春秋左氏伝 / 定公五年 子期、麇を焚く
九月。夫概王歸。自立也。以與王戰而敗。奔楚為堂谿氏。吳師敗楚師于雍澨。秦師又敗吳師。吳師居麇。子期將焚之。子西曰。父兄親暴骨焉。不能收。又焚之。不可。子期曰。國亡矣。死者若有知也。可以歆舊祀。豈憚焚之。焚之而又戰。吳師敗。又戰于公婿之谿。吳師大敗。吳子乃歸。囚闉輿罷。闉輿罷請先。遂逃歸。葉公諸梁之弟后臧。從其母於吳。不待而歸。葉公終不正視。乙亥。陽虎囚季桓子。及公父文伯。而逐仲梁懷。
新字:九月。夫概王帰。自立也。以与王戦而敗。奔楚為堂谿氏。呉師敗楚師于雍澨。秦師又敗呉師。呉師居麇。子期将焚之。子西曰。父兄親暴骨焉。不能収。又焚之。不可。子期曰。国亡矣。死者若有知也。可以歆旧祀。豈憚焚之。焚之而又戦。呉師敗。又戦于公婿之谿。呉師大敗。呉子乃帰。囚闉輿罷。闉輿罷請先。遂逃帰。葉公諸梁之弟后臧。従其母於呉。不待而帰。葉公終不正視。乙亥。陽虎囚季桓子。及公父文伯。而逐仲梁懐。
書き下し
九月、夫概王歸りて、自ら立つ。王と戰ひて敗るるを以て、楚に奔りて堂谿氏と為る。吳の師、楚の師を雍澨に敗る。秦の師、又吳の師を敗る。吳の師、麇に居る。子期、將に之を焚かんとす。子西曰く、「父兄親ら骨を焉に暴す。收むる能はずして、又之を焚くは、不可なり」と。子期曰く、「國亡びんとす。死者若し知有らば、以て舊祀を歆くべし。豈に之を焚くを憚らんや」と。之を焚きて又戰ふ。吳の師敗る。又公婿の谿に戰ふ。吳の師大いに敗る。吳子乃ち歸る。闉輿罷を囚ふ。闉輿罷、先んぜんことを請ひ、遂に逃れ歸る。葉公諸梁の弟后臧、其の母に從ひて吳に於いてす。待たずして歸る。葉公、終に正視せず。乙亥、陽虎、季桓子及び公父文伯を囚へて、仲梁懷を逐ふ。
現代語訳
九月、夫概王は呉に帰って、自ら王を名のった。しかし兄の呉王闔廬と戦って敗れたため、楚に逃れて堂谿氏となった。呉の軍は楚の軍を雍澨で破ったが、秦の軍がまた呉の軍を破った。呉の軍は麇に陣を構えた。子期はここを焼き払おうとした。子西が言った。「われらの父兄が自らここで戦死し、骨をさらしている。それを収めることもできないのに、さらに焼くのはいけない」。子期は言った。「国が滅びようとしているのだ。死者にもし知る心があるなら、国が存続して昔どおりの祭祀を受けられるほうを望むだろう。焼くことをどうしてためらおうか」。焼き払って、また戦った。呉の軍は敗れた。さらに公婿の谿で戦い、呉の軍は大敗した。呉子(闔廬)はそこで帰国した。呉は楚の闉輿罷を捕虜にしていたが、闉輿罷は案内役として先に行くことを願い出て、そのまま逃げ帰った。葉公諸梁(沈諸梁)の弟の后臧は、母に従って呉にいたが、母を待たずに一人で帰ってきた。葉公は最後まで弟をまともに見ようとしなかった。乙亥の日、陽虎は季桓子と公父文伯を捕らえ、仲梁懐を追放した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』哀公三年 人を傷つけば止めよ三年春、齊・衛、戚を圍み、援を中山に求む。夏、五月、辛卯、司鐸に火あり。火、公宮を踰え、桓・僖災(やけ)たり。火を救ふ者皆曰く、「府を顧みよ」と。南宮敬叔至り、周人に命じて御書を出さしめ、宮に俟たしめて曰く、「女(なんぢ)に庀(そな)へしむ。而(も)し在らずんば死せん」と。子服景伯至り、宰人に命じて禮書を出さしめ、以て命を待たしむ。「命共せずんば、常刑有り」と。校人は馬に乘し、巾車は轄に脂す。百官官ごとに備へ、府庫は慎みて守り、官人は肅みて給す。帷幕を濟濡し、鬱攸之に從ふ。公屋を蒙茸す。大廟より始め、外內以て悛(つい)で、給せざる所を助く。命を用ゐざる有らば、則ち常刑有りて、赦すこと無し。公父文伯至り、校人に命じて乘車を駕せしむ。季桓子至り、公に御して象魏の外に立ち、火を救ふ者に命ず、「人を傷つけば則ち止めよ。財は為すべきなり」と。命じて象魏を藏せしめて曰く、「舊章は亡ふべからざるなり」と。富父槐至りて曰く、「備へ無くして官辦ずる者は、猶ほ瀋を拾ふがごときなり」と。是に於てか表の稿を去り、公宮を道還す。孔子陳に在り、火を聞きて曰く、「其れ桓・僖か」と。劉氏・范氏、世々婚姻を為す。萇弘、劉文公に事ふ。故に周、范氏に與す。趙鞅以て討と為す。六月、癸卯、周人萇弘を殺す。
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孟子・告子章句上孟子曰く、「今、無名の指、屈して信びざる有り。疾痛して事に害あるに非ざるなり。如し能く之を信ばす者有れば、則ち秦楚の路をも遠しとせず。指の人に若かざるが為なり。指の人に若かざるは、則ち之を惡むことを知る。心の人に若かざるは、則ち惡むことを知らず。此を之れ類を知らずと謂うなり。」
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