽車将軍李蔡再び大将軍に従ひて王を獲たり。千六百戸を以て蔡を封じて楽安侯と為す。校尉李朔、校尉趙不虞、校尉公孫戎奴、各々三たび大将軍に従ひて王を獲たり。千三百戸を以て朔を封じて渉軹侯と為し、千三百戸を以て不虞を封じて随成侯と為し、千三百戸を以て戎奴を封じて従平侯と為す。将軍李沮・李息及び校尉豆如意功有り、爵関内侯を賜ひ、食邑各々三百戸」と。
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『春秋左氏伝』哀公二十七年 陳成子、鄭を救ふ二十七年春、越子、后庸をして來聘せしめ、且つ邾の田を言ひ、駘上に封ぜしむ。二月、平陽に盟ふ。三子皆從ふ。康子、之を病み、言、子贛に及びて曰く、「若し此に在らば、吾、此に及ばざりしならん」と。武伯曰く、「然らば何ぞ召さざる」と。曰く、「固より將に之を召さんとす」と。文子曰く、「他日請ふ念へ」と。夏四月己亥、季康子卒す。公、焉を弔ひ、禮を降す。晉の荀瑤、師を帥ゐて鄭を伐ち、桐丘に次す。鄭の駟弘、救ひを齊に請ふ。齊師將に興らんとす。陳子、孤子を屬め、三日朝せしむ。乘車兩馬を設け、五邑を焉に繫け、顏涿聚の子晉を召して曰く、「隰の役に、而の父、焉に死す。國の多難なるを以て、未だ女を恤へざりき。今、君、女に命ずるに是の邑を以てす。服車して朝し、前勞を廢すること毋かれ」と。乃ち鄭を救ふ。留舒に及ぶ。穀を違ること七里、穀人知らず。濮に及ぶ。雨ふりて涉らず。子思曰く、「大國、敝邑の宇下に在り。是を以て急を告ぐ。今、師行かずんば、及ぶ無からんことを恐る」と。成子、製を衣て戈を杖つき、阪上に立ち、馬の出でざる者は、之を助けて之に鞭うつ。知伯之を聞き、乃ち還りて曰く、「我、鄭を伐つことを卜せしも、
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史記 蕭相国世家列侯畢く已に封を受け、位次を奏するに及び、皆曰く、「平陽侯曹参は身に七十創を被り、城を攻め地を掠め、功最も多し、宜しく第一なるべし」と。上已に功臣を橈め、多く蕭何を封じ、位次に至りては未だ以て複た之を難ずる有らず、然れども心に何を第一にせんと欲す。関内侯鄂君進みて曰く、「群臣の議皆誤れり。夫れ曹参は野戦略地の功有りと雖も、此れ特だ一時の事なり。夫れ上楚と相距ぐこと五歳、常に軍を失ひ衆を亡ひ、身を逃れて遁るる者数々なり。然れども蕭何常に関中より軍を遣はして其の処を補ふ、上の詔令して召す所に非ずして、数万の衆上の乏絶に会する者数々なり。夫れ漢楚と滎陽を相守ること数年、軍に見糧無し、蕭何関中より転漕し、食を給して乏しからず。陛下数々山東を亡ふと雖も、蕭何常に関中を全うして以て陛下を待つ、此れ万世の功なり。今曹参等百数を亡ふと雖も、何ぞ漢に缺けん。漢之を得るも必ずしも待ちて以て全からず。奈何ぞ一旦の功を以て万世の功に加へんと欲するや。蕭何第一、曹参之に次ぐ」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち蕭何に令し、剣を帯び履をはきて殿に上り、朝に入りて趨らざることを賜ふ。上曰く、「吾聞く、賢を進むる者は上賞を受くと。蕭何の功高しと雖も、鄂君を得て乃ち益々明らかなり」と。是に於て鄂君の故の食む所の関内侯の邑に因りて封じて安平侯と為す。是の日、悉く何の父子兄弟十余人を封じ、皆食邑有り。乃ち何を益封すること二千戸、帝の嘗て咸陽に繇せし時何我を送るに独り銭二を贏せしを以てなり。漢十一年、陳豨反き、高祖自ら将ゐ、邯鄲に至る。未だ罷まず、淮陰侯関中に反かんと謀る、呂后蕭何の計を用ひ、淮陰侯を誅す、語は淮陰の事の中に在り。上已に淮陰侯の誅を聞き、使をして丞相何を拝して相国と為さしめ、益封すること五千戸、卒五百人一都尉をして相国の衛と為さしむ。諸君皆賀す、召平独り弔す。
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